東日本支部通信 第七号 電子版

(第7回定例研究会 発表要旨および傍聴記)

第7回定例研究会
: 2012324() 午後2時〜5
: 秋田大学 教育文化学部 3号館150教室
(
010-8502 秋田市手形学園町11
 「秋田」駅東口より徒歩約15分、
 または「秋田駅前」西口4番バス乗り場より 6)
:  武内 恵美子 (秋田大学)

<
研究発表>
1.
ドイツ語圏における『音楽遺産』刊行の戦後
 バイエルンとオーストリアの場合
朝山 奈津子(弘前大学)

2.
ラヴェルとドビュッシーにおける初期イスパニスムの比較研究
 関野 さとみ (桐朋女子高等学校音楽科)

3.
根笹派錦風流尺八における「コミ吹き」奏法の分析
 弘前藩における武士の音楽文化の特質としての根笹派錦風流
下田 雄次 (弘前学院大学修士課程)

4.
明治期唱歌集における西洋曲
何をモデルとし、どのように展開したのか
 長谷川 由美子 (国立音楽大学図書館)

 

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研究発表1:

ドイツ語圏における『音楽遺産』刊行の戦後

――バイエルンとオーストリアの場合

 朝山奈津子(弘前大学)

 

【発表要旨】

ドイツ語圏において「音楽遺産」をタイトルに含む楽譜叢書刊行は、19世紀末に始まり、現在まで途切れることなく続けられている。しかし120年を越える期間の中で、かの国は2 の世界戦争を経験し、国家体制も国境線も大きく変化した。本研究は、「音楽遺産」刊行事業がこうした歴史から受けた影響について調査するものである。各巻 の序文から収載作品の音楽史上の意義に関わる記述を拾い出し、これを収載理由とみなした。また、収載された楽曲のジャンル、編成、作曲家の出身地や所属す る楽派の傾向を調べ、どのような作品ないし作曲家が「音楽遺産」と価値づけられているかを分析した。

発表ではまず、ナチス・ドイツによってDTBDTÖEDMに吸収され、戦後ふたたび独立、観光を再開した経緯を整理した。

DTB1967年から2010年までに19巻と特別号2巻が刊行された。戦前のDTBには「ニュルンベルク楽派」と「マンハイム楽派」の2つの柱があった。「ニュルンベルク楽派」とは中北部ドイツのシュッツやバッハの教会音楽は、16世紀後半のニュルンベルクに源流がある、と唱えるもので、J. S. バッ ハへの対抗意識の表れといえる。戦後はニュルンベルクへの関心は薄れ、変わってラッソ時代のミュンヒェン宮廷の音楽を多く取り上げた。「マンハイム楽派」 は継承されたが、戦後のシリーズではカール・テオドールのミュンヒェン遷都後の音楽に焦点を当てた。そして、マンハイム楽派はウィーン古典派の先駆けであるだけでなくミュンヒェンの音楽史と密接に繋がっていることが示され、これまで空白になっていた盛期古典派のバイエルンの音楽が浮き彫りとなった。

DTÖは早くも1947年に再開し、2010年までに72巻の成果を出している。戦前はG. アドラー(1855-1941)の一貫した主導のもと、多民族国家オーストリアの普遍性と多様性を音楽の中に見出すことが目的であった。戦後のDTÖ また、こうした論調にほとんど揺らぎがない。ただし、帝都の音楽だけでなく、グラーツ、インスブルックなどウィーンと密接な関係を持ちつつ南方からの文化 輸入の窓口となった都市にも目を向けた。戦前と異なる点は、フランスのリュリの影響と前古典派に対する見方である。戦前はフランス流の管弦楽組曲の影響を 重要視したが、戦後の論調では、リュリスムはイタリアの要素との折衷によってウィーンで発展をみた、と語られる。また、前古典派の器楽はほとんど顧みられ なくなったが、かわってイタリア流のヴァイオリン・ソナタやコンチェルト・グロッソが多数取り上げられるようになった。

総括として、DTBは戦後、19世紀以降の新しいジャンルにも目を配り、全体に収載作品の年代の幅が拡がるのに対して、DTÖ16世紀後半から18世紀後半に対象をせばめ、古典派より後のジャンルを顧ない傾向にあることを指摘した。

 

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【傍聴記】(執筆:佐藤望)

 日本 音楽学会の東日本支部が新しい歩みを初めて2回目の東北・北海道地区
での例会は、秋田で開かれた。東北・北海道地区の各地の大学には、それぞ
若い世代の研究者たちが赴任するようになっており、弘前大学で研究を続ける朝
山奈津子もそのひとりである。毎年2回開かれる東北・北海道地 区での東日本
支部での例会が、こうした若い世代に牽引されていっていることは、とても喜ば
しいことである。
 秋田例会での最初の発表として、朝山が行った発表「ドイツ語圏における『音
楽遺産』刊行の戦後−バ イエルンとオーストリアの場合」は、朝山が近年続け
てきたデンクメーラー(歴史的音楽の選集)研究の一環をなすものである。デン
クメー ラーには、編集員会や校訂者の歴史観が反映されるということを前提
に、それらの序文や校訂報告から、彼らの音楽史観とは、どのようなものであっ
たというこ とを分析しようとする一連の研究である。音楽史における音楽家同
士の影響関係、様式の移入、その混合、発展といった現象 の解釈は、どの資料
を実際に見て、どの資料を重視するかということに、大きく影響するという事実
を、客観的なデータに基づいて明らかにす るという点において、彼女は興味深
い結果を提示してくれている。これらの結果は、我々が音楽資料、とりわけ校訂
された音楽資料を見る際 に、漠然と持っていた印象を、データ・ベースドに明
示化してくれている。
 こうした研究 は、ますます方法、対象、価値観が多様化し、拡散する音楽学
という学問を、歴史的に見直す一助となるであろう。朝山の一連の作業が、様式
批判そのものや内 容合致の検証を、対象から除外していることは当然正当化さ
れるものであるが、そのことを除外することによる限界が一連の 研究から見え
てきていることも事実である。過去の音楽観の形成が、現代の音楽観の形成と連
続しているという事実の確認から、我々がどのよ うな音楽的また学問的価値を
過去の音楽に見いだすかという根本の問題に一つの指針を与えてくれるような研
究に発展することを期待したい。

 

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研究発表2:

ラヴェルとドビュッシーにおける初期イスパニスムの比較研究

関野 さとみ (桐朋女子高等学校音楽科)

 

 【発表要旨】

本発表は、スペイン的要素(イスパニスム)が認められるラヴェル(1875-1937)とドビュッシー(1862-1918)の初期の楽曲を分析、比較することによって、両者の独自の語法形成と発展に、イスパニスムがどのような影響を与えたのかを探る試みである。1920世紀初頭の近代フランス音楽にみられるイスパニスムの流行において、ラヴェルとドビュッシーは、19世紀的なエグゾティスムの系譜を離れた、それぞれ独自のイスパニスムを示した。ラヴェルとドビュッシーのイスパニスムに関しては、主にラヴェルの≪ハバネラ≫(1895)がドビュッシーの音楽語法に与えた影響を中心に、Falla1920)やLe Bordays1986)をはじめとするいくつかの先行研究で論じられている。しかし、詳細な楽曲分析によるイスパニスムの語法の比較や、それぞれの独自の語法形成にイスパニスムがどう位置付けられるのかまでを視野に入れた考察は、いまだ十分になされていない。

発表では、まず当時のフランス人作曲家にみられるイスパニスムの楽曲創作史において、ラヴェルとドビュッシーのイスパニスムがどのように位置付けられるのか 検討する。次にラヴェルとドビュッシーの言説などから、民族的な音楽素材に対する両者のアプローチの相違を考察した上で、両者の音楽語法上のイスパニスム が認められる楽曲群のうち、比較的作曲年代の近い初期の楽曲――ラヴェル≪ハバネラ≫、ドビュッシー≪リンダラハ≫(1901)などを取り上げ分析する。楽曲におけるスペイン的素材の扱いを比較し、スペインの音響的イメージの構築が、両者の音楽語法に与えている初期の影響と、その影響の差異性を探る。

考察を通じて、以下のことを明らかにした。ラヴェルとドビュッシーにおける語法上のイスパニスムをめぐっては、両者の共通点や影響関係という以前に、そもそも自らの語法の一部として、いわば「(擬似) 発的」に形成され発展したイスパニスムと、自らの語法の「外部へのまなざし」としてスペインに接近する「外発的」イスパニスムという相違があること、つま り語法の形成過程においてすでに本質的な相違があることが確認される。発表では、ラヴェルのイスパニスムの擬似内発性とドビュッシーのイスパニスムの外発 性が、両者の初期にあたるイスパニスムの楽曲群を分析することによって、とくに旋法やリズム定型の扱いの相違において、具体的な音楽的現象として外的に観 察され得ることも示す。

イスパニスムがラヴェルとドビュシーの音楽語法に与えた影響、そして両者におけるイスパニスムの位置付けは、その初期から本質的に異なるものだった。このイ スパニスムの語法の形成過程における「(擬似)内発性」と「外発性」という相違は、後の両者にみられるスペインの音響的イメージの構築や独自の音楽表現に も、それぞれ異なる影響を及ぼしていると考えられる。

 

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【傍聴記】(執筆:平野昭)

 この研究の目的として関野はラヴェルとドビュッシーの楽曲中に見られる特徴的なスペイン的要素を抽出して、両作曲家の「スペイン」へのアプローチの相違と、それらが両者の音楽表現にどのような形で結びついているかを探ることと、その上で両作曲家におけるイスパニスムの位置づけ、一般に近代フランス音楽に見られる「エグゾティスムの一側面」としてひと括りに論じられがちな「イスパニスム」を新しく捉え直すこととしている。関野は、本研究で「イスパニスム」そのものとしている「スペイン的要素」の相違や多様性を明らかにするために、フランス人作曲家がイスパニスムを表現する楽曲創作に見られる「4種」の「アプローチ型」という視点を設定している。A型=想像的模倣(スペインに行った経験なしに、知りえた情報によってスペインを「模写」する作曲家)。B型=フィールドワーク(実際にスペインで見聞した素材に関心をもって、作品に活用しようとする作曲家)。C型=血統(親や親戚、祖先にスペイン系の血統をもつ作曲家)。D型=想像的創造(A型と基本的に近いが、スペイン的素材の表層的で安易な引用や描写に囚われるのではなく、独自の方法論でスペインを喚起させる音響的イメージを創作する作曲家)。関野はC型としてラヴェル等、D型としてドビュッシーを想定しているが、これら4つのアプローチ型はすべての型の一部が重なりあう円図で示されている。

 こうした前提に基づき関野は具体的イスパニスムの特徴を4つの要素として挙げている。

@リズム(2拍子系:タンゴ、ハバネラ、3拍子系:ボレロ、マラゲーニャ、セギディーリャ、ホタ、4拍子系:ファルーカ、5拍子系:ソルツィーコ他)。A旋法(アンダルシア旋法、譜例:C- Des- Es(あるいはE)-F- G- As- B- Cで第3音はひとつの旋律内でEsEの両音を用いる場合とどちらか1音の場合がある)。Bメリスマ風装飾(連続トリル音形による旋律進行)。C楽器の奏法効果の模倣(打楽器やギターの奏法模倣:ラスゲアード奏法やアンテアード奏法、サパテアード奏法、パルマス奏法等)。そして、ラヴェルの《ハバネラ》とドビュッシーの《グラナダの夕べ》をアプローチ型とイスパニスム特徴4要素の面から分析した。その結論としてラヴェルではイスパニスム素材の「(擬似)内発性」が窺え、アプローチ型では「C型+D型」に分類、ドビュッシーではイスパニスム素材の「外発性」が窺え、素材を自由に扱いながら「単純化」「内面化」「普遍化」のプロセスが見られ、アプローチ型は「A型→D型」という違いが明らかにされた。

 しかし、問題は関野が問題にしている「イスパニスム」の定義が明確でないことだ。配布資料に19世紀のイスパニスム楽曲一覧表があったが、ビゼーの《カルメン》が含まれているのは頷けるが、そこにベートーヴェンの《フィデリオ》やシューベルトの《アルフォンソとエストレッラ》など、どう考えても曲名や場面設定以外の音楽内容からスペイン的な要素は感じられないものが多く含まれており、やはり、「イスパニスム」の定義が欠かせない。今回の楽曲分析結果がもたらしたものが仮にイスパニスムの本質であるとするならば、それは単に民族主義的特徴や性格をもった素材の引用あるいは利用でしかなく、従来言われてきた「エグゾティスム」概念で捉えられるものとの説得力なる区別化にはならない。昨年第62回全国大会で発表された内容から大きな進展が見られなかったのは極めて残念だ。

 

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研究発表3:

 

根笹派錦風流尺八における「コミ吹き」奏法の分析

―― 弘前藩における武士の音楽文化の特質としての根笹派錦風流 / 「音楽的な禅としての尺八吹奏」―― 

               下田雄次(弘前学院大学大学院) 

 

【発表要旨】 

根笹派錦風流尺八(以下、錦風流尺八)は、江戸時代後期(文政元年一八一八)より青森県の弘前市を中心として伝わる古典尺八であり、普化尺八に由来する。 江戸時代において斯流は、弘前藩士(武士→音曲の専門家ではない人々)によってのみ受け継がれ、武士の教養と鍛錬として行なわれたとされている。そのため 御家流とも呼ばれた。

錦風流尺八における独特な奏法の一つに「コミ吹き奏法」がある。コミ吹きは「短く、強い息の吹込みを断続的に行なう」というもので、腹部の充実感をともなう 深い呼吸(通称・ハラ呼吸)を基本とする。このような呼吸法を行なう錦風流尺八には、武術的な心身を養成する機能がうかがえる。それは@全身のバランスを 保った吹奏の構え(腰を据えた構え)A腹部の充実感をともなう深い呼吸(ハラ呼吸による精神の安定)B吹奏への没頭(精神の統一)などである。これにより 「腰の入った身体の構えや動作。それによる武術的な肩の使い方」「ハラ呼吸による深い呼吸」「何事にも捉われない心のあり方」という武芸における重要な能力を修練できる。

「腰を据えた身体使い」や「深い呼吸による精神の安定」等を体得する修練法は尺八以外にも存在する。それは坐禅である。坐禅では「心身が調和し、精神が統一さ れた状態・禅定」に入る準備として「体を調える」「息を調える」「心を調える」ことを重視する。日本では鎌倉時代より多くの武士が武芸鍛錬の一環として禅 の修業を行なった。禅を取り入れた武芸伝書として、江戸初期の沢庵宗彭(臨済宗)による『不動智神妙録』が知られる。弘前藩でも武芸と禅の繋がりがある。 その一例は「林崎新夢想流居合」という武芸である。

先述の通り、錦風流尺八は普化尺八に由来し、普化宗では尺八吹奏を禅の修業とする(吹禅)。弘前藩の武士にとって錦風流尺八の吹奏は音楽的な禅とも言える行 為であったと言えよう。彼らは錦風流尺八に禅の効用を見出し、さらにはコミ吹きと言う独特の呼吸法を発展させ、これを武芸鍛錬の一環として行なっていたの ではないか。先に述べたような武術的な心身からは独特の美意識が発生する。錦風流尺八は武芸の鍛錬法としてだけでなく、武士の美意識や教養を養う意味にお いてもその機能を発揮したことであろう。

研究では、錦風流尺八におけるコミ吹き奏法の特質を明らかにする(感覚的に認識される奏法の特質を、コンピュータソフトを使用した音量・音高変化の図式化 により分析した。)その上で、弘前藩の武士の音楽文化としての錦風流尺八の特質について、武士の身体文化や精神文化を見据え、具体的に古武道の伝承や古流 武術の身体技法なども参照しながら考察を試みる。

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【傍聴記】(執筆:武内恵美子)

 

下田氏の発表内容は、弘前市を中心に伝わる根笹派錦風流尺八の一つの奏法である「コミ吹き」について、武道との関連性を視野に入れながら、禅との共通点や武士の美意識等とも絡めて考察されたものであった。コミ吹きとは、強く長い吹き込みの後に短く強い息の吹き込みを断続的に行うものである。その演奏は、武士にとっての基本的かつ重要な身体能力や精神力と密接に関連し、さらに尺八の音が武士の美意識を暗喩するという、興味深い内容であった。

発表に続いて方法論や分析方法についてアドバイスされた他、武芸や精神鍛錬との関連性は全国的に見られるのかという質問や根笹派の源流について、禅との共通点について等、会場から様々な質問が提示された。また、江戸時代の伝承の形態や楽譜について、弘前藩の他の音楽文化との相違点について、弘前で伝承が残った理由等、弘前に関連した質問も多く出されるなど、大変活発な質疑応答が行われた。

今回は関東支部と東北北海道支部が合併して東日本支部が成立してから2度目の旧東北北海道地区での例会であり、特に応募による発表形式は今回が最初であった。そのような場で地域に根差したテーマの発表が行われたことを大変嬉しく感じた。また若手の下田氏にとっても、様々なアドバイスや質疑応答を通して、今後の研究に生かせる知見を得ることができ、有意義な機会であったように見受けられた。今後もこのような発表が数多く行われることを期待したい。

 

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研究発表4:

明治期唱歌集における西洋曲

−何をモデルとし、どのように展開したのか−

長谷川由美子国立音楽大学付属図書館 

 

【発表要旨】

この主題については既に音楽学の昨年11月号で「「文部省買入楽譜」と明治期出版唱歌集における西洋曲」と題してその一部を論じている。

今回の発表では最初に、新たに見つかった資料や内容の確認できた唱歌集を2項目に分けて述べる。まず、明治期の唱歌集や資料集、あるいは雑誌の出版広告に掲載された外国唱歌集の正しい書名や出版事項、国内での所蔵、あるいはネットでの内容公開を述べ、その後国内の機関が所蔵している欧米唱歌集を紹介する。全部で22タイトル、31冊である。

  唱歌集名はハンドアウトで配布するが、その特徴は1)教会に関係した出版物が多い。2)幼稚園、大学やカレッジ等、教育機関で使用されるための唱歌集があ る。3)英語圏の出版物が多い。4)購入年についての情報は不足している。5)政府機関ではなく、各教育機関や個人が取次店を通して購入できた唱歌集であ る。

1)と2)は「文部省買入楽譜」と共通するが、3)4)5)は、「文部省買入楽譜」とは異なった特徴である。

2番目として 明治期の日本の讃美歌集に掲載された曲と唱歌の関係を取り上げる。明治期讃美歌・聖歌集成』掲載の讃美歌と比較したところ、166旋律、約一割が「文部省買入楽譜」やその他の欧米唱歌集所収の旋律と一致している。166旋律のうちまったく同じ楽譜は72旋律で、46旋律53曲は讃美歌に由来する曲であり、28旋律41曲は、讃美歌集だけでなく他の欧米唱歌集掲載の旋律と全く同一である。2つの旋律について例を挙げる。

3番目は「文部省買入楽譜」やその他の欧米唱歌集の影響を述べる。明治期唱歌集掲載の日本語歌詞を持つ1539旋律中、55%の旋律が「欧米唱歌集」中に掲載され、多くの歌詞で変遷した曲ほどこれらの楽譜群の旋律を使用している。また、明治期唱歌集への掲載の有無は「文部省買入楽譜」を含む「欧米唱歌集」の存在が大きいが、このことを数例で証明する。

最後に. 本での詞と旋律の異同を取り上げる。原詩と関係のない「作歌」が詞の大部分を占めていることは定説であるが、原曲とは関係のない詞は欧米唱歌集にも例があ り、その結果、作歌と思われていた詞も欧米唱歌集をモデルとした例をドイツ民謡≪もみの木≫他、いくつかの例で検証する。

一方、旋律は、6以上の異なった歌詞で変遷した46の旋律による合計354 について各唱歌の楽譜モデルを確定し、また日本における旋律の相関関係を明らかにする。その結果、明治期唱歌集中の旋律は、「欧米唱歌集」や讃美歌集に出 典を持っているか、また原曲を参考にしたかに強く影響を受けること、旋律のコピーは日本の唱歌集に掲載された既出旋律ばかりではなく、欧米唱歌集に戻って 行われていた事もあったと結論付けられる。

 

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【傍聴記】(執筆:武石みどり)

長谷川氏の発表は、『音楽学』第571号掲載論文の発表後に確認した新たな資料を中心とする報告であり、明治期に日本に入ってきた欧米唱歌集と日本で出版された日本語唱歌集との関係に加えて、書誌の確認できた欧米唱歌集(文部省買入楽譜を含む)の重要性や日本語唱歌集の中での同旋律の異同や歌詞の出典の問題についても言及された。

明治期の問題を扱う際には、カタカナ書きのタイトルや人名の原綴を照合するだけでも大変な時間と労力を要する。長谷川氏の丹念な資料探索によって、日本語唱歌集に大きな影響を及ぼした欧米唱歌集22種を新たに確認できたことは、洋楽導入史研究の展開に大きく貢献することとなろう。今後の方向性として、新たな資料の探索・曲名の照合と並行して、文部省と東京音楽学校蔵書のみならず、洋書・楽譜販売店、各地の師範学校やミッションスクール関係にも視点を広げていくことがフロアから指摘された。

発表内容と量が多めであったため、全体的に速い口調で発表が進められ、細かい点まで充分に理解することは難しかった。特に、唱歌集数○冊、唱歌数○曲、旋律数○、全体の○%といった数値の列挙が、かえって聞き手に混乱を招きかねないと感じた。発表の手法として、配布資料の該当部分をこまめに示す、グラフを用いる、等の配慮があれば聞き手の理解度はさらに高まったであろう。