東日本支部通信 第35号(2015年度 第7号)

2016.2.25. 公開 2016.4.19. 傍聴記掲載

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東日本支部 第35回定例研究会

 日時:2016年3月19日(土)午後2時〜5時
 場所:桐朋学園大学 調布キャンパス1号館C222
 司会:広瀬大介(青山学院大学)
 内容:シンポジウム
   「ブゾーニ再考 ー『新音楽美学論』(1907/1916)と「変革の萌芽」の行方ー」
 〈パネリスト、および発表内容〉
  1. 畑野小百合(兼コーディネーター、ベルリン芸術大学)
   ブゾーニ『新音楽美学論』再読:その成立史と改訂が意味するもの
  2. ボッホマン未奈理(東日本支部)
   ブゾーニとプフィッツナー:「未来主義」を巡る対立とその背景
  3. 池原 舞(早稲田大学)
   古きものと新しきものの結合:ブゾーニ/ストラヴィンスキー
  4. 舘 亜里沙(東京藝術大学)
   オペラ《ファウスト博士》のドラマトゥルギー:
         ロマン主義的ヒロインの不在
  5. 藤村晶子(桐朋女子高校音楽科、桐朋学園大学)
   ブゾーニ「若き古典性」の系譜:未完のヴィジョン
 コメンテーター:長木誠司 (東京大学) 


【シンポジウム 「ブゾーニ再考――『新音楽美学論』(1907/1916)と「変革の萌芽」の行方」 】

【趣旨】(コーディネーター:畑野小百合)
 フェルッチョ・ブゾーニ(1866-1924)を音楽史的に位置づけようとする試みには、様々な困難が伴う。その難しさは、彼がイタリアに生まれながらドイツを活動の拠点とし、その視野を常に世界へ向けていたコスモポリタンであったこと、ピアニストとしての華々しい名声ゆえに作曲家としての側面が当時の音楽世論から軽視される傾向にあったこと、伝統と前衛が交錯する彼の多面的な音楽活動が統一的な全体像を結びにくいといったことなどに起因している。また、戦後の音楽史がダルムシュタットを中心に「過去との決別」へと動き始めたことも、ブゾーニの歴史的再評価を遅らせてきた一因であると考えられる。
 しかしながら、ロマン主義的音楽言語の行き詰まりが露わになった20世紀初頭に「古典=規範」の上に新しく築かれるであろう未来の音楽を構想したブゾーニは、音楽史上の「モダニズム」を映し出すひとつの鏡である。約1世紀の時を経て、当時の西洋芸術音楽が直面した諸問題の意味と帰結を歴史的な文脈の中で語ることができるようになった今、ブゾーニの先見性は新たに評価し直されて良いだろう。
 2016年に生誕150周年を迎えるブゾーニの音楽史的意義を再考する試みのひとつとして、このシンポジウムでは、彼の代表的な著作『新音楽美学論』(1907/1916)を出発点に据え、ブゾーニが提示したアイディアが、第一次世界大戦期からヴァイマール共和国時代の音楽世界においてどのような同時代的意味をもっていたのかを検討する。


畑野小百合
ブゾーニ『新音楽美学論』再読:その成立史と改訂が意味するもの

 ブゾーニの著作『新音楽美学論』は、音楽をめぐる多様な論考の集成である。トリエステで出版された第1版(1907)が、極めて限定的な範囲で読まれたにすぎなかったのに対し、ライプツィヒで発行された第2版(1916)は、広く普及しさまざまな反響を呼んだ。
 この著作の改訂については、第2版で微分音の記譜法の具体的な提案が省かれたことがよく知られているが、遺された資料に即してその過程を追っていくと、改訂の主眼は別のところにあったことがわかる。本発表では、この著作の改訂と翻訳出版の計画のもとで生じた各種の文書の調査に基づいて、この著作の成立・改訂史を整理する。さらに、同時期の創作・演奏活動の文脈をふまえ、ブゾーニがこの著作を通して働きかけようとした対象や主張の重点は必ずしも一貫したものではなく、改訂の軌跡がこの変化を反映していることを指摘する。


ボッホマン未奈理
ブゾーニとプフィッツナー:「未来主義」を巡る対立とその背景

 ハンス・プフィッツナーはドイツ国内においてブゾーニの『新音楽美学論』にいち早く拒絶を以て反応を示した一人であった。プフィッツナーの論考が『未来主義者の脅威』と名づけられたことからも伺えるように、そのブゾーニ批判はまさに「未来主義」という言葉に集約されていた。しかし、フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティを中心に興った未来派とブゾーニの間には乗り越えられない決定的な違いがあったことから、『未来主義者の脅威』 にはプフィッツナーの「意図的な誤読」が指摘されている。
 本発表では、ルイージ・ルッソロやフランチェスコ・バリッラ・プラテッラによって具現化された未来派の音楽とブゾーニが提唱した音楽理論の違いを明らかにすることで、プフィッツナーの「意図的な誤読」を明確にする。また、当時の音楽雑誌の評論を手がかりに、このような「誤読」が起こった社会的背景も明らかにする。


池原 舞
古きものと新しきものの結合:ブゾーニ/ストラヴィンスキー

 ブゾーニの『新音楽美学論』における思想とその実践について、同時代の作曲家であるイーゴル・ストラヴィンスキーを比較対象として対置させつつ、考察する。 
 1920年代前後のヨーロッパでは、シェーンベルクら急進派による西洋中心主義を乗り越えてモダニズムの再構築を目指すべく、多様な試みがなされてきたが、とりわけ芸術文化全体において「古きものと新しきものの結合」への視点が大きく開かれたことは、特筆すべき点であろう。ブゾーニもストラヴィンスキーも、この潮流を汲んだ作品を少なからず残している。しかし興味深いことに、両者は、相似的な視点をもつ一方で、その根本的な創作理念は大きく異なる。
 本発表では、ブゾーニの《アルレッキーノ》とストラヴィンスキーの《プルチネッラ》の比較を皮切りに、彼らがどのようにして作品に「古典性」を取り込んだのか、またそれによってどのような形で「古きものと新しきものの結合」が実現されたのかを分析する。


舘 亜里沙
オペラ《ファウスト博士》のドラマトゥルギー:ロマン主義的ヒロインの不在

 本発表では《ファウスト博士》の構想・リブレット・音楽を手掛かりに、ブゾーニのオペラ創作における理論と実践について考察する。彼は『新音楽美学論』の中で、オペラが仮象の世界でなければならないこと、また観客がその世界に感情移入してはならないことを主張した。ゲーテの戯曲『ファウスト』(あるいはそれを原作としたオペラ諸作品)では、筋のもつれの要因であると共に愛と救済のモティーフでもあったマルガレーテが、《ファウスト博士》では〈間奏曲〉でその存在を仄めかされるのみとなっていることは、同オペラの他の特徴と併せて、こうしたブゾーニの主張の一端を具現化している。
 発表の前半では、ヒロインの存在をドラマの核とする19世紀オペラの典型と、ヒロインの不在によって状況を示唆する《ファウスト博士》の構成とを比較する。後半では〈間奏曲〉の楽曲分析を通して、唯一マルガレーテについて語る兵士が音楽的にも異化されていることを示す。


藤村晶子
ブゾーニ「若き古典性」の系譜:未完のヴィジョン                         

 ブゾーニが提唱した「若き古典性」は、1920年代ならびに後世の音楽家たちに、共感や反発をふくめ大きな影響を与えた。彼が思い描いた新たな規範のヴィジョン――新しい音組織と音響への関心、編曲の手法、ポスト・ヴァーグナーの音楽劇――等々は、20世紀に入り「芸術音楽」の裂け目に立つ人々にとって豊かな可能性の領野と映る一方で、たとえばブゾーニによるバッハ編曲を「正典」の歪曲とみなす非難にも遭った。それら批判の一端は、ブゾーニの音楽観がドイツ語圏中心に展開した19世紀芸術音楽の脱歴史化につながることへの惧れによるものだったかもしれない。彼の汎ヨーロッパ的視線が捉えた問題圏はきわめて刺激的であり、その意味で「若き古典性」は今なおポテンシャルを失っていない。
 こうした基本理解から、ここではシェーンベルク、ヒンデミット、ストラヴィンスキーらとブゾーニとの接続をみながら、同時代におけるブゾーニ美学のアクチュアリティを考える。それは「若き古典性」の射程の再考にもつながるだろう。


【傍聴記】(中村仁)

 イタリアに生まれ、ドイツ語圏を中心にヨーロッパ全土およびアメリカで活躍した作曲家、ピアニストのフェルッチョ・ブゾーニ(1866‐1924)は、本年生誕150周年を迎える。伝説的なヴィルトゥオーゾ・ピアニストであると共に、作曲、指揮から音楽批評、楽譜校訂に至るまで多彩な活動を誇ったブゾーニであるが、その音楽史上の位置づけは未だ定まっているとは言い難い。畑野小百合氏によってコーディネートされた今回のシンポジウムでは、調性解体や三分音の着想などで同時代に大きなインパクトを与えたブゾーニの著書『新音楽美論』Entwurf einer neuen Ästhetik der Tonkunst(各発表では『草稿』と記されたため、以下、『草稿』と記す)を中心に据え、5人のパネリストによる発表に、『フェッルッチョ・ブゾーニ−オペラの未来』の著者でもある長木誠司氏をコメンテーターに迎え、ブゾーニの思想と音楽実践についての多角的な議論が展開された。

 まず畑野小百合氏の「ブゾーニ『新音楽美学論』再読:その成立史と改訂が意味するもの」では、『草稿』の初版(1907)と第2版(1916)の違いを明らかにしながら、『草稿』の内容全体が概観された。ブゾーニは音楽の本質を、情緒的な内容を持った標題音楽とも、建築的形式に拘束された絶対音楽とも異なる、自由な「鳴り響く空気」tönende Luftであるとする。ブゾーニは音楽作品の導入部や経過部に見られるような非シンメトリカルで自由な部分こそが、音楽の本質に肉薄したものであると考え、そうした音楽の本質を「絶対的な音楽」die absolute Musikとし、「絶対音楽」Absolute Musikとは区別した。そこには硬直化したドイツ音楽の伝統に拘束されない、新しい音楽のあり方が提示されていた。1916年の第2版は、内容に大きな変化はないものの、初版ののちに書かれた複数の文章が加わり、微分音の記譜法が削除されるなど、より一般的に読みやすいものにすることが意図されていたという。
 ボッホマン未奈理氏は「ブゾーニとプフィッツナー−「未来主義」を巡る対立とその背景−」において、まず『草稿』が、20世紀初頭のドイツ音楽の未来をめぐる議論の中で生まれたものであることを指摘する。『草稿』第2版の翌年に出版されたプフィッツナーの『未来主義者の脅威』は、『草稿』を真っ向から批判する。伝統への帰属意識から、音楽の本質は天から与えられる着想であり、伝統的形式はその本質から生まれたものだと考えるプフィッツナーにとって、伝統的規則が音楽の発展の妨げと考えるブゾーニは「脅威」となる。しかしプフィッツナーによる「未来主義者」というレッテルは不適切であり、ブゾーニはマリネッティら未来派の芸術家たちと関わりを持つが、両者の間には深い溝が存在した。ブゾーニが批判したのは伝統そのものではなく、伝統に固執する者たちであり、ブゾーニは過去を否定するのではなく、過去と現在を結合させようとする芸術家であったという。
 池原舞氏の「古きものと新しきものの結合:ブゾーニ/ストラヴィンスキー」では、まずブゾーニのオペラ《アルレッキーノ》(1917)が、モーツァルトの引用、コメディア・デラルテの影響などの「古きもの」と、語り役、パントマイム役が登場し、前口上によって現実と虚構の境界線が剥奪されるという「新しきもの」との結合にあることが示される。それは『草稿』における、音楽が慣習や定型的所作から離れ、音楽固有の純粋なあり方に回帰すべきであるという主張に呼応する。池原氏は、そこにロシア・フォルマリズムの文学者シクロフスキーの「異化」の概念との共通性を見出す。しかし《アルレッキーノ》の一場面を例に、ブゾーニの作品が観客の知識を前提としており、慣習や定型的所作を捨て去ったものとは言えない点を指摘する。比較対象として挙げられたストラヴィンスキー《プルチネルラ》は、原曲に音を加え、拍節をずらすことで全く新しい聴体験がもたらされており、「異化」の概念に近い。一方ブゾーニの作品はビジョンが先行しており、作品においてはそれが十分に実現されていたとは言い難い。
 舘亜里沙氏の「オペラ《ファウスト博士Doktor Faust》のドラマトゥルギー−ロマン主義的ヒロインの不在−」では、まずファウスト伝説がゲーテ『ファウスト』によってグレートヒェンによるファウスト救済の物語となり、ロマン主義的な悲劇オペラの題材となったことが確認される。一方ブゾーニは晩年の大作《ファウスト博士》(1925)においてグレートヒェン悲劇を間奏曲(幕間劇)Intermezzoで仄めかすにとどめ、19世紀的な悲劇オペラとは異なるドラマトゥルギーにより作品を構築する。それは『草稿』にある、観客の感情移入を阻止する「仮象の世界」としてのオペラという方法論である。その際ブゾーニがモデルとしたのはモーツァルトの喜劇オペラであり、《ファウスト博士》の間奏曲と《ドン・ジョヴァンニ》の第5、6場が比較され、両者にドラマの展開上、音楽上の特徴において共通点があることが指摘される。深い構造においてモーツァルトの喜劇オペラのドラマトゥルギーが生かされており、この「喜劇的な悲劇」にブゾーニのオペラ論の着地点があったことが示された。
 藤村晶子氏は「ブゾーニ「若き古典性」の系譜・未完のビジョン」において、ブゾーニが1920年に提唱した「若き古典性」Junge Klassizitätという概念の意義と、同時代の作曲家への影響を考察した。「若き古典性」とは、それまでの音楽の歴史的遺産を「古くもあり、新しくもある」ような「確実で美しい形式」に持ち込むこととして説明される。「若き古典性」という概念を藤村氏は「若々しい、しなやかな規範性」と解釈し、それまでの音楽の歴史を引きつぎながらも、その歴史から距離を持ち、新しい自由な規範性を提示することで、伝統という名のもとで硬直化した音楽観を批判したものであるとする。さらにシェーンベルク、ヒンデミット、ストラヴィンスキーという同時代のブゾーニよりも若い作曲家との関係性が確認され、ブゾーニの「若き古典性」が、音楽の身体性に注目しながら、断片化する時代に新しい統合Einheitを生み出し、ドイツ語圏の外部から、伝統的な「音楽史」を止揚することを企図したものであると結ばれた。
 以上の発表を受け、コメンテーターの長木誠司氏は、まずブゾーニが生きた時代が、19世紀から20世紀にかけてのヨーロッパ社会全体の大きな転換期であったことに注意を促す。19世紀音楽がいわゆる「国民」音楽という形で展開し、作曲家は「国民」の歴史を背負い、その音楽により「国民」を作ってきたのに対して、コスモポリタンであるブゾーニはそうした「国民」性・歴史を背負わずに、あらゆる傾向の音楽、思想を自由に取り込む。ニーチェ、モーツァルトなどブゾーニが影響を受けた音楽家・思想家は「国民」を背負うことから自由な存在である一方、ベートーヴェンやヴァーグナーに対して両義的な立場を取ったのは、彼らがまさに19世紀的な「国民」を背負った音楽家だったからではないか。そして、そうした「国民」意識の結実ともいえる第一次世界大戦を通じ、電子楽器などの機械・近代科学への関心は、《ファウスト博士》のような魔術的・反科学的なものへの関心へ移っていったのではないかという。最後に「新しさ」と「古さ」が混然一体となったブゾーニを捉える上で、美術史家ディディ=ユベルマンのアナクロニズム論にあるような、同時代における様々な非同時代性を見る観点の有効性が指摘された。
 ディスカッションでは、ブゾーニの主にイタリア、ロシアとの関係が議論された。長木氏によればブゾーニは「イタリアを祖国としないイタリア人」であり、彼の音楽の「イタリア」性には、ある種の異国情緒としての側面があるという。一方、池原氏はロシアとの関係、ロシア・フォルマリズムのような「見方を変える」という視点がブゾーニにおいて重要であることを主張した。フロアからの質疑では、まずブゾーニの『草稿』のタイトルEntwurfを「草稿」とするのは誤訳ではないかとの重要な指摘があった。「草稿」とは出版される原稿の前段階のものを指し、ブゾーニの著作のもつニュアンスとは大きく異なる。発表者たちは当初は「構想」という訳語も考えたそうである。次に『草稿』に書かれた「113の音階」の詳細についての質問があったが、何らかの根拠が存在する可能性があるものの、その内実は明らかでないとのことであった。最後にブゾーニとイタリア人意識についての質問があり、1910年前後のブゾーニには一時的にイタリア人意識が高まっていた時期があったことが紹介された。

 一連の発表において様々な刺激を得られた一方、21世紀の今日においても、ブゾーニという音楽家が、我々の考える音楽史の中に都合のよい形で収まってくれない、捉えがたい存在であることを痛感した。たびたび言及された「新しきもの」と「古きもの」の関係性とは、ブゾーニの活動の中心テーマであると同時に、我々がブゾーニを音楽史の中に位置づけようとする際に直面する問題でもある。20世紀の前衛音楽の行方を予言するかのような革新的な要素がある一方、明らかに19世紀のロマン主義がこだましており、相反する要素はしかしながら矛盾、葛藤なく一体となっている。そうした「新しさ」と「古さ」の関係性を、両者の統合・止揚、あるいは理論と実践の解離といった形に収斂させることは、わかりやすいものの、どうも腑に落ちない。「新しさ」とは何か、「古さ」とは何か、そういった我々が過去や未来に投げかける視線のあり方そのものをブゾーニの音楽は問うているのではないだろうか。技法上、思想上の革新性や保守性、国民性や地域性といった、過去の音楽家を歴史の中に位置づけようとする際の定型的な尺度から、ブゾーニは軽やかに逃れ去っていく。その多面的な音楽活動の全体像を音楽史に明確に位置づけるためには、我々が歴史を見る視線そのものを変えていかなければならないのではないだろうか。21世紀においてもブゾーニという音楽家が依然として刺激的な存在であることを今回のシンポジウムを通じて改めて実感することができた。    


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