東日本支部通信 第41号特別号(2016年度 第6号特別号)

2016.10. 18. 公開 2016.11.08 傍聴記公開

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東日本支部 特別例会

ガスパール・カサド没後50年原智恵子没後15年記念祭 記念シンポジウム
「玉川大学教育博物館所蔵 ガスパール・カサド及び原智恵子関係資料の意義 〜カサド作品の演奏付〜」
                             
日時:2016年10月22日(土)午後2時~5時
会場:University Concert Hall 2016  (第1部 106教室・第2部 Marble(大ホール))
主催:玉川大学教育博物館
共催:日本音楽学会東日本支部
協力:京都市交響楽団・玉川大学芸術学部
後援:文化庁・スペイン大使館・全日本音楽教育研究会大学部会
内容:
【第1部】 基調報告・ラウンドテーブル
1. 基調報告:「ガスパール・カサド及び原智恵子関係資料の概要」
             栗林あかね(玉川大学教育博物館)
2. ラウンドテーブル:「音楽家の資料整理と保存 ~カサド・原関係資料の意義~」
パネリスト:堤 剛(ゲスト/チェリスト・サントリー芸術財団代表理事・日本芸術院会員)
       津上智実(神戸女学院大学)
       星野宏美(立教大学)
岸本宏子(昭和音楽大学)
       林淑姫(旧日本近代音楽館事務局長・主任司書)

【第2部】 実演付き解説・演奏 
3. 実演付き解説:「《アルペッジョーネ・ソナタ》と《アルペッジョーネ協奏曲》」
解説:土居克行(ゲスト/作曲家)
演奏:ベアンテ・ボーマン(ゲスト/元東京交響楽団首席チェロ奏者)
    栗林あかね
4. 演奏:ガスパール・カサド作編曲作品【世界初演】
(1)J.S.バッハ作曲 ガスパール・カサド編曲によるチェロ四重奏曲版
《Wer nur den lieben Gott lässt walten》(ただ愛する神の摂理にまかす者)BWV691
(2)ガスパール・カサド作曲《チェロ四重奏曲》より第1楽章
演奏:堤 剛
      ベアンテ・ボーマン
      ドナルド・リッチャー(ゲスト/京都市交響楽団チェロ奏者)
      香月圭佑(ゲスト/東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団チェロ奏者)


【シンポジウム趣旨】(栗林あかね)

 本年2016年は、20世紀を代表する世界的音楽家・チェリストのガスパール・カサド(Gaspar Cassadó, 1897-1966)の没後50年であると同時に、その夫人で国際的に活躍した日本人女性ピアニストの草分けである原智恵子(1914-2001)の没後15年にあたる。玉川大学教育博物館では、本年10月に「カサド・原コレクション目録」の刊行とデータベースの公開を行い、また「カサド夫妻の音楽活動の再評価」とし、日本音楽学会との共催により学術的な意義を検討するためにシンポジウムを行う。なお、翌日には記念演奏会(カサド作曲のチェロ協奏曲の日本初演を含む)、そして4か月間にわたる特別展も開催する。
 玉川学園は、1990年に原とその家族によりカサド夫妻の膨大な音楽を中心とする資料の寄贈を受けた(以下「カサド・原コレクション」)。楽譜の中には、メンデルスゾーンやレスピーギの自筆譜などの貴重楽譜に加え、カサドの自筆による編曲譜なども数多く存在する。出版譜においても、ベートーヴェンをはじめとする初版もしくはそれに近い時代の資料が含まれる。演奏会プログラム冊子は、カサド夫妻を中心とする、同時代の音楽活動を知るきわめて重要な物証となる。
 資料は、玉川大学教育博物館で所蔵することになり、当館が基礎的な整理を行ってきた。その成果も踏まえ、1997年には、カサド生誕百年祭を開催し、一部の楽譜の出版も行った。2012年4月には、『「ガスパール・カサド及び原智恵子関係資料整理・調査プロジェクト」委員会』を発足させた。
 本シンポジウムでは、最初にカサド・原コレクションについての目録冊子およびデータベース作成についての経緯説明と基調報告を行う。ラウンドテーブルにおいては、カサド・原コレクションの意義について、現役の音楽家、音楽資料の専門家らパネリスト5名それぞれの視点から評価を試みる。第2部では、カサドが作編曲した《アルペッジョーネ協奏曲》を例に、実演を交えながら解説を行い、続けてカサドの作編曲によるチェロ四重奏曲の演奏(世界初演)を行う。
 以上のシンポジウムを通じて、カサドの演奏家としての再評価、そして作曲家としての新たな側面を発見できることを期待している(翌日の記念演奏会につながる)。原智恵子に関しても、日本人女性の草分けとして国際的に活動したピアニストとしての再評価はもちろん、教育者としての側面や、フィレンツェにおけるカサド・コンクールの開催を通じて新たな才能の発掘に力を注いだ側面からも、その歴史的意義を明らかにできればと考えている。
1. 基調報告:栗林 あかね
「ガスパール・カサド及び原智恵子関係資料の概要」
 カサド・原コレクションのうち、目録では、図書、雑誌、楽譜、手稿譜、録音、演奏会プログラムといったカサド・原夫妻の音楽活動に関係する資料を収録した。
 今回の目録では、手稿譜の表記については完全とは言えず、更なる調査・研究が求められる。また、目録刊行と同時にデータベースの公開も行い、その反応を確認しながら更なる改善を図っていく必要があると考える。
2. ラウンドテーブル:堤 剛 / 津上 智実 / 星野 宏美 / 岸本 宏子 / 林 淑姫
「音楽家の資料整理と保存   〜カサド・原関係資料の意義〜」
 ラウンドテーブルにおいては、カサド・原関連資料の意義について、以下の5名の視点から評価を試みる。カサド・原夫妻に実際に会った唯一のパネリスト、堤 剛氏は、夫妻の音楽家としての存在感や印象を述べ考察する。次に、原智恵子が日本で唯一教鞭を執った神戸女学院との関わりと、戦前から活動していた日本人女性演奏家の研究の観点から論じる(津上智実)。続いて、日本で最初にカサド・原コレクションについて発表し、コレクションからメンデルスゾーン楽譜のファクシミリ出版を手がけた実績を踏まえ、貴重楽譜の観点から評価する(星野宏美)。カサド・原プロジェクトに関わるきっかけと原智恵子家族との自身の関係についての思索と(岸本宏子)、最後に、音楽家の個人文庫の取り扱いと目録公開について、音楽書誌学の観点から考察したのち(林淑姫)、パネリストによる全体の討論から、カサド・原コレクションの今後期待される役割について検討する。
3. 実演付き解説:土居 克行 / ベアンテ・ボーマン / 栗林あかね
「編曲者としてのカサド ~ピアノ独奏曲からチェロ作品へ〜」
 1871年に出版されたシューベルト作曲《アルペッジョーネとピアノのためのソナタ》イ短調 D821と、カサド作編曲の《チェロとオーケストラのための協奏曲(アルペッジョーネ協奏曲)》について、「原作」の構成要素の分析と同時に《アルペジョーネ協奏曲》でカサドが巧みに再作曲した部分を、演奏をまじえて解説する。アルペッジョーネの研究者で、その楽器を復元製作された奥村治氏から楽器を拝借し、チェリストのベアンテ・ボーマン氏が解説に添って部分的に演奏する。ピアノは、カサド・原夫妻のフィレンツェの自宅で所有していたスタインウェイを使用する。
4. 演奏:堤 剛 / ベアンテ・ボーマン / ドナルド・リッチャー / 香月 圭佑
J.S.バッハ作曲 G.カサド編曲《Wer nur den lieben Gott lässt walten》BWV691
G.カサド作曲《チェロ四重奏曲》より第1楽章      【2曲とも世界初演】
 カサド・原コレクションの楽譜の中には、カサド作編曲による未発表・未公開作品があるが、この度の調査で発掘されたカサド作編曲のチェロ四重奏曲2曲を、実演奏で紹介する。  


【傍聴記】(上田泰史)

 この日の特別例会は、2日間に亘り催されたガスパール・カサドと原智恵子の没後50・15年記念祭イベントの一環として位置づけられ、その初日に、玉川大学教育博物館(以下「教博」と略記)及び日本音楽学会東日本支部の共催で行われた。前半(基調講演・シンポジウム)と後半(実演つき解説・演奏)に分けられたこの学会は、教博所蔵のカサド・原コレクションの目録刊行及びデータベースの公開を記念し、その学術的意義を問う機会となった。
 冒頭、同大学の野本由紀夫教授、教博館長大西珠枝教授、及び柿崎博孝教授より、挨拶とコレクションの紹介、進行に関する説明がなされた。シンポジウム本編は、教博学芸員の栗林あかね氏による基調報告「ガスパール・カサド及び原智恵子関係資料の概要」で幕を開けた。氏は、資料(図書、雑誌、楽譜〔手稿譜・出版譜〕、録音資料、演奏会プログラム)の分類、各資料の内容や特性にも触れつつ、コレクションの独自性を強く印象付けた。最後に、オンライン・データベースの概要を提示し、報告を閉じた。
続くラウンドテーブル「音楽家の資料整理と保存~カサド・原関連資料の意義~」で登壇したのは、堤剛、津上智美、星野宏美、岸本宏子、林淑姫の5氏で、各々の視点から音楽家の回想や資料の意義を語った。
 堤氏は、登壇者中、生前の夫妻を知る唯一の人物であり、氏の回想はすでに歴史的証言である。氏は、コレクションの重要性、国際コンクールへの夫妻の貢献、カサドと原が出会った経緯、原夫人よりカサドの自作品《無伴奏チェロ組曲》を紹介され、この作品がレパートリーとして定着するに至った経緯、63年にミュンヘンでカサドが審査員を務めたコンクールで、J. クレンゲルの変奏曲(注1)を演奏した時の苦心談と、その時触れたカサドの「温かく」「人間味ある」「ダンディな」人間性などについて語った。
 神戸女学院教授の津上氏は、原が唯一教鞭を執った同女学院における女史の教育活動について報告した。コレクションの受け入れから今日に至る組織的調査の経緯について報告した後、津上氏は、原が教授に就任した1957年からの1年8ヶ月間に、弟子4名が公開演奏会で協奏曲を上演するまでに上達したこと挙げ、教育者原の横顔を際立たせた。更に氏は、原が神戸女学院の教授を引き受けた理由を書簡から読み解き、同女学院出身の母への敬慕に動機づけられていたことを示した。最後に、同女学院の原関連資料から、原・カサドの写真を示しつつ、原が学生の尊敬と憧れの対象となっていたこと、58年のカサド来院などにも触れた。
 立教大学教授の星野氏は、メンデルスゾーン研究の視点からコレクションを評価した。氏は、メンデルスゾーン自筆譜(《最初のヴァルプルギスの夜》作品60)をめぐるコレクションとの邂逅の経緯、ファクシミリ刊行に至るまでの顛末を回想した後、この貴重資料がコレクションの所蔵となった背景と経緯について詳述した。氏は、カサドに当該自筆譜を譲渡したピアニスト、ジュリエッタ・ゴルディジアーニ・フォン・メンデルスゾーン(作曲家メンデルスゾーンの従兄弟の孫に嫁ぎカサドのパトロン兼愛人となった)が独・伊のファシズム政権に加担していたことが、カサドの後のキャリアに暗い影を落とした可能性も指摘し、自筆譜継承の物語が、ファシズムをめぐる音楽家の態度について考えさせられる貴重な事例でもあることも強調した。
 昭和音楽大学の岸本宏子教授は、栗林氏の学生時代の指導教官であり、指導時の回想を交えながら、音楽資料整理における現今の目録法のあり方について報告した。岸本氏は、80年代に英米で使用が始まった標準的目録法AACR2、近年運用が始まったRDA、国際音楽図書館協会(IAML)が考案した目録法を紹介し、IAML式に則り楽譜目録を編纂した実績を踏まえ、今後、音楽コレクションの整理において、複数の異なる目録法の使用をいかに調整していくべきか、という問題を喚起した。最後に、近年、博物館(Museum)、図書館(Library)、記録保存館(Archives)の役割が重複しつつあることに注意が向けられ、教博もまた、記録保存館、図書館を兼ねた機関であるとして、その機能の性質を特徴づけた。
 旧日本近代音楽館事務局長・主任司書の林淑姫氏は、演奏家コレクションの特殊性という観点から当該コレクションを評価した。氏は、日本の音楽図書館における演奏家コレクションの所蔵割合が未だに低い現状の中で、今回の完全な目録の刊行が世界的にも稀有な事例であり、今回の目録刊行が瞠目すべき成果であることを強調した。また、演奏家コレクションにあっては、録音・録画資料、演奏会記録、楽譜(手稿譜、出版譜)、批評など、資料種別が多岐にわたるだけに、当該目録が音楽資料の全領域をカバーし、5千点に上る資料を世界水準の手腕で情報化していることのインパクトを強調した。最後に、文庫が常に受け入れ態勢を整え、継続的に資料の蓄えを増やしていくことの重要性を指摘し、カサド・原コレクションの更なる充実への期待を述べた。なお、シンポジウムでは、質疑応答は行われなかった。
 第2部は、カサドが協奏曲に改編したシューベルト作曲《アルペッジョーネ・ソナタ》の実演つき解説、カサドによるバッハ作品の編曲及びカサド作曲による作品が一曲ずつ演奏された。まず、作曲家土居克行氏とチェロ奏者ベアンテ・ボーマン氏により、奥村治氏が復元した楽器を用いて、チェロとアルペッジョーネの相違(フレットの有無、調弦、音域)が実演とともに示された。これを踏まえて土居氏は、ボーマン氏、栗林氏(ピアノ)とともにシューベルト版とカサド版の楽譜を提示しつつ比較分析を行い、随所に散りばめられた演奏家・作曲家カサドの創意に光を当てた。後半に上演された2作品は、コレクションに属する楽譜に基づいており、世界初演となった。
なお、筆者は教博主催による二日目の演奏会にも出席したが、これまで上演記録が確認されていない、40分に及ぶチェロ協奏曲がクライマックスを飾り、野本教授指揮の下、高い力量を持つ「管弦楽作曲家カサド」としての新たな横顔が浮き彫りにされた。総じて、両日の記念イベントは、学術と演奏実践が有意義に手を取り合い、多面的なカサド・原像が示された点で、国際的にも文化的価値の高いイベントであった。

(注1):《シューマンの主題にもとづくシャコンヌ形式のカプリース》作品43を指すと思われる。


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