東日本支部通信 第39号(2016年度 第4号)

2016.6.12. 公開 2016.8.5. 傍聴記掲載

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東日本支部 第39回定例研究会

 日時:2016年7月2日(土)午後2時~4時
 場所:東京大学 本郷キャンパス 文学部2番大教室
 司会:広瀬大介(青山学院大学)
 内容:皆川達夫先生 講演会 (例会委員会企画)
 題目:西と東との音楽の出会い


【講演要旨】(皆川達夫)

 わたくしは東洋の国に生をうけ、幼少のころから日本伝統音楽に親しんでまいりました。しかし一方では、中世・ルネサンス期のヨーロッパ音楽に関心をよせ、これについていくつかの著作を刊行しております。そういうことからでしょうか、わたくしは西と東との音楽の区別をさほど意識することなく、両者に均等に接することが出来てきたように思います。
 この2、30年ほど、わたくしが16・7世紀のわが国におけるキリスト教音楽の受容の様相を記述し、また筝曲『六段』とグレゴリオ聖歌との関連につき問題を提起してきたのも、そうした姿勢の故ではないかと感じております。わたくしにとっての「西と東との音楽の出会い」につき、思い出すままにお話をすすめてまいります。


【傍聴記】(神戸愉樹美)

 日本の音楽界を切り開かれた先達に教えを乞う例会委員会企画の第三回目は、音楽歴史学者の皆川達夫立教大学名誉教授をお迎えして、ほぼ満席の東京大学本郷キャンパス文学部2番大教室で開催された。質問は書面で受けると伝えられた。講演は耳慣れた透る声で「89歳めでたくもありめでたくもなし」と始まり、生い立ちから激動の時代に何を感じ、いかにテーマと研究方法を見つけたかを熱く説く皆川劇場であった。
 水戸藩士の家に生まれて日本伝統芸能に親しみ謡曲や仕舞を習った。中学生の頃から能楽堂に通い初代梅若万三郎の姿に憧れてと実演、M1)《松風》「〽更け行く月こそさやかなれ~」。歌舞伎にも夢中になり、70歳を過ぎた15代市村羽左衛門の若々しい演技に憧れてと、M2) 《三人吉三》「〽月も朧に白魚の 篝も霞む春の空 … こいつぁ春から縁起がいいわぇ」に「橘屋!」と会場から掛け声。大拍手。一方、洋楽ではベートーヴェンの交響曲に心打たれ、バッハからブラームス等のレコードを買い漁った。洋楽一辺倒の友達からはなぜ日本音楽などを愛でるのかといじめを受けたが、日本の音楽が劣るはずはないと両者に共通する根源を問い始めたときに、生涯を決定する出会いがあった。戦争中のこと、通い慣れた中野のレコード屋の店主に薦められて聞いたグレゴリオ聖歌、パレストリーナの多声楽に電気に打たれたように感動したのである。これらはモーツアルトやベートーヴェンより謡曲や浄瑠璃に近かった。音楽史を学ぼうと志を立てた。
 東京府立八中で戦争を体験。九死に一生を得た瞬間の恐怖から理乙で医者を目指したが、敗戦による無力感に苛まれた。ここで一度は死んだものと思い定め、やりたい音楽に進む決意を固めて文学部西洋史に入り直し、作曲は高田三郎、対位法を柴田南雄に学んだ。共に訳したイエッペセン『(純粋)対位法』は今でも販売されている。1952年にはデ・プレのミサを入手し中世音楽合唱団で歌い始めた。当団は今年で64周年を迎えた。毎週指揮をしながら実際の声で勉強をし、音楽学会(現・日本音楽学会)が設立されると看板貼りや学会誌の編集をした。日響(現N響)の冊子に15回連載したネーデルランドの循環ミサの研究は、交響曲でないのに長すぎると悪評を受けたが、有馬大五郎からはこれからの日本の音楽研究の大きな支えになると評価してもらった。
 3年に亘りNY大学、コロンビア大学に留学。羊皮紙の楽譜解読など音楽学者の姿勢を学び、後にヨーロッパでは、フィルムではなく実物に触れた。1958年帰国し、立教大学に奉職。1961年から中世ルネサンス音楽史研究会(Mrs.)を設立してティンクトーリス『音楽用語定義集』を出版し、現在はグイド『音楽論』の翻訳を続けている。マスコミを通じてバッハ以前の古楽の良さを強調したところ、一流作曲家達から音楽学はだめだと激しく反感をかった。1963年からスイス・ドイツへ留学。1966年から20年に亘りNHKFM「バロック音楽の楽しみ」を服部幸三と一週間交代で担当した。次第に古楽の良さが理解されていった。
 1975年、長崎市にアマチュア合唱団を指導しに行ったときに、また大きな転機があった。県の役人に連れられて隠れキリシタンのオラショに列席して、秘匿されていた曲M3) CD生月島山田の《ぐるりよざ》を聞いた。元歌がラテン語であると即座に悟り『サカラメンタ提要』(1605)と《生月島のオラショ》の研究が始まった。現代の聖歌集にない《ぐるりよざ O gloriosa Domina (栄えある聖母よ)》の原曲を求めて7年間に亘ってヨーロッパ、ヴァチカン、中北米の図書館を探した。そして遂にマドリッド国立図書館で発見した原曲は、キリシタン時代には非公認であったスペインの一地方で歌われていた祈りであった。生月島で400年にわたって祈り続けられたからこそ生き残った音楽に不思議な感激を覚えた。2004年『洋楽渡来考』を出版し、その『再論』(2014)では、日本の誇る《六段》はクレドによるのではないかという問題提起をした。この研究にこれほど夢中になったのは、水戸藩がキリシタンを大弾圧したことへの贖罪からだったのだろう。M4) CDグレゴリオ聖歌《クレド》と《六段》。箏の動きに聖歌の旋律が聞こえないとの批判があったが、本来「ことうた」は歌をそのままなぞるものではなく対旋律である。禁教にも触れるから旋律をはっきり出さないのは当然である。
 ニューヨークから戻るとき、クルト・ザックスから「伝統音楽も西洋音楽もある‘日本’がこれからの音楽研究の中心になる」と予言された。2017年IMS東京大会が「西と東の音楽の出会い」をテーマに開催される。更に「東から西への音楽の出会い」を作らねばならんと念じている。晴れがましい機会に感謝する。拍手喝采、花束贈呈。
 誰もが問われる東西の問題に、鋭い感性と必然に沿って取り組まれた先生に深く共感し、感銘を受け、限りない感謝の念をいだいた。


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