東日本支部通信 第九号 電子版

(第9回定例研究会 発表要旨および傍聴記)

9回定例研究会
日時: 2012512() 午後2時〜5
場所: 武蔵野音楽大学 江古田校舎 3号館447
  (176-8521 練馬区羽沢1-13-1)
司会: 平野 昭 (慶應義塾大学)

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修士論文発表>
1.
境界、複合性、パフォーマンス
 ―fr.146写本『フォヴェル物語』のバラードにおけるテクストとコンテクスト
  後藤 弓寿 (東京藝術大学大学院)

2. J.B.
リュリの作品分析による「ガヴォット像」再考
  中村 良 (武蔵野音楽大学大学院)

3.
シューマン作曲《蝶々》作品2の成立過程
  鄭 理耀 (東京音楽大学大学院)

4.
干渉し合うオペラ演出
 シュトゥットガルト州立歌劇場におけるワーグナー《ニーベルングの指環》公演を例に
  舘 亜里沙 (東京藝術大学大学院)

5.
古楽運動の影響によるモダン・オーケストラの弦楽器奏者のヴィブラートの変化
現代演奏史における美的価値基準の変遷のメカニズムの一端を探る
黒川 照美 (東京藝術大学大学院)

 

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発表要旨

修士論文1

境界と複合性

――fr.146 写本『フォヴェル物語』のバラードにおけるテクストとコンテクスト――

 

後藤 弓寿 (東京芸術大学大学院)

 

14世紀初期北フランスを起源とするfr.146 写本 (正式名称は Paris, Bibliothèque nationale de France, fonds, français 146) の『フォヴェル物語』に含まれる単旋律世俗歌曲は、その量と質の豊富さに比して十分に研究されてきたとはいえない。本研究の目的は、これらの音楽作品のうち14世紀において叙情歌曲の中心的存在であったバラードに焦点を当て、分析・観察をとおして詩定型確立期以前の14世紀初頭におけるバラードの個々の楽曲の共通点と特徴を明らかにし、歌曲形式の境界の曖昧さを浮かび上がらせること、また物語における機能を明らかにすることにある。

fr.146 『フォヴェル物語』のインデクスでは10曲の単旋律歌曲がバラードに分類されている。本研究ではこれら10作品を分析対象とし、特に歌曲形式を決定する重要な要素であるルフランと本体部分との関係に着目して、音楽と歌詞の両側面からその実態を明らかにしようと試みた。分析の結果、ルフランとその他の部分の旋律の間に同一音型やリズムの使用、旋律線のパラフレーズ、同一音高上での終止などの点で目立って連関性が見られた。バラードの基本形式である aabC 構造において、両者の連関性は主にルフラン旋律末尾と a 部分末尾の旋律に、またルフラン旋律とその直前の旋律句において顕著に見られる。前者は共に各部分の終結部であるという構造上の近似性において、後者は時間的に近く位置しているという物理的な親近性において、相互に強く結び付けられる。また楽曲の歌詞内容は、少数の例外を除き、宮廷風恋愛歌曲の伝統を色濃く反映し、各曲は同一の主題を持ちながらそれぞれに微妙に異なるニュアンスを持ち、当時人々が同一の主題にどれほどの多様性を持たせうるかに関心を抱いていたことを示唆する。分析の結果、この時期においてはバラードの領域はまだ明瞭な境界線を持たず、様々な形式がその中に含まれる複合的なものであることが明らかとなった。一方でこれらの歌曲は多様な例外を抱合しながら、後に詩定型バラードとヴィルレへと分離し、固定された形式へと収斂していく徴候が窺われる。

またこれらのバラード楽曲群が含まれるフォヴェルと運命の女神との会見場面は、fr.146 において物語の中間地点にあたり、作者表明がなされている第23フォリオを軸とした対称構造を持ち、バラードはその中で物語本文の分節点として機能している。物語第2部における大幅な加筆により、本来の政治的風刺物語が寓意的恋愛物語へと変質し、この部分に多数の世俗歌曲が挿入され、その中心的存在となっているのはバラードである。これらの世俗歌曲の挿入は fr.146『フォヴェル物語』の質的・量的転換と密接に関わっており、特にバラード曲群が恋愛物語の要素を内容的にも音響的にも補強し、物語において大きな役割を果たしていると結論付けた。

 

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傍聴記(執筆:平井真希子)

 

後藤弓寿氏の修士論文は、『フォヴェル物語』に多数の挿絵や楽譜が挿入されていることで知られる14世紀初期フランスの写本fr.146を取り上げ、とくにその中のバラードを中心に研究したものである。本日は、多岐にわたる内容を「ルフランとその他の部分の連関性」に重点を置いて整理したうえでの発表であった。しかし、結果として研究の意義が聴衆にきちんと伝わったかどうか、疑問が残る。司会の平野昭氏も、まとめに入る際に「大変難しい内容で…」と苦笑いしていた。

本発表の重要な論点である「ルフランと本体部分の旋律の類似性」自体は、譜例もわかりやすくまとめられており、14世紀音楽の知識がなくても簡単に理解できるであろう。楽曲分析としてはかなりシンプルな部類に属する。それでは、なぜ「難しい」と感じられるのであろうか。評者は、指摘された類似性の学問的意義を評価するための背景知識が共有されていないことが大きいのではないかと考えている。日本では、様々な要因から、西洋中世音楽に取り組むこと自体にかなりの困難を伴い、研究者の層も厚いとは言えない。そのため、研究の最先端に小さいながらも新たな知見を付け加える、といったタイプの仕事の意義が実感されにくいのではないだろうか。後藤氏の側も、14世紀音楽研究の現状について全体の見取り図を示すなどの工夫がもっとあっても良かったかもしれない。しかし、これだけの内容をまとめるためには、大量の先行研究の読み込みなど、長年にわたる地道な努力が必要だったことであろう。そのことには敬意を表したい。中世研究の「土地勘」を身に付けた後藤氏のような人材は、非常に貴重な存在だといえよう。今後も研究を発展させていっていただきたいと期待する。

なお、発表の中で分析対象のバラードを実際に聞くことができたが、すばらしい演奏であった。これは既存の録音ではなく、本発表のために新たに作成したものだそうである。歌唱を斯界の第一人者である花井尚美氏に依頼し、後藤氏自身も器楽伴奏で参加している。研究と演奏の連携という面でも特筆すべき意欲的な取り組みとして、ぜひ紹介しておきたい。

 

 

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修士論文2

パストラルとガヴォットの関連を再考する

――J.-B.リュリのガヴォットの分析を通じて――

 

中村  (武蔵野音楽大学大学院)

 

本発表は、2012年3月に提出された修士論文「J.-B.リュリの作品分析による『ガヴォット像』再考:拍節形式と固有の性格を中心として」に基づく。

バロック舞曲の研究は近年になって舞踊学的観点からの研究が盛んに行われているものの、音楽的観点からの実態は先行研究の無批判な丸写しが依然として行われている状況であり、事典項目の殆どはバッハの楽曲を主眼に置いた分析しか行っていない。その中でガヴォットは「パストラルな性格」と結び付けられて捉えられてきた。このことはガヴォットの多くが2曲対になっており、そのうち第2のガヴォットがミュゼット(当時貴族社会で流行したバグパイプの一種)の演奏を模した持続低音を用いた楽曲が多いという指摘と共に説明され、ここで「パストラルな性格」がミュゼットと結びついた概念として捉えられていることが窺える。ただしこの概念も、恐らくはJ.S.バッハの有名曲である《イギリス組曲》第3番の中間部にミュゼットを模した形式が用いられているという事実を一般論に敷衍させて作られたものである可能性がある。実際に当時の文献を調査してみると、ガヴォットと農民を関連付けるものはあっても、パストラルないしミュゼットを直接結びつける言説は確認できなかった。

したがってより一般的なガヴォット像を描き出すために多くの作品を分析する手始めとして、当時大きな影響力を持っていたJ.-B.リュリの楽曲を分析した。楽曲の抽出は現在唯一出版されているH.シュナイダーの作品目録に基づき、ガヴォットとタイトルが付けられた資料が存在することがわかる楽曲をその分析対象とした。

分析の結果、リュリの作曲したガヴォットには楽器にミュゼットを指定した楽曲、持続低音を用いた楽曲共に存在しないことが判明した。このことは、ガヴォットとパストラルを安易に結び付ける現在のガヴォット像に一石を投じるものである。

しかし一方で、リュリの楽曲の殆どが劇場作品であったことから、現在まで注目されてこなかった新たな観点として、劇の筋の文脈におけるパストラル的な場面とガヴォットとの関連も調査した。結果今回研究対象とした楽曲は、羊飼いやサテュロスなどの「パストラル劇」に登場する人物たちによって踊られる割合が比較的高いことも判明した。

以上のように今回分析した楽曲からは、ガヴォットとパストラルな性格はミュゼットを通じて関連付けることは出来ず、寧ろこの関連は劇場作品の場面との関連から裏付けることが出来るのではないかという結論に至った。

 

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傍聴記(執筆:森佳子)

 

 本発表は、バッハの楽曲などにおけるガヴォットが、ミュゼットという媒体を通して「パストラル的な性格」維持する舞曲であると見なされて来たことに異を唱え、より普遍的な見方を提示しようというものである。この「ガヴォット考」を構築するための手がかりとして、発表者の中村氏が選んだのは、バロック時代において大きな影響力のあったリュリの舞台作品である。

 今回の発表は修士論文の一部ということだが、リュリのトラジェディ・リリックやコメディ・バレなどの楽譜にあたり、それぞれの楽曲を舞台上のアクションの意味と対応させていくという作業によるもので、全体として入念な仕事であると言えよう。しかしながら、質疑応答にもあったように、時代も国も異なるリュリとバッハのガヴォットを並べて論じられたことについては、少々疑問が残るかもしれない。また、こうした方法を取るならば、劇音楽で使われた舞曲が器楽作品に応用されていく際に、どのようなイメージ的変化があったのかについても注意を払う必要があろう。さらに「パストラルと安易に結び付けている」という「事実」を裏付ける証拠としても、ガヴォットについて作曲家たちが持っている様々なイメージを知る必要があろうが、それに関してフロアからインターネット検索による資料収集の有効性が示唆された。他の舞曲と比較した上でのガヴォット像の位置付けも含めて、課題はたくさんあると思われるが、今後に期待したい。

 

 

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修士論文3

シューマン作曲《蝶々》作品2の成立過程                     

 

鄭 理耀 (東京音楽大学)

 

この論文は、ロベルト・シューマン(Robert Schumann 1810-1856)の≪蝶々(Papillons)≫作品2の成立過程を明らかにする試みである。≪蝶々≫は1832年に出版された、序奏と12の小品から成るピアノ曲である。≪蝶々≫については主に文学からの影響関係、すなわちジャン・パウル(Jean Paul 1763-1825)の全64章からなる長編小説『生意気盛り(Flegeljahre)』との関係を論じた研究が数多く存在するが、作品そのものの成立過程に焦点をあてた研究は少ない。また、特に≪蝶々≫に関する日本語の文献においては、シューマンの自筆資料について述べたものが少なく、現在≪蝶々≫に関する全ての自筆資料を直接目にすることが出来るにも拘わらず、その存在自体あまり注目されていないのが現状である。

そこで本論文では、≪蝶々≫に関する全ての現存資料を検討材料とし、特に楽譜資料については直接閲覧または複写を入手して詳細に検討することを研究の出発点とした。そして資料研究の結果、主にスケッチ帳を通して、シューマンがどのように≪蝶々≫を作曲し、具体的にどのような過程を経て現在私達の知る作品へと行き着いたのかということを考察することを目的とした。

本論文では、≪蝶々≫に関する全ての自筆資料〔ヴィーデ・スケッチ帳、スケッチ帳には製本されていない第10曲と第11曲のスケッチ、出版用完成稿(修正された清書稿)、計画ノート、作曲目録、作品目録〕と初版についての資料記述を行い、シューマン及び周辺人物による手紙と日記において、≪蝶々≫の成立過程と、またそれに関係すると思われるキーワードについて、どのような証言を残しているのかを確認した。そして、各曲のスケッチを比較検討し、まず≪蝶々≫の序奏と12曲それぞれの成立過程を明らかにした。その際、スケッチに書かれている内容が完成稿に近いものほど時間的にも完成稿に近いという原則に基づいて考察し、スケッチ帳に書かれた内容だけでなく、紙の使い方とインクの状態等、複数の観点から検討した。その後、全ての資料を総括して見てとれる曲全体の成立過程、つまり曲全体がいつどのような変化を経て完成稿へと行き着いたのかということを具体的に検討した。ここではスケッチの内容と特徴に基づき、細かく段階に分けて考察した。最後に、作曲過程についてのシューマンの発言を中心に、作品の構成過程と年代との関連について検討した。

考察の結果、≪蝶々≫の各曲は曲によって作曲の進行速度が全く異なるということがわかり、≪蝶々≫の作品全体は前段階から第6段階までの細かい段階を経て完成したという結論に達した。また、それぞれの段階がいつ、どのような速さで、何をきっかけに改変が加わったのかについては、資料からは明白にすることができないということも明らかになった。≪蝶々≫の作曲過程について資料が示していることは、この作品が1828年〜1832年の間に細かい段階を経て様々な改変を加えられて、現在私達の知る姿へ至ったのだということである。

 

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傍聴記(執筆:小岩信治)

 鄭理耀氏の研究は、ロベルト・シューマンのピアノ曲《パピヨン(蝶々)》作品2(1832年出版)の成立過程を明らかにしようとしたもの。この作品を構成する序奏と12曲の小品が、出版用版下に見られる「完成稿」に至るまでそれぞれ独自のプロセスを経ており、各曲が完成してゆくにつれて曲集全体の構成(曲順)が組み替えられていったとみられることなどが報告された。1830-32年のスケッチ帳 Studien- und Skizzenbuch など作曲者による原典資料にあたることで、それらの順序を「内容が完成稿に近いものほど[……]完成稿に近い」という基準で示したことは一つの成果と言えよう。

 しかし氏の研究成果を正確に把握できるためにも、先行研究との関係をもっと精密に示すべきであったと筆者は考える。例えば各曲について多様な資料が存在することはMcCorkleの作品主題目録(2003)に報告があり、当日の配布資料左ページの情報はほとんど参照できる。そうした各データではなく、資料間の成立順の仮説が中心的な成果だとしても、成立経緯について先行研究が全く沈黙しているはずはなく、筆者がその後確認できただけでもMayeda 1992には例えば第1曲の成立への言及があり、この曲について発表者が示した「成立過程」はすでに示されていたと言える。少なくとも発表要旨にある「《蝶々》に関する[……]シューマンの自筆資料[……]の存在自体あまり注目されていない」という意見には疑問を抱く。もしかするとこのフレーズは「日本語の文献では」ということかもしれないが、そうした限定はこのテーマの場合に有効だろうかという問題があるし、例えば《8つのポロネーズ》との関係は日本語でも紹介されている。

 

 

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修士論文4

干渉し合うオペラ演出

―シュトゥットガルト州立歌劇場におけるワーグナー《ニーベルングの指環》公演を例に―                                    

            舘 亜里沙 (東京芸術大学大学院)

 

オペラは、テクストと音楽が拮抗している点において、劇場芸術の中でも特殊なジャンルである。オペラにおけるテクスト/音楽間の解釈の在り方は、常に現代のパフォーマーや観客に対して開かれているため、演出は常に一つのオペラ作品に対して無数に存在しうる。それら複数の演出は、必ずしも演出家の意図していないところで、互いに各々の作品観を、同時代の社会の様相を反映しながら、ある時はぶつけ合い、ある時は引き寄せ合っている。この作用は、観客や彼らの属する社会の中での作品像形成において、ある一通りの演出が持ちうるものとは別種の力を発揮する。本研究ではこの作用をオペラ演出の「干渉」と称し、そのプロセスを具体的に解明することを試みる。

 本研究の事例として、私はシュトゥットガルト州立歌劇場において1999年〜2000年に新演出上演された、ワーグナー《ニーベルングの指環》(以下《指環》と略記)公演を採り上げた。シュトゥットガルト・リングという通称で知られる本公演は、当時、同歌劇場の総支配人であったクラウス・ツェーラインの提唱のもと、《指環》四部作をそれぞれ別の演出家が担当して上演したものである。四つの異なった様相の舞台を一つの総体として上演する本企画は、演出の干渉作用を詳細にわたって考察するのに適している。

 本発表前半では、私が「干渉」と称するところの、オペラ作品とそれを取り巻く諸々の演出との関係性について論じる。「干渉」という用語は、物理学において、複数の波動が互いに影響し合って新しい波動を形成する現象を指す「波の干渉」から援用した。この用語を採用した理由は、1つ目に、複数の波動が互いに強め合ったり弱めあったりする様相が、あるオペラ作品について複数の解釈が互いに作用し合う様相に、非常に類似していること、2つ目に、このオペラ作品とその演出をめぐって起こる現象が、演出家をはじめとする当事者達の意図とは別の次元で自然発生的に起こることからである。さらに本発表では、波動を認識可能なものにする媒体としての劇場、波動を認識している存在としての観客にまで視野を広げることによって、演出と社会との関係性について論じる。

 本発表後半では、前半で論じた内容をシュトゥットガルト・リングの演出解釈へと応用する。シュトゥットガルト・リングの四演出は、各々が独立した舞台として成立しているだけではなく、チクルス内で干渉し合うことによって、オリジナルの設定とは別のナラティヴを形成する。そのナラティヴは、劇場にいる観客をも巻き込むものであり、シュトゥットガルト・リングと観客の属する社会との相互作用を示唆している。このようなナラティヴ形成は、≪指環≫上演史に登場してきた様々な演出の間で起こっているプロセスであり、演出によって、オペラ作品が現代社会における新たな意義を獲得しうることを、検証していると言える。

 

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傍聴記(執筆:山本まり子)

 

19992000年にシュトゥットガルト州立歌劇場で新演出上演された《ニーベルングの指環》では、四部作の演出家が個々に異なるという斬新な試みがなされた。そこに着目した舘氏の研究は、四作の演出間に働く相互作用が新たな作品像を形成するとしたうえで、そのプロセスを追究したものである。氏はこの作用を、物理学用語を援用して「干渉」と呼ぶ。「干渉し合うオペラ演出」という題目は、個性的な四作間の関係性を考察する出発点を示すと同時に、共時的に展開される各地の《指環》の影響関係、さらには《指環》像の変容を通時的に探る際の貴重な視点を提示していると言えよう。

 確かに「干渉」は有用な語であるが、多面的に捉えることも可能なだけに、劇場、社会といった語とあわせ、より明確な概念規定を行わないと、イメージ優先の漠然とした説明にとどまりかねない。また、四作のプルミエがちょうど1年以内に行われたことに鑑みて、演出家同士がどの程度「干渉し合う」余裕があったのか疑問が残る。さらに、発表時間の制約があるものの、トーキョー・リングへの干渉作用についての説明がよりスムーズに行われたなら、フロアの理解も深まったであろう。質疑応答では、これらの点が指摘された。

日本音楽学会の研究会でワーグナーの演出論が展開されるのは珍しいと記憶する。舘氏の発表は課題を含みながらも、音楽劇の研究に音楽学からのアプローチが不可欠であることを再認識させてくれた。

 

 

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修士論文5

古楽運動の影響によるモダン・オーケストラの弦楽器奏者のヴィブラートの変化

現代演奏史における美的価値基準の変遷のメカニズムの一端を探る

 

黒川 照美 (東京芸術大学院)

 

 20世紀後半以降の西洋音楽演奏史における大きな特色の一側面として、「古楽運動の影響により、モダン楽器奏者の演奏習慣が変化したこと」が一般に認識されている。また、そのような経緯で変化した彼らの演奏習慣の代表例の一つがヴィブラートであり、彼らのヴィブラートが「古楽運動の影響で控え目になった」ということも、広く知られている。

 「古楽運動の影響」に言及するこれまでの先行研究は、そうしたヴィブラートの変化に関して、1970年代後半以降、モダン楽器奏者が「歴史的演奏習慣」の再現を、「史実に基づいている」という説得力を自らの演奏に与える手段として考えるようになった結果であると論じてきた。「歴史的演奏習慣」を取捨選択するようになった結果、彼らは「ヴィブラートを装飾として選択的に用いる」という「歴史的演奏習慣」を採用し、従来の「常にヴィブラートをかける」という習慣を変化させたというのである。

 しかし、これらの先行研究には、事実としてのヴィブラートの変化を立証したデータが不足し、モダン楽器奏者自身による証言が欠如している。そこで、本論文においては、モダン・オーケストラの弦楽器奏者のヴィブラートの変化を例に、その変化の詳細な実態を明らかにした上で、モダン楽器奏者側の視点から、奏法の変化をつかさどる美的価値基準の変化及び、それらの変化を引き起こした要因について検証することを目的とした。

 調査の結果、20世紀後半以降のモダン・オーケストラの弦楽器奏者のヴィブラートは「控え目になる」という変化自体は事実として立証され、「バロックから古典派までの作品の演奏においては、ヴィブラートの幅が狭まり、頻度が減少した結果、控え目になっている」という、さらなる詳細な実態の解明が達成された。

しかし、美的価値基準の変化に関しては、古楽的アプローチを採用するのは「感覚的に『良い』と感じるものを選択している結果」だという、上記の先行研究内の見解とは異なるモダン楽器奏者の証言が得られた。さらには、モダン楽器奏者自身の中には、自らの演奏習慣の変化が「古楽の影響」によるものではないと考えている演奏者も存在することが、本論の調査により確認された。

 本研究は、ヴィブラートの変化の実態を詳らかにしたと同時に、20世紀後半以降における西洋音楽演奏史観に対する新たな見方を提示するものである。今後、20世紀後半以降のモダン楽器奏者の演奏習慣の変化が生じた理由は、モダン楽器奏者側の視点という新たな観点を付け加えた上で、見直される必要があるだろう。また、変化をもたらす要因については、「古楽運動の影響」をあくまで一因として捉えた上で、演奏技術外的な要素との関連も踏まえて、多角的な視点から考察されなければならない。

 

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傍聴記(執筆:小岩信治)

 黒川照美氏の研究は、「モダン・オーケストラ」がいわゆる「古楽運動」の展開とともにどのように変化したのかを、ヴィブラートの使用法を切り口に問うもので、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の録音・映像資料の比較と、在京オーケストラの首席レヴェルの弦楽器奏者に対するインタビュー調査を論拠としている。この問題に関してオーケストラの演奏を検証する試みは、質疑の中で指摘されたとおり研究全体の論理構成という点では疑問が残るが、重要な挑戦であることは間違いない。また、音響解析ソフト「ソニック・ヴィジュアライザ」について、示されたデータを見る限りこの種の問題の考察で活用する可能性が示されていたように思う。

 質疑のなかで筆者に重要と感じられたやりとりは2つ。まず、「モダン・オーケストラ」と「古楽」の演奏家が対置されていたが、演奏者の現実に鑑みた場合両者に根本的な違いがあるのかどうか。「史的資料を参考にすることはない」のは、確かに発表で紹介されたように「モダン・オーケストラ」奏者の傾向かもしれない。しかし「古楽運動」の演奏者のほうは、むしろ誠実に過去と向き合う演奏者ほど、資料がすべてを解決するわけではないこと、歴史資料を「参考にできない」ことを知っており、両者は近づいてゆく面がある。第2に、「モダン・オーケストラ」の演奏者が「古楽運動」からの影響を否定したことが紹介されたが、今回のようなインタビューにおいて、本来的にオリジナリティーが求められる音楽家にとって「○○に影響を受けた」と答えることはそもそも難しかったのではないか、という点である。