東日本支部通信 第31号(2015年度 第3号)

2015.6.19. 公開 2015.8.22. 傍聴記掲載

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東日本支部 第31回定例研究会

 日時:2015年7月11日(土)午後2時〜
 場所:玉川大学 視聴覚センター 104教室
 司会:植村幸生(東京藝術大学)
 内容:徳丸吉彦先生 講演会 (例会委員会企画)
 題目:私の音楽学研究:理論と現場の間から


【講演要旨】(徳丸吉彦)

 この度、尊敬する金澤正剛先生の後を受けて、90分の特別講演を行う機会を頂きましたことを、光栄に思っております。
 音楽学研究も研究者の生活と性格に無縁ではありません。私が二・二六事件の年(1936年)に生まれ、1945年には家と楽器を空襲で失い、その後も貧しい暮らしをしていたことが、私の研究に影響を与えているように思います。最初の勤務校である国立音楽大学では、演奏の先生たちに音楽学の存在意義を認めさせる戦いに、次の勤務校であるお茶の水女子大学では総合大学の中で音楽科の意義を認めさせる戦いに時間を使いましたので、私が教えた人たちに較べると学問に専念する時間がありませんでした。育った時代の影響で「お国のために」という意識が強かったので、自分の研究を犠牲にしました。国際会議を開き報告書を作成し、『岩波講座 日本の音楽・アジアの音楽』や『ガーランド世界音楽事典第7巻:東アジア』の編集をしたのは、この意識があったからです。
 私は子供の頃から実験が好きで、検証可能性を常に考えていましたので、野村良雄先生とはよくぶつかりました。卒業論文と修士論文でバロック音楽を扱い、その後は情報理論による分析、意味論、間テクスト性、記号論と進み、扱う対象を三味線音楽に進めましたが、これは私の中では当然の動きでした。私は抽象的な理論を作るのが好きでしたが、その際に現場の暗黙知を取り入れることに努力しました。小泉文夫・山口修の影響で民族音楽学研究を始めても、また21世紀になってから芸術文化政策の研究に進んでも、この態度を守りました。ヴェトナムの宮廷音楽の再活性化や少数民族の訓練も、私にとっては現場を大切にするための作業でした。私は、このように理論的な成果を現場に戻す作業を1976年にフィールドバックfieldbackと呼びました。英国の民族音楽学会だけが、これを取りあげて議論してくれました。
 最近は、国産の蚕を使って、切れにくく、しかも音色のよい箏弦を作る実験を行っています。これは日本の箏によい音色を取り戻すとともに、箏曲家の腕を守るための研究で、私にとってはフィールドバックです。
 今回の講演で、私の過去と現在の研究を紹介して、皆さまからご批判を頂いて、それを今後の研究に活用させて頂きたいと思っております。


【傍聴記】(植村幸生)

 学会の重鎮にご講演をいただく例会委員会企画の二回目として、徳丸吉彦氏をお迎えした。今夏の厳しさを予感させる猛暑のなか、会場の玉川大学には40名あまりの参加者をみた。
 音楽学者としてのご自身を、その生い立ちから「分析」することからこの講演は始まった。戦前・戦中の東京における家庭環境と学校教育で培われた、リベラリズムと「奉公」の精神がご自身の学問の基礎にあるという。もう一つの基礎は、ナティエの三分法に依拠しつつ説明された、自らの立ち位置をつねに明確にし、他との関連で相対化、客観化するという意識である。この二つの精神が、音楽大学に対しては音楽学のプレゼンスを、総合大学に対しては音楽研究全般のプレゼンスを、そして国際学会に対しては日本の音楽研究のプレゼンスを高めるという、氏の長年の努力を促したことがまず理解される。
 現在に至る徳丸氏の学問を支えるもう一つのキーワードが、ご自身の造語である 「フィールドバック」”fieldback”(研究成果の現地への還元)である。1970年代後半、ATPA(アジア伝統芸能の交流)をきっかけに生まれたこの語は当初、帝国主義的背景をもっていたかつての人類学的調査に対する倫理的反省としての趣旨を担っていたが、徳丸氏はそれを、理論家と実践家との対話的交流一般へと拡張して考える。その考えは、ベトナム宮廷音楽の復興、ベトナム少数民族の伝統芸能と生活文化の記録(特に少数民族の人々自身による映像記録の作成支援)、そして講演の最後を飾る、純粋な国産絹糸による箏糸の再現プロジェクトへと展開していく。
 今回の講演は、この箏糸再現プロジェクトに関する初めての学会報告となった。箏糸は絹であるという一般通念とは裏腹に、実際には化学繊維への切り替えが進んでおり、また絹糸であっても、切れやすいなどその質が劣化しているのが現状である。その変化は、音響だけではなく、演奏者への身体的負担にも望ましくない影響を及ぼしているという。氏は当初、カイコの飼料の変化に劣化の原因があると想定し、異なる蚕糸の原糸を入手したうえで、繊維工学の研究者、絃の製造業者、演奏家、糸締めの専門家、音響学者などの協力を得て実験を繰り返した。結論は意外にも、箏糸の変化は飼料ではなくカイコの種類の違いに起因することが判明したとのことであるが、このプロジェクトが(ナティエの三分法に沿っていえば)創出レベルと感受レベルの双方から、音楽を取り戻そうとするモデル事業としての意識に支えられていることが理解された。氏はこのプロジェクトの先を見据え、国産絹糸の生産シェアをあげるべく、東京藝術大学邦楽科の学生に対しても、伝統的な箏糸の重要性を訴えていると知り、執筆者は同じ大学の一教員として頭の下がる思いであった。
 現場(field)に携わる人々はもちろん多く、また現場主義を主張する人も数多い。しかし、現場(主義)がなぜ、どのように有用なのかを理論的に説く人はほとんどいない。徳丸氏の講演は「理論と現場の間から」という副題を伴っていたが(これは氏の著書『音楽とは何か』(2008)の副題でもある)、両者の関係が静的ではなく相互交流的であって、理論が現場を支え勇気づけるもつものでもあり得ることを、具体的に示したといえる。
 執筆者は本講演を、とかく「文系/理系」、「実技系/理論系」などの枠組みに安住しがちな我々に対する警鐘として受け止めた。折しも「文系学部」の行方が取りざたされている最中、日本の音楽学もまたその足元を揺すぶられている。あらゆる分野、あらゆる世界の専門家と臆せず対話すること、そのために自身の立ち位置、アイデンティティを十全に理解し、それに自信と責任をもつこと。それが今日、音楽学に携わる者に等しく求められる課題であることを、本講演は訴えるものであったと思う。

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