東日本支部通信 第36号(2016年度 第1号)

2016.4.3. 公開 2016.5.9. 傍聴記公開

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東日本支部 第36回定例研究会

 日時:2016年4月16日(土)午後2時〜4時半
 場所:東京藝術大学音楽学部 5-401講義室
 司会:野本由紀夫 (玉川大学)
〈修士論文発表〉
  1. 山代 丞(東京音楽大学大学院)
     カール・ニールセンの交響曲:古典的形式および調性からの乖離
  2. 日下 舜太(慶應義塾大学大学院)
     アーノルト・シェーンベルク《架空庭園の書》:無調声楽曲の形式構成法に関する一考察
  3. 高橋 健介(東京藝術大学大学院)
     16世紀マドリガーレにおけるレチタティーヴォ様式の萌芽:
     デ・ローレとヴェルトにおける全声部の同音反復と情緒の表出
  4. 高倉 優理子(慶應義塾大学大学院)
     黛敏郎《涅槃交響曲》(1958年)と《曼荼羅交響曲》(1960年)の成立過程:
     「Campanology資料」に基づく比較を中心に


1.カール・ニールセンの交響曲
  ―明古典的形式および調性からの乖離―

  山代 丞(東京音楽大学大学院)

 本論文は、カール・ニールセン Carl Nielsen (1865-1931)の交響曲全6曲を対象とし、楽曲分析によりその音楽的特徴を明らかにすること、そしてニールセンの音楽における独自性を明らかにすることを目的とする。
 ニールセン研究で第一人者のロバート・シンプソン Robert Simpsonは、その著書Carl Nielsen, symphonist, 1865-1931 (1979)において、ニールセンの楽曲の多くに「進行的調性」という作曲手法があると述べ、その分析は広く認められている。しかし調に重点を置いた分析であるため、全体の特徴を捉える上で充分に参考とはならない。また、近年の研究としてデヴィッド・ファニング David Fanningの著書Nielsen, Symphony no. 5 (1997)やダニエル・グリムリー Daniel Grimleyの著書Carl Nielsen and the idea of modernism (2010)などが挙げられるが、いずれも交響曲全6曲を取り上げてはおらず、全体的な特徴と変遷を俯瞰するには至っていない。
 以上のような研究状況を鑑みて、本論文では交響曲全6曲を俯瞰し、かつ、形式・調性・オーケストレーションなど幅広い視点で分析を行い、楽曲の特徴とその変遷を明らかにすることを目指した。
 本論文は2章から成る。第1章では対象曲6曲について詳述する。初めに各曲概要として作品目録に記されている情報を紹介し、次に各曲を最初から最後まで通して分析する。第2章の考察では、第1章で楽曲分析することによって見出されたニールセンの音楽的特徴を、形式と調、音の使い方、楽器編成、音楽とタイトルの観点別に交響曲全6曲を俯瞰し、それらに共通する特徴とその年代的変遷を示した。
 形式はほとんどが三部形式あるいはソナタ形式として捉えることができるが、第3番以降では古典的なソナタ形式で捉えることが難しい自由な形式への発展が認められる。調の設定が自由になっていくことによって形式が捉えがたくなるため、古典的な形式から離れていくことと調性から離れていくことは密接に関係していると言える。旋法の用法は、調性の中での使用から、旋法中心の使用へ、さらには独自の旋法を用いるまでに発展している。無調のパッセージが現れるのは第4番以降の特徴であり、12音をほぼ均等に用いるような完全に無調の主題や音型が現れる。楽器編成は第5番以降における多くの打楽器の使用が最も特徴的であると言えるが、それは音色の豊かさを求めていただけでなく、調性の音楽から離れていくことを助けている。特にティンパニの用法は、古典的な用法から多様な用法へと大きく変化した。  以上をまとめると、ニールセンの交響曲の音楽的特徴は全6曲の中で目まぐるしく発展し、各曲が異なる特徴を示していると言える。また、どの音楽的特徴も互いに関連しながら、特に調性から離れていくことと関係している。すなわち、ニールセンの交響曲6曲に見られる多様な音楽的特徴は、「古典的形式と調性から離れ、調の可能性を広げていくこと」と取り組んだニールセンの独自の軌跡を示すものであると言えよう。


【傍聴記】【傍聴記】(佐野旭司)
本発表ではカール・ニールセンの交響曲の様式変遷を見ることにより伝統的な作法からの脱却、独自性の確立について論じられた。交響曲全6曲の分析を通してニールセンの音楽の独自性を明らかにすることを目的とし、ソナタ形式のスタイルの変遷、調性からの乖離という2つの側面から音楽的特徴を指摘した。
 山代氏の研究は、ニールセンの交響曲を軸に世紀転換期における伝統からの脱却のあり方について新たな知見を提示する可能性を孕んでおり、テーマとしては興味深い。ただ、発表では様々な音楽的特徴を挙げた上で、それらが伝統から脱却し新たな道を目指したニールセン独自の軌跡であると結論付けているが、果たしてそう言い切れるだろうか。
 山代氏が指摘するソナタ形式における調関係の特異性は、ニールセン以前にも見られる傾向である。また第4番(1916)以降では音程のない打楽器の多用が調性からの逸脱につながったと論じているが、岡田氏から指摘があったように打楽器の多用は調性音楽にも見ることができ、調性からの乖離の問題と直結し得るだろうか。さらに山代氏が「無調的」と指摘する第6番(1925)の旋律も、12音中11音が用いられることを論拠としているが、古くはJ.S.バッハの他、リストやR.シュトラウスにも先例がある。
このように個々の特徴についてはニールセン独自のものといえるのか、議論の余地が見出せよう。特に作曲年代を考えると時代的特徴という現象も視野に入れ、慎重に判断する必要があるだろう。
 テーマ設定が興味深いだけに、細部において今後さらに考察を深めることが望まれる。


2.アーノルト・シェーンベルク《架空庭園の書》
  ―無調声楽曲の形式構成法に関する一考察―

  日下 舜太(慶應義塾大学大学院) 
                
 修士論文では、シェーンベルク(Arnold Schönberg, 1874~1951)の《架空庭園の書Das Buch der Hängenden Gärten》op. 15 (1908~1909) の楽曲分析を通じて、無調声楽曲の形式構成法を明らかにすることを目的とした。本作品はシェーンベルクの様式史において、十二音技法以前の無調で書かれた最初期の作品として位置づけられている。和声の半音階的拡大によって、不協和音・協和音の区別が解消された無調音楽は、機能和声によって担われていた作品の形式を構成する方法を失うことを意味していたと言える。例えば、調性音楽においてはカデンツによる分節や、調の区別によって諸部分に展開・関連をもたらすことが作品に形式を与える方法となる。無調による作曲においては、調性において可能であったこうした形式構成法を取ることができないため、いかにしてそれを補うかが問題になると考えられる。
 本発表では、本作品の形式構成法の1つとして、修士論文において「和音動機」として位置づけた用法に焦点を当てる。この「和音動機」は全15曲中第1番、第7番、第9番、第13番の4曲におけるピアノ・パートにその使用が認められる。本発表では、まず第1番《密生した木の葉の覆いに守られてUnterm Schutz von dichten Blättergründen》の分析を中心に「和音動機」の用法について詳述した上で、他の3曲における用法を示すことにしたい。
 第1番は4つの区分から成る(区分1~4)。前奏(区分1)のうち、冒頭2小節は終結部T. 19-23において再現する。すなわち、この冒頭2小節はその提示・再現によって曲の開始・終結という枠組みを成しているため、本曲の「冒頭動機」として位置づけられよう。また、この冒頭動機再現における“gis-eis”は、本曲の頂点であるT. 17歌唱声部から受け継がれている。この点に着目し、冒頭動機を2つの「旋律素材(a, b)」に細分化するならば、これらの反復がT. 14-17において認められる。ただし、冒頭動機に基づくこれらの素材がその反復から新たな楽想を発展させる「発展的変奏」の技法は、本曲において見られない。
 以上の冒頭動機と関連を持たずに提示されるのが、T. 10の2つの和音(c, d)である。これらの和音は、区分2において提示された後、区分3および区分4の開始位置において反復される。また、音高はそれぞれ“h-c-e” および“a-c-d-g” に固定されている。すなわち、曲の区分点となる箇所において反復されるという特徴から、この2つの和音(c, d)は分節という機能が備わっていると考えられる。この点から、発表者は2つの和音(c, d)を本曲の「和音動機」として位置づけた。
 第1番における和音動機の特徴として、冒頭動機から独立して用いられている点が挙げられる。この点は、和音動機が冒頭に由来する他の3曲(第7番、第9番、第13番)と比較することによって明らかとなるだろう。本発表の結びとして、こうした動機の用法による形式構成法がシェーンベルクの無調様式においていかなる意義を持つのかを考察したい。


【傍聴記】(白石美雪)
 シェーンベルクの12音技法以前の無調作品は、これまで主として動機とその発展的変奏に着目して形式が論じられてきた。そこでは音程のネットワークを縦横に見いだすことによって、12音技法の体系化への萌芽が指摘されている。
 これに対して、日下舜太氏は無調で全曲が書かれた最初の作品《架空庭園の書》の一部の曲で特定の和音が曲の開始、区分点、末尾で用いられることから、これを「和音動機」と呼び、曲を分節する役割を担う形式構成法の一つと結論づけた。発表では第1、第7、第9、第13曲について、曲の区分と和音の配置を楽譜で示す手順をとった。さらに質疑において詩の内容と曲の区分は一致しないこと、日下氏の示した和音動機は系統だった使い方がなされていないことを明らかにした。
 シェーンベルク初期の無調作品はごく限られた素材から構成され、特定の和音の反復も多い。従って、そこに形式構成上の機能を見いだそうとする意図は理解でき、実際、歌のフレーズの開始に特定の和音を置く方法が確かにみられる。ただ、区分と和音動機の関係については若干、議論が循環していた。また、これを形式構成法として位置づけるには事例が少ない。たとえば四度和音や増三和音の用例は《2つの歌曲》の第1曲(作品14-1)に見られるが、区分と結びつく機能は考えにくい。「和音動機」として一般化できるのか、疑問が残る。網羅的に同時期の作品を分析し、機能的な用例、非機能的な用例をすべて検証する作業が必要だろう。 


3.16世紀マドリガーレにおけるレチタティーヴォ様式の萌芽
  ―デ・ローレとヴェルトにおける全声部の同音反復と情緒の表出―

  高橋 健介(東京藝術大学大学院)

 本論文の目的は、16世紀のマドリガーレと次世代の様式、すなわちオペラの共通項を、同音反復と情緒の表出に着眼することで新たに見出すことである。そのために、チプリアーノ・デ・ローレ(1514/15〜65)とジャケス・デ・ヴェルト(1535〜1596)のマドリガーレと、ペーリとカッチーニのレチタティーヴォ(《エウリディーチェ》より〈ある美しい小さな森で Per quel vago boschetto〉)を取り上げた。
 デ・ローレは、「第二作法の創始者」として広く知られているが、フィレンツェのカメラータの中心となるジョヴァンニ・デ・バルディやヴィンチェンツォ・ガリレイから、最高の称賛を受けていることも特筆すべき点である。一方ヴェルトは、マントヴァ公国の宮廷で約30年にわたって宮廷楽長を勤め、特にモンテヴェルディに繋がる系譜を築き上げた作曲家としてしばしば着目される。
 第1章では、デ・ローレとヴェルトの生涯とマドリガーレの出版状況を概観した。第2章では、それぞれの作曲技法の変遷を辿り、デ・ローレは後期に至るにつれてホモフォニックな書法へと移行したこと、ヴェルトは朗唱様式をアリア風のものから、タッソの詩を用いた劇的なものへと発展させたことを確認した。第3章では、バルディがデ・ローレに送った称賛は、言葉の明瞭さに対するものであり、それがデ・ローレのホモフォニックな書法と、同音反復による朗唱の結果であること、さらにフィレンツェのカメラータの人々が論じた音高と速度が持つ固有の性質による情緒の表出を、すでにデ・ローレが行っていることを分析した。第4章は、ペーリとカッチーニがそれぞれの出版物で述べた作曲に対する理念が、実際に彼らのレチタティーヴォで反映されていることを分析した上で、それらの理念がすでにヴェルトのマドリガーレにおいても行われていることを明らかにした。すなわち、デ・ローレにも見られた情緒表出の方法、全声部の同音反復による旋律、言葉のアクセントと和音の変り目の関係、通奏低音を示唆するような音価の長いバス、同一の和音が一定の長さ以上保持されること、そして三和音上の経過的な不協和音である。
 最終章では、本論文で扱ったヴェルトのマドリガーレが、当時の演奏習慣をふまえて独唱された場合を仮定し、通奏低音とカント声部のみによる楽譜を作成した上で、レチタティーヴォとの親近性をより明確に示した。最後に、「古代復興」の産物として大きく掲げられたオペラの音楽的素材は、すでにマドリガーレにおいてその萌芽が見られることを結論とし、16世紀末から17世紀初頭の音楽事情が「非常に平坦な移行」だったというクヌート・イェッペセンの古典的な記述(1930)を、断片的であるにせよ、具体的に証明した。しばしば180度の転換が行われたと言われる16世紀から17世紀への移行だが、本論文では分析を通じて、同時代的な音楽的傾向の存在を指摘した。


【傍聴記】【傍聴記】(吉川 文)
 デ・ローレとヴェルトのマドリガーレの中に、レチタティーヴォ様式との共通性を見出そうとする本発表は、修士論文の内容を再構成しつつ、たとえばホモフォニックな傾向を強めるデ・ローレの後期マドリガーレにおいては、同音反復による朗唱が明らかに増えていくことを数値によって示す等、具体的な説明に基づいた明解なものであった。ヴェルトの多声マドリガーレを、当時の演奏習慣に照らして独唱譜の形にしたものは、通奏低音との親近性をわかりやすく提示しており(スライドで示された譜例が手元でも確認できると、なおありがたかった!)、発表後にフロアから、実際にこのような形の楽譜が当時出版されていたのか、また通奏低音との関係性に関して質問が寄せられた。当時このような独唱譜が実際にあったわけではないとのことだが、音楽の特徴を探る上で興味深いものと言えよう。また、古代ギリシャ悲劇の再興を謳ったレチタティーヴォ様式とマドリガーレとの音楽的特徴における連続性に対し、発表者はどのような思想的背景を見ているのかとの質問もあった。カメラータの打ち出した古代復興の理念の重要性を大前提としているとの回答があったが、マドリガーレの背景にある思想についての議論にまでは至らなかった。マドリガーレとオペラの音楽様式の根幹にある、音楽に対するそれぞれの考え方の異同を追求することで、この両者の関係性にさらに光が当てられることも考えられよう。今後の研究の深化に期待したい。


4.黛敏郎《涅槃交響曲》(1958年)と《曼荼羅交響曲》(1960年)の成立過程
  ―「Campanology資料」に基づく比較を中心に―

  高倉 優理子(慶應義塾大学大学院)

 本発表は、発表者の修士論文「黛敏郎《涅槃交響曲》(1958年)における音響作法―「Campanology資料」に基づく検討を中心に―」に基づくものであり、明治学院大学図書館付属日本近代音楽館で新たに発見された「Campanology資料」の検討を通じて、黛敏郎(1929~1997)作曲《涅槃交響曲》(1958年)と《曼荼羅交響曲》(1960年)で使用される基礎和音の成立過程を明らかにし、両曲間の共通点および相違点を明示することを目的としている。
 黛は創作活動の全般で梵鐘の音響を素材とした作品を残している。オーケストラ作品では、梵鐘の音響分析から得た倍音列に基づいてオーケストレーションを行うことで梵鐘の音響を作品中に取り込むことを試みた。その代表的な作品が《涅槃交響曲》とその2年後に完成した《曼荼羅交響曲》である。両作品はしばしば姉妹作としても位置付けられているが、先行研究では、それぞれの作品の成立過程や作曲手法上の共通点・相違点について具体的には明らかにされてこなかった。
 「Campanology資料」は、黛が梵鐘音をもとに作曲した諸作品の一次資料であり、黛の自筆で「Campanology資料」と題された表紙および作品の自筆スケッチと黛が創作の際に使用したとみられる資料の計8点(資料1~8)から成る。8点の資料に書かれた内容から、「Campanology資料」は《涅槃交響曲》、《曼荼羅交響曲》及びミュジック・コンクレート作品、電子音楽作品に関する資料を含んでいると考えられる。また8点の資料のうち、《涅槃交響曲》の資料は資料3の1枚目、4、5、8、《曼荼羅交響曲》の資料は資料3の1枚目、4、5、7である。
 資料3の1枚目には、物理学者山下敬治の論文「実験音響学」から梵鐘音振動数データを書き写した表が見られる。資料4は、「EL[E]KTRONISCHE MUSIK SKALA」と題された10オクターヴにわたる半音階の各音の振動数が書かれた表を厚紙に印刷したものである。資料5には、資料3で山下の論文から引用された梵鐘と半鐘の部分音振動数データを微分音を用いて楽譜に書き起こした和音が記されている。また資料7には資料5の和音構成音における規則性を基に音列を作り出す過程が、資料8には資料5の和音を微分音を用いずに書き直し、移高して作成した和音表がそれぞれ示されている。
 これらの資料を用いて両曲における基礎和音の成立過程を比較すると、両曲とも山下敬治の論文「実験音響学」から梵鐘音振動数データを得て作曲されているという共通点が見られた。しかし両作品は、《涅槃交響曲》の基礎和音が梵鐘音振動数データを書き起こして作成した和音の原形または移高形で構成されているのに対し、《曼荼羅交響曲》では梵鐘音振動数データに基づく和音の構成音における規則性をもとに音列を作成し、その音列の構成音を積み重ねる形で基礎和音を作成しているという点で異なっている。以上より、両作品は、同一の梵鐘音振動数データを基にしながら異なるアプローチで音響形成を試みた作品であることが明らかになった。


【傍聴記】【傍聴記】(白石美雪)
 1950年代後半に黛敏郎が具体的な梵鐘音の分析に基づいて創作を試みたことは有名だが、どのように梵鐘音の音響データを入手して作品に生かしたのか、また、どのようにそのデータから具体的な作品の和音等を引き出したかについてのプロセスは検証されてこなかった。
高倉優理子氏は黛没後の1997年に「黛敏郎文庫」として寄贈された明治学院大学図書館付属近代音楽館の文書の中から、自ら発見した第一次資料「Campanology資料」に基づき、梵鐘音を応用した代表的な2つの作品《涅槃交響曲》と《曼荼羅交響曲》での梵鐘音振動数データを、黛が山下敬治の論文から入手したことを明らかにした。本研究の最大の成果は第一次資料の発見・解読と、音響データの和音への転用が、同じ音響データを使いながら2つの作品で異なった方法がとられたことを示した点だろう。「カンパノロジー」として漠然と把握されていた黛の創作技法の内実に肉薄する優れた成果をあげたと言える。
 また、質疑の中で今回、発見した第一次資料には、書き込まれた経緯が判明していないデータが含まれていることも触れられた。梵鐘音の音響がどう変化するかという数値、和音の構成音を整理した表に記された第三の音列などはデータの入手経緯や意味は明らかにされていない。従って黛自身の解説にある「NHKの協力」についても性急に結論は出せない。今後は「黛敏郎文庫」以外の資料を含めて網羅的に調査を行い、さらに成立過程を明らかにする研究の継続を期待したい。


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