東日本支部通信 第27号(2014年度 第6号)

2014.11.25. 公開 2015.1.21. 傍聴記掲載

indexに戻る


東日本支部 第27回定例研究会

日時:2014年12月13日(土)午後2時〜5時
場所:桐朋学園大学 調布キャンパス 1号館 C008号室
内容:シンポジウム 「第一次世界大戦と音楽」
パネリスト:友利 修(国立音楽大学)、中村 仁(桜美林大学)、中村 真(西日本支部)
司会兼パネリスト:沼野 雄司(桐朋学園大学)


【シンポジウム趣旨】(沼野 雄司)


 今年2014年は、第一次世界大戦の開戦から百周年にあたる。
 1914年6月28日に、オーストリア・ハンガリー帝国の皇太子フランツ・フェルディナント夫妻がセルビア人青年に暗殺されたことから、ドイツ、オーストリア、トルコを中心とする同盟国側と、イギリス、フランス、ロシアを中心とする連合国側の間に第一次世界大戦が勃発。その後、広くアメリカや東アジア、アフリカ諸国までをも巻き込んだこの戦争は、当初の楽観的な予想を裏切り、足掛け4年という長きにわたって続くことになった。終戦後にはオーストリア・ハンガリー帝国、ドイツ帝国、オスマン帝国が消滅。また、ほぼ時を同じくしてロシア帝国で革命がおこり、ソヴィエト連邦が誕生する。西洋音楽を担ってきたこれらの国々の急速な転換は、のちの第二次大戦と比してもはるかに大きな衝撃だったと考えてよいだろう。実際、大戦によって各国の国境線、政治・経済体制、そしてもちろん文化までもが大きな変容を被ることになった。
 近年、第一次大戦の重要性は急速に鑑みられるようになっており、『現代の起点 第一次世界大戦』(全4巻、岩波書店、2014年)をはじめとする研究書、関連書籍が多数出版されるに至っているが、音楽文化に焦点を絞り、精密な分析を行った例はまだ多くない。しかしながら、この大戦が「十五世紀以来の最大の転換点」(前掲書第3巻3頁)であるとするならば、その詳細な分析が音楽史にとってもきわめて重要であることは論をまたない。 
 今回のシンポジウムは大戦に関係した4つの国、すなわちドイツ、フランス、チェコ、アメリカという4つの定点を設定した上で、それぞれの地域の専門家を招き、第一次大戦が音楽に与えた影響、さらには逆に、音楽が第一次大戦に与えた影響について、多くの事例をもとに考察を加える試みである。各国固有の状況、そしてパネル相互の解釈や知識をすりあわせる中で、20世紀音楽に関するパースペクティヴをより立体的なものに鍛え上げることができればと願っている。
 大戦のひとつの中心地であるドイツ、そしてオーストリアの状況に関しては中村仁(桜美林大学)が担当する。発表では、この大戦がドイツのコンサート文化、オペラ文化に与えた影響を解きほぐし、大戦後のヴァイマール共和国体制下における諸制度の転換との関係を視野に入れながら、いわゆる「クラシック音楽」をめぐる環境が第一次大戦を挟んでどのように変化したのかを明らかにする。また、作曲家の創作活動に対する影響の例として、ヒンデミットの従軍日記と大戦後の創作活動について論じる予定である。
 フランスに関しては友利修(国立音楽大学)が担当する。ここではいったん普仏戦争に敗北した1871年に立ち戻り、その際にドイツ文化圏に対抗し得る「フランス音楽」を再構築する試みが始まった文脈を確認しつつ、実は第一次大戦はフランスにおいては決定的を切断はもたらさなかったのではないかという解釈が提示される。その上で、1918年から10年ほどの時期のフランスにおける音楽史認識の一端を音楽史著作、時事的評論など同時代の言説資料によりながら考察する予定である。また、この過程で第二次大戦後の「前衛史観」が「六人組」などに投げかけた視線に対する批判的な検討も行われることになろう。
 チェコに関しては中村真(西日本支部)が担当する。オーストリア・ハンガリー二重帝国に包含されていたチェコは、戦後に新生チェコスロバキアとして生まれ変わるわけだが、この第一共和国成立後の芸術音楽の状況はいかなるものだったのかについて、いくつかの具体的事例を基にしながら考察を加え、さらにはチェコ地域の民謡研究がこの時期、徐々に制度化されてゆく過程を追う予定である。結果として、この地域においては、大戦の影響は他の要因を巻き込んだ複合的なものであり、単純な断絶としては解釈できないことが浮き彫りにされるだろう。
 最後にヨーロッパ以外の重要な地域としてアメリカ合衆国の状況を沼野(桐朋学園大学)が担当する。第一次大戦が勃発した際に、アメリカはモンロー主義に基づく不干渉を基本的な政策として堅持していたが、しかしドイツの潜水艦による無差別攻撃などをきっかけにして、ついに1917年には大西洋を越えて大戦に参戦する。この過程で黎明期のアメリカ楽界を支えてきたドイツ系の音楽家たちがアメリカ国内での立場を失うと同時に(投獄されたものも少なくない)、フランス系音楽家には大きなチャンスが訪れる。大戦後は、ドイツからフランスへ、という変化の格好の受け皿となったのがナディア・ブーランジェが教えるアメリカ音楽院だった。シンポジウムでは何人かの音楽家の事例を参照しながら、この変化について詳述したい。
 以上、まずは4人のパネリストの専門とする地域のみについて触れたが、イタリア、イギリス、ハンガリー、ロシアといった他のヨーロッパ諸国、さらに日本に関する言及も、メンバー内で細かく分担しながら、できる限り試みる予定である。また、シンポジウムの進行にあたっては、最初にパネリストの発表、続いて相互の議論を経た後に、出来る限り多くの時間をフロアとの対話に使う予定である。学会員諸氏がそれぞれの専門の立場から積極的に発言していただくことになれば、さらに有意義なシンポジウムになるものと思われる。多くの方の参加を期待したい。

(なお、会場となる桐朋学園大学調布キャンパスは、京王線調布駅から徒歩10分の新キャンパスで、従来の仙川校舎とは全く異なった場所に位置しています。サイトで地図のご確認をよろしくお願いします)。

 


【傍聴記】(成田麗奈)

 第一次世界大戦勃発から100年の記念年に、「第一次世界大戦と音楽」と題して、司会兼パネリストの沼野雄司氏、パネリストの友利修氏、中村仁氏、中村真氏の4名によるシンポジウムが開催された。司会者による趣旨説明では2009年の第60回全国大会におけるシンポジウム「第一次世界大戦と音楽史」(2010年に書籍出版)が参照された。このシンポジウムでは大戦後、諸芸術の状況がいかに変化したのかということが強調され、音楽に関しては専らドイツ音楽が対象であった。これに対し、今回のシンポジウムでは、大戦前後の連続性にも考慮し、登壇者が取り上げる4カ国の音楽状況をふまえて複合的に議論することが主旨とのことである。
 ドイツ担当の中村仁氏の発表においては、音楽生活の変化として、オペレッタや流行歌における大戦関連の作品の増加、歌つき絵葉書の流行、コンサート文化・オペラ文化の変化として、客層の民衆化や娯楽的要素の強い演目が好まれるようになったことが確認された。音楽創作に関しては大戦後にヴァーグナーに対する若手作曲家の態度が批判的な態度へと変化したこと(そこには「影響の不安」も見られる)が指摘され、ヒンデミットを例に挙げて作曲家が大戦間に音楽創作にどう向き合っていたのかが紹介された。
 フランス担当の友利氏の発表では、「第一次世界大戦はフランス音楽史で何を変えたのか」という問いが投げかけられ、シンポジウムのテーマの妥当性が検討された。フランスにおいて一般史・音楽史ともに最大の転換点とされるのは1870年の仏普戦争(普仏戦争)というのが共通認識であり、第一次世界大戦の前後には切断よりもむしろ連続性が確認されることが指摘された。具体的には1870年以降の「フランス音楽再生」の方向性について達成感を確信する言説が音楽史書や音楽批評などに表われはじめる。さらに、国際的音楽文化の中心としてフランスが覇権を取り戻すことが強く意識され、西洋諸国の音楽を「フランス音楽」に包摂しようとする意図が見られるようになる。
 チェコ担当の中村真氏の発表では、第一次世界大戦期のチェコについて語る上で前提とすべき問題として、@国家成立の問題(1918年チェコスロヴァキア共和国成立)、A地域区分の問題(ボヘミアとモラヴィア)、B言語と民族性の問題(チェコ語を第一言語とするチェコ人とドイツ語を第一言語とするボヘミア=ドイツ人)、C各地域におけるチェコ系住民とドイツ系住民の関係、以上4点について慎重に扱う必要性があるとが強調された。そのうえで、共和国設立後のプラハにおけるチェコ人社会に焦点を当て、劇場運営、音楽学校、民俗音楽研究、チェコ人の芸術音楽のあり方をめぐる論争について説明された。そして、プラハのチェコ人社会においても、第一次世界大戦以前からの連続性が強いことが指摘された。
 アメリカ担当の沼野氏の発表は、アメリカの音楽文化における脱ドイツ・親フランス化の傾向を明らかにするものであった。その一例としてアメリカの5大オーケストラの歴代音楽監督について、戦前はドイツ人が圧倒的主流であったのに対し、戦後にはドイツ人以外の音楽監督が主流を占めるようになる(本発表における「〇〇人」とは原則として出身国によるものである)。さらに、K.ムックらの反ドイツ的な感情・活動が紹介され、N.ブーランジェ創立のアメリカ音楽院を中心として、フランス音楽(教育)によって大戦後のアメリカ音楽が構築されたこと、E.ヴァレーズが大戦時の従軍に関してある種の戦略的な証言とともに音楽活動を行っていたことなどが説明された。
 登壇者同士のディスカッションののち、フロアを交えたディスカッションにおいては、まずマクロな視点からの根本的な質問・意見が相次いだ。まず「音楽」として想定されているものの狭さについて。次に、対象となる国が4カ国に限られていることについて。そして、第一次世界大戦との関わりについて、戦前戦後の変化についてなのか、戦時中についてなのか焦点がはっきりしないことことについて。むろん、これらの要望に全て応えることは、今回のシンポジウムの範囲を明らかに超えている。にもかかわらずこうした質疑が敢えて出されたのは、登壇者に対する期待もあってのことだろう。ただし、シンポジウム冒頭で問題の射程をもう少し明確に提示することで、こうした疑問はある程度解消できたのではないか。
 各登壇者の発表は、演奏・鑑賞・創作・教育・音楽批評、歴史観・音楽史観、ナショナリズムの問題など、実にさまざまな位相からの発表であり、それぞれに興味深く充実したものであった。いっぽうで、4カ国の相互関係や、各国の共通点・相違点などが総合的にとらえ難くもあった。演奏会レパートリーの変化について、ヴァーグナー受容についてなど、ミクロな視点から各国の状況を問うフロアからの質問によって、こうした不足はいくぶん補われた。
 とはいえ、本シンポジウムの真の狙いは、当該テーマについての問題提起と、フロアを交えた問題意識の共有にこそあったと言えよう。このことは、フロアとのディスカッションに十分な時間を設け、積極的に質問・意見を募った沼野氏のオープン・マインドな態度からも窺われた。記念年の研究事業にありがちな一過性のイベントとして終わるのではなく、今後登壇者によるさらなる研究の発展と議論の深化があるものと期待される。それと同時に、さまざまな専門を持つ会員諸子による議論の輪を広げていくことで、上記のマクロな問題にも取り組んでゆけるのではないかという希望も抱いた。


indexに戻る