東日本支部通信 第29号(2015年度 第1号)

2015.4.22. 公開 2015.6.1. 傍聴記掲載

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東日本支部 第29回定例研究会

  日時:2015年5月9日(土) 午後2時〜4時半
  場所:東京藝術大学 音楽学部 5号館401室
  司会:佐藤 望 (慶應義塾大学)
 
  〈修士論文発表〉
   1.長唄囃子における能楽手法の研究
     ―明治以後のレパートリー、音響実態の分析から―
     鎌田 紗弓 (東京藝術大学大学院)

   2.トルコの近現代における民俗音楽の展開 
     ―民俗音楽楽団Yurttan Sesler Korosuを例に―
     鈴木 麻菜美 (国立音楽大学大学院)

   3.ショパンの歌曲におけるポーランド性
     岡野 美保 (東京学芸大学大学院)

   4.初期計量音楽論研究
     ―リズム・モードの音価とテンプスに関する諸問題―
     井上 果歩 (東京藝術大学大学院)


1.長唄囃子における能楽手法の研究
 ―明治以後のレパートリー、音響実態の分析から―

  鎌田 紗弓 (東京藝術大学大学院)

 本発表は、修士論文「長唄囃子における能楽手法の研究――明治以後の演奏者、レパートリー、音響実態――」(2014年3月提出)に基づく。長唄囃子の手法は、能に由来するものと歌舞伎で作り出されたものの2つに大別される。論文では前者の「能楽手法」を取り上げ、明治以後における歴史的変遷の実態解明を目的として、演奏者、レパートリー、音響実態という観点から調査検討を行った。
 能楽界へ危機的状況をもたらした明治維新は、それまで明確な距離の存した能楽囃子それ自体の習得を容易にした点で、長唄囃子にも大きな転機となった。明治以降に複数の囃子方が試みた能楽囃子研究は、今日に至る様式変遷や流派差の要因と指摘される。しかしながら従来の論考は導入史的記述に限られ、能楽摂取に対する批判や、時期による傾向の揺れといった点を含めた状況が具体的に把握されているとは言い難い。音楽内容へ与えた影響に関しても、様々ある能楽囃子事のうち特にどの種類へ重点が置かれ、唄・三味線の楽曲を打ち囃す「長唄囃子」へ適用させる上でどのような改変が為されたのかといった言及は極めて限定的である。これをふまえて行った言説調査と楽曲分析のうち、本発表は楽曲分析に焦点化し、変遷の結果として獲得された能楽手法の音楽的特質について論じる。
 取り上げる内容は、(1) 小鼓の手組(リズム型)における流派差の反映、(2) 唄・三味線との相対関係に見る【序ノ舞】・【神舞】の位置づけ、(3) 録音分析に基づく【狂ヒ】の定着過程の考察 である。
 (1)は、昭和初期に流派差を形成したとされる9世望月太左衛門(1902-1946)と11世田中伝左衛門(1907-1997)の能楽受容の検討である。論文では、両者の経歴に占める能楽囃子研究の位置づけを考察するとともに、小鼓の手組を受容した能楽流派と比較して、流派差の淵源を検討した。分析から両者の取り組みは手組のみならず、手組配列の違いにも表れていることが確認された。
 (2)では、能楽手法のレパートリー全体を能楽囃子事の用法(楽曲における配置や使用頻度等)と比較し、長唄における個々の囃子の位置づけを具体化した。【序ノ舞】と【神舞】を例に、三味線譜を基準とした八拍子1クサリ(能楽手法における8拍1周期の単位)の当てはめ方の比率を示すことで、囃子と唄・三味線との相対関係という長唄的な特徴を明示した。
 (3)では、明治36 (1903)年のガイスバーグ録音が現行演奏と大きく乖離する【狂ヒ】五段の手法を例に、演奏内容の固定化の時期を考察した。録音11種の比較分析からは、現行演奏の定着時期が楽器ごとに異なることが示され、明治から昭和初期に能楽囃子から受けた影響との関連が示唆された。
 以上の検討は「明治以後」というコンテクストに、演奏内容の固定化した現状からは窺えない多様性を見出した。


【傍聴記】(土田牧子)
 鎌田紗弓氏の研究は、緻密な分析によって長唄囃子の音楽構造を解明しようとすることを出発点としている。長唄囃子の構造分析に関する先行研究は多くはない。囃子に限らず、長唄そのものの楽曲の特徴や曲調の変化についても「軽快な〜」「しんみりとした〜」といった漠然とした言葉で形容されることが多く、客観的な根拠に基づく裏付けがなされてきたとは言えない。こうした状況の中で、鎌田氏の研究はこれまでの長唄研究に一石を投じることができるものと私は考えている。
 鎌田氏の修士論文では、長唄囃子が能楽囃子を取り入れる過程に着目し、学部時代以来の楽曲分析の手法を発展させて歴史研究へと拡げている。能楽囃子の導入をめぐる言説研究を踏まえ、田中流と望月流の二流派における演奏の違いを分析によって示したことは、まずは大きな成果と言えるだろう。ただ、(この分析においても、またそのあとの「密度」に反映された「位」の分析や、【狂ヒ】の録音分析についても言えることなのだが)、長唄囃子が取り入れた能楽囃子の全体像が示されないままに、非常に限定された数の事例だけが示されていくので、聴き手としてはいまいちスッキリとした理解に結び付きにくかったというのも正直な感想である。「全体像を示す」ということもまた無理な注文なのかもしれないが、全体の枠組みとそれにおける各事例の位置づけに少し触れられるとよかったのかもしれない。複雑な分析を伴う研究である以上、細部まで正確に理解してもらえるような丁寧な説明をしていくことが今後の課題と言えるだろう。
 ともあれ、これまで研究の遡上に乗ることの少なかった長唄囃子の解明が、鎌田氏の研究によって今後充実していくだろうことが期待できる発表であった。


2.トルコの近現代における民俗音楽の展開
 −民俗音楽楽団Yurttan Sesler Korosuを例に −

  鈴木麻菜美(国立音楽大学大学院) 
                
 本論文はトルコの近現代における文化形成の段階において民俗音楽がどのように利用されてきたかを究明することを目的とし、具体的な手がかりの一つとしてトルコ国営放送トルコ・ラジオ・テレビ協会Türkiye Radyo Televizyon Kurumu(以下TRT)に所属する民俗音楽楽団ユルッタン・セスレル・コロスYurttan Sesler Korosu(「国土の声合奏団」)を主な対象として考察し、検証を試みた。本発表では、文化形成の経緯を扱った1章、TRTの役割や国家との関係について考察した3章、ユルッタン・セスレル・コロスの設立の背景や音楽の実際について述べた4章を取り上げる。
 多種多様な民族を内包した国家であったオスマン帝国では、支配層の宗教であり国内でも大きな割合を占める「イスラム教」を主軸とし、イスラム教徒たちが他の宗教、他の民族を支配することで国家として形を成していた。オスマン帝国が崩壊し、トルコ共和国へ転換した後には、「イスラム教国家」という枠組を取り払い、新たに「トルコ民族による国家」が目指され、同時に先進的な西洋の政治体制や文化を取り入れた国家の「近代化」も推し進められた。その過程において、新しい国にふさわしい文化の一部としての「国民の音楽」が模索され、それを構成する要素として挙げられたのが民衆の「民俗音楽」と、近代化の象徴とされた「西洋音楽」であった。しかし元来、「西洋音楽」と、西アジア地域の音楽的特徴に基づいたトルコの「民俗音楽」とは、相反するものであったはずである。そうした双方の音楽への試みの具体例の一つとして、民俗音楽の楽団でありながら、いくつかの要素において西洋音楽からの影響が見られるユルッタン・セスレル・コロスが生まれたと考え、本論文の対象とした。
 今回の考察を通して、ユルッタン・セスレル・コロスは一見したところ「近代化」の象徴としての西洋音楽の影響を受けた大編成の楽団の形をとっているが、実際にはそれぞれの地方や地域によって特徴が異なるトルコ全土の民俗音楽の演奏実践におけるいくつかの要素を援用することによって、楽団はいわば偏りのない「代弁者」としての役割を果たしていると推察できた。
 他方、トルコ国民の「共通する音楽文化」の形成に利用されたのがラジオ放送であった。トルコ政府は最も迅速で広範囲への伝達が可能な情報手段としてのラジオに注目し、広報などの政治活動とともに、しばしばラジオを通しての文化形成を行った。TRTに所属する楽団が形作られた目的もそこにあることが推察できた。
 今回の考察ではトルコ人の文化形成に利用された民俗音楽について見たが、クルド人をはじめとする少数民族の音楽については間接的な情報を得るにとどまった。それぞれの民族の特徴や国家との関係、トルコ共和国の政策など全体を通してさらに詳しい情報の収集が必要であり、今後はこれらの側面にも注視しながら調査・研究を進めたい。


【傍聴記】(飯野りさ)
 鈴木麻菜美氏による修士論文は、近代トルコにおける文化政策の一つとしての官制の民俗音楽楽団の設立の経緯や活動、そしてその音楽等に関する研究である。国営ラジオ放送の政策の一環として、西洋音楽を意識した合奏・合唱という形態をとり、また「正しい」民俗音楽の普及を使命としながらも、その一方でこの楽団が地方色や旋法音楽としての特色を残し、それ自体がトルコ民謡大観的な役割をも果たしている点はたいへん興味深かった。言語だけでなく音楽や舞踊の分野においても国家政策やエリートの思想がその方向性を左右してきた経緯などは先行研究群でも指摘されており、鈴木氏の研究はその民俗音楽(民謡)版である。そうした先行研究群の中でのこの研究の位置付けをより明確にするならば、議論も深まり今後の研究にも有用だろう。その際には国家やエリートだけでなく、社会との関係も探るべき重要な課題として考慮すべきではないだろうか。「トルコ民族/国民」の近代的民謡を目指していた20世紀半ばの創設期と、少数民族の存在やその言語が承認されかつ社会や非官制メディアの役割も増している今日では、この楽団の存在意義も変化しているだろう。クルド語の民謡などが公的な場で聴かれるようになって久しく、音の世界は多言語・多民族主義へとすでに移行しているように思われる。この楽団の名称である「故郷(ふるさと)からの声」すなわち民謡は、民衆のものであるゆえに、だれが何語で歌うのか、その扱いをめぐって議論と実験が重ねられてゆくだろう。この先の展開に注目したい。


3.ショパンの歌曲におけるポーランド性

  岡野美保(東京学芸大学大学院)

 本論文の目的は、フリデリク・ショパン(Fryderyk Franciszek Chopin. 1810-1849)が作曲した歌曲にみられる民俗的要素の表象性を明らかにすることである。ショパンは20歳のときに祖国ポーランドを離れ、フランスを主な拠点として活動した作曲家である。創作時期の大半をポーランドの外で過ごしたが、愛国意識の強い人物であったと言われている。そのように考えられてきた理由のひとつとして、彼がポーランドの伝統的な民俗舞踊のリズムを用いた作品を多数残したことが挙げられる。とりわけ、マズルカやポロネーズはこれまで多くの関心を集めてきた。それに対し歌曲は先行研究が極めて少ないが、言語を伴うその特性上、音楽的表象を考察するにあたって非常に有用な研究対象である。ショパンは自身の作品に曲名を付けることが殆どなかったため、作品が何に喚起されて作曲されたものか、あるいは何を意図し、表現するものであるかを知ることは多くの場合困難である。だが、ショパンは音楽を感情や思想を表現する芸術として捉えていたことが彼の弟子による証言から明らかになっており、その認識が作品のなかにも反映されていると考えられる。本研究では、歌曲に用いられた民俗的要素がどのようなイメージを表すものであるかについて詩の内容との関係をもとに考察した。
 ショパンの歌曲は、音楽の師であるユゼフ・エルスネル(Józef Ksawery Elsner. 1769-1854)の指導下にあった学生時代に初めて書かれたとされ、その後生涯にわたって作曲されている。本研究の対象はそのうちの19曲であるが、エルスネルが重要視したポーランド語のアクセントにふさわしい音楽付けの特徴は、ポーランドを発ってから作曲された作品においてもさまざまな箇所で確認できる。また、楽曲のなかでポーランド性を示すナショナリズム志向も師からの影響が大きい。ショパンが愛国的表現の手法として選んだ民俗的要素は、詩の特定のテーマに関連して用いられる傾向がある。そのテーマ種別から、ショパンが舞踊のリズムや民俗的な響きに感じていたのは祖国の幸福なイメージであり、悲哀に満ちた祖国への感情は含まれないということを指摘した。民俗的要素の使用は比較的初期の歌曲に集中していることから、ショパンははじめ土地固有の舞踊音楽を芸術作品に変換するという直接的な方法で楽曲におけるポーランド性を提示しようとしていたことが分かる。また、中期以降、ショパンは戦禍にある祖国をテーマとする詩を用いた歌曲を作曲しており、民俗的要素を使用せず、より複雑な楽曲構造で詩の内容に合わせた音楽付けを行っている。それらの作品では、特定の要素ではなく詩の内容全体の音楽的表現を高めることに愛国的意図が示されていると推察される。


【傍聴記】(小早川朗子)

 岡野氏の修士論文は、19曲の歌曲からショパンの愛国的表現を読み取ろうとしたものである。発表では、論文の第2章「マズレクにみられる民俗音楽の要素」、第3章「ショパンの歌曲にみられる民俗的要素の分析」を取り上げた。歌詞の内容をキーワードで分類し、「恋・愛」、「自然」、「歌」のイメージがある歌曲には、民俗的要素(フヤルカやバセトラなど民俗楽器の音色や、旋法、マズルカのリズムなど)との関連性がみられるという結果を導きだした。質疑では、論文のタイトルに使われた「ポーランド性」という言葉を、上記の「民俗的要素」だけで説明して良いのか、それはショパンと交流のあったさまざまな詩人との関係性や、ポーランド語の特徴などからも導きだせるのではないかという指摘があった。ショパンはピアノ作品が圧倒的に多いが、その音楽はカンティレーナと呼ばれる声楽的要素が強いと言われている。歌曲において、詩とフレージングの関係や、言葉の意味と和声・旋律との関連性などを読み解くことが出来ればさらに興味深い研究となるであろう。ショパンが使用する楽語などの発想記号が、どのような歌詞で表現されているかという観点なども演奏解釈への新たなヒントと成り得るだろう。
 「ポーランド性」という言葉が非常に広義であるため、論点が少々曖昧になってしまった感は否めないが、あまり取り上げられることのない歌曲に焦点をあてた研究であることは評価できる。ショパン作品をより深く解明する為にも、歌曲研究を続けて欲しいと思う。


4.初期計量音楽論研究
 ―リズム・モードの音価とテンプスに関する諸問題―

  井上果歩(東京藝術大学大学院)

 13世紀に登場した計量音楽論とは西洋音楽史上初の体系的なリズム論であり、初期は「リズム・モード」と呼ばれるロンガとブレヴィス二つの長短音価によるリズム・パターンがその理論の核となっていた。また、いわゆる拍に相当する「テンプス」という概念があったが、これは音価と互換性を持っており、ブレヴィスは1か2テンプス、ロンガは2か3テンプスになった。
 初期計量音楽論では通常リズム・モードは六つの定型から成り、音価やテンプスはこれらの定型に則って決定された。しかし、理論書や楽譜写本では定型を応用した複雑な進行が頻繁に見られ、音価やテンプスの判断が困難なものが少なくない。従って本論文は、無名者『ディスカントゥスの通常の配置』やガルランディア『計量音楽論』からケルンのフランコ『計量音楽技法』までの九つの理論書を分析することで、音価とテンプスがどのようにリズム・モードの中で決定されたかを探るとともに、その法則をいくつか提示した。さらに、これらの理論書の中でも記譜や規則に違いがあるため、それぞれがどのような解釈をしているか、どのように理論が変遷しているかも明らかにした。
 そして、上記の分析から音価とテンプスに関する問題が大きく二つ浮上した。一つ目は音価のシステムの変化である。ロンガとブレヴィスは初期計量音楽論における基本単位で、いかなる音価も必ずこの二つに縮約することができた。しかし、ランベルトゥスの論文以降はそれまでブレヴィスの一種に過ぎなかったセミブレヴィスが第3の音価として独立し、ロンガ対ブレヴィスという音価の長短による相対性が崩れた。結果、長短の相対性から成る従来のリズム・モードに縛られない、多様なリズムの表現が可能になった。
 二つ目の問題はリガトゥーラの解釈である。フランコ以前のリガトゥーラの用法を精査した結果、リズム・モードの基本定型に沿った音価の配列になるものは「プロプリエタス有り」、それとは異なる配列を「プロプリエタス無し」と、またリガトゥーラ内の音価が揃った状態は「ペルフェクツィオ有り」、音が欠けた状態は「ペルフェクツィオ無し」となることが判明した。ところが、フランコ式理論ではリガトゥーラの最初の音価がブレヴィスならプロプリエタス有り、ロンガならプロプリエタス無し、また最後の音がロンガならペルフェクツィオ有り、ブレヴィスならペルフェクツィオ無しと定義され、音価はリズム・モードの文脈に依存することなく、固定化された。
 ただし、ランベルトゥスやフランコはこのように脱リズム・モード化した理論を唱えているにもかかわらず、逆にそれを用いてリズム・モードを表したため、彼らの革新は目立つものではなかった。しかし、以上のような音価とテンプスに関する理論の転換はリズム・モードの衰退の要因になった一方、アルス・ノヴァに代表されるその後の計量音楽論の土台を準備したのである。


【傍聴記】(大島俊樹)

 今回の井上氏の発表で中心となったのは、上記概要のうちの「二つ目の問題」に当たる、前フランコ式理論における「プロプリエタス」および「ペルフェクツィオ」の各語の意味の新解釈と、フランコ式理論におけるそれらとの相違である。この問題は単に語意の歴史のみならず、当時の記譜からの実際の音価の読み取り、ひいては、氏自身が発表最後にまとめたように12〜13世紀の記譜法の変化の実態をより具体的に捉えることにもつながる点で重要である。発表では、土台となる氏の修士論文の概要と、基本的な中世記譜法用語の説明に続き、本論に入った。
 すでによく概説されているように、フランコ式理論においてプロプリエタスとは「リガトゥーラ(連結音符)内の最初の音符がブレヴィス(短)であること」、他方でペルフェクツィオとは「リガトゥーラ内の最後の音符がロンガ(長)であること」を意味する。しかし、井上氏は前フランコ式記譜理論の代表的理論家であるヨハンネス・デ・ガルランディアおよび第四無名者などのテキストの分析から、これらにおいてはフランコ式の場合とは異なり、プロプリエタスは「そのリガトゥーラが当該のリズム・モードの基本リズム(および記譜)・パターンに属すること」、他方でペルフェクツィオは「リガトゥーラ内のあるべき音価(および音符)が十全にそろっていること」を意味しているのではないかという仮説を提示した。また、氏はそれと合わせ、実際に理論書において、例えばリズム(および記譜)・パターンが「長短長+短長」である第一モードの場合であれば、その構成材料となりうる「長短長」リガトゥーラが「プロプリエタス有」でされ、逆にそれになりえない「短長短」リガトゥーラは「プロプリエタス無」とされているなど、仮説の土台となる事実も提示した。
 これらの解釈は、井上氏が発表中に指摘したプロプリエタスおよびペルフェクツィオの本来の一般的語義(それぞれ「固有性」「完全性」)を踏まえると、また、中世の音楽理論書においては、我々が専門用語として認識しがちな語も実際にはごく一般的な語として用いられているように見えることが多い(例えば、いわゆる『オルガヌム大全』は、実際は「オルガヌムの大きな書物」程度の意味で書かれている)点を踏まえると説得力がある。発表後の質疑応答でも、この点に関して補足情報を求める質問があった。
 井上氏の解釈によれば、前フランコ式理論においては、フランコ式理論におけるような「ペルフェクツィオ有だからこの音符の長さは何々」というような音価の規定性はペルフェクツィオの概念自体にはなく、むしろそれとは逆に「この音符が何々だからこの音符はペルフェクツィオ有り」ということになるだろう。この両者の対照性、および、前フランコ式記譜法における「細かい理論よりもリズム・パターン先にありき」の性質(おそらく口頭伝承と密接に関係する性質)がよく見えてきた点も興味深かった。
 今回の井上氏の研究は、しばしば記述が曖昧であったり、表現に独特の回りくどさがあったりして解読が決して容易ではない13世紀ラテン語記譜法理論書に挑んだ、野心的なものである。その解読の困難さゆえか、先行研究の著者たちもあまり詳しくは立ち入っていない問題を扱った研究であるだけに、氏には今回の成果を広く海外に発信することも視野に入れ、さらに研究を発展させていってほしい。


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