東日本支部通信 第30号(2015年度 第2号)

2015.5.12. 公開  2015.7.9. 傍聴記掲載

indexに戻る


東日本支部 第30回定例研究会

 日時:2015年6月6日(土)午後2時〜5時
 場所:国立音楽大学 3号館114教室
 司会:横井雅子(国立音楽大学)

〈修士論文発表〉

1.フェーリクス・メンデルスゾーンの J.S.バッハ・カンタータ・コレクション
    ―その成立と創作における意義―
    煖エ 祐衣 (東京藝術大学大学院)

2. A.シェーンベルクのグルントゲシュタルトを巡る解釈史構築の試み
    ―弟子J.ルーファーの解釈を出発点として―
    梅原 志歩 (東京藝術大学大学院)

3. 図形楽譜作品からみるモートン・フェルドマンの音楽思考 
     ―分類と五線譜作品との比較を中心に―
    赤津 里奈 (慶応義塾大学大学院)

4. 幼児期におけるダルクローズ・ソルフェージュの可能性
     ―A幼稚園の指導実例を通して―
    鈴木 顕子 (聖徳大学大学院)

〈研究発表〉

J. コンバリューの『音楽史』(1913〜1919)にみる共和主義の音楽史観
   塚田 花恵 (沖縄県立芸術大学)


〈修士論文発表〉


1.フェーリクス・メンデルスゾーンのJ. S. バッハ・カンタータ・コレクション―その成立と創作における意義―

煖エ祐衣(東京藝術大学大学院)

【発表要旨】

 本論文の目的は、フェーリクス・メンデルスゾーン・バルトルディ(1809〜1847)の所有したヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685〜1750)のカンタータ・コレクションの成立過程を明らかにし、それらが彼の創作活動にどのような影響を与えたか、その一事例を示すことである。メンデルスゾーンがどのようなバッハ作品をいつ、どのような経緯で入手し、自由に参照できたのかを明らかにしておくことは、彼が創作に際して、バッハの音楽をいかに取り入れ発展させていったのかを考えるうえで有益なことである。特に、カンタータのジャンルに関しては当時ほとんど出版譜が出ておらず、彼は多くの場合、各地に散在する手稿譜を入手することによって初めてその音楽を知ることができた。そのような状況において、楽譜の蒐集活動はメンデルスゾーンのバッハ受容にとって重要な意味を持ったといえる。そこで、本研究ではメンデルスゾーンのバッハ・カンタータ・コレクションに焦点を当て、彼の有した楽譜の来歴と入手経緯を、資料を所蔵する機関のカタログやデータベース、メンデルスゾーンの書簡全集などを用いて調査し、楽譜の入手過程を可能な限り具体的に叙述することを目指した。その結果得られた楽譜の入手年代と作品創作の年代を比較参照したうえで、メンデルスゾーン作品におけるバッハ受容の一事例を提示した。
 第1章では、メンデルスゾーンのバッハ受容の背景を概観した。18世紀後期から19世紀にかけての一般的なバッハ受容、ベルリンにおけるバッハ伝承、メンデルスゾーンとバッハの関係についてまとめた。代々バッハを愛好する家系に生まれ、ベルリンというバッハの伝統の色濃く残る町で育ったことが、彼のバッハ受容にとって大きな意味をもつことを示した。第2章では、メンデルスゾーンのバッハ・カンタータ・コレクションについて論述した。コレクションの概要を示したのち、各楽譜資料の来歴とメンデルスゾーンがその楽譜を入手した経緯を叙述した。コレクション成立の早い段階で彼のもとにコラール・カンタータが数多くもたらされたことが、コラールを中心的な要素として取り入れた様々な作品の創作へと彼を向かわせた要因のひとつである可能性を示した。第3章では、メンデルスゾーンの《深き苦しみの淵より》(op. 23-1)を取り上げ、その作曲の時点で彼のバッハ・コレクションにあった同名のカンタータ第38番との比較分析を行った。その結果、曲の構成や曲種などに関してバッハ作品を参考にしたと思われる類似性が見られる一方で、跳躍するバス進行でバッハの音楽にはない和声を用いるなど、様々な点で独自の表現を生み出していることが明らかになった。今回は、本論文の第2章を中心に取り上げ、メンデルスゾーンのバッハ・カンタータ・コレクションの成立過程と創作との関係について発表を行う。


【傍聴記】(星野宏美)

 メンデルスゾーンのバッハ収集については、古くから緻密な研究が蓄積されてきたものの、対象が膨大であるがゆえ、断片的知見に留まってきた。それが近年、両作曲家の資料研究の専門家による論文2本が発表され*、全体像が一挙に集約された。煖エ祐衣さんの修士論文は、この好機を捕らえ、メンデルスゾーンのバッハ・カンタータ・コレクションの成立過程と創作との関係について考察するものである。
 当日の発表では、資料について重点が置かれたが、先行研究に対する立ち位置が発表内では必ずしも明確でなかった。とりわけ上記2論文をレジュメの参考文献一覧に挙げず、パワーポイントで示すのみだった点は不親切であろう。発表後の複数の質問は直接にも間接にも、この点を巡るものだった。レポーターの理解で要約すると、EmansがBWV順の表にしてわかりやすく提示したメンデルスゾーンのバッハ収集のうち、カンタータに対象を限定し、さらに、所有せずとも参照した可能性がある資料に関してWehnerの研究成果を付け加えて、整理したといえよう。
 創作との関係については、発表要旨で紹介された修士論文の成果、すなわち、メンデルスゾーンの《深き苦しみの淵より》とバッハのカンタータ第38番との比較分析ではなく、一般によく言及される例とともに、メンデルスゾーンのコラール重視の作風が簡潔に触れられた。発表時間の制約は理解するが、修論発表会では「本人が汗をかいた」成果を聞きたいと期待するものだ。たとえ、華々しい結論が導けなかったとしても、そこに「金の卵」があるはずだから。今後、独創的な研究の進展を期待したい。
 *Ralf Wehner, “Mendelssohns Sammlung von ‘Kirchen-Cantaten’ Johann Sebastian Bachs,” in “Zu groß, zu unerreichbar”: Bach-Rezeption im Zeitalter Mendelssohns und Schumanns, 2007; Reinmar Emans, “Notwendige Korrekturen am Bach-Bild Felix Mendelssohn Bartholdys,” in Dortmunder Bach-Forschungen 9 (2009).


2.A. シェーンベルクのグルントゲシュタルトを巡る解釈史構築の試み ―弟子J. ルーファーの解釈を出発点として―

梅原志歩(東京藝術大学大学院)

【発表要旨】

 アルノルト・シェーンベルク Arnold Schönberg(1874-1951)の理論的な著作に登場する「グルントゲシュタルト Grundgestalt」という用語は、この作曲家自身による明確な定義を持たないために、これまで多様な解釈を生んできた。本発表は、彼の弟子であるヨゼフ・ルーファー Josef Rufer(1893-1985)の記述からグルントゲシュタルトを巡る解釈史の一端を描くことを試み、この用語が持つ多義性が〈解釈者〉――シェーンベルクの弟子たちや、後の研究者――からも生じる可能性を提示することを目的としている。
 1970年代頃にグルントゲシュタルトに関する研究が始まってから、エプステイン David Mayer Epstein(Epstein 1969; 1979)、カーペンター Patricia Carpenter(Carpenter 1983; 1984; 1988)、ネフ Severin Neff(Neff 1993; 2006)等に代表される先行研究は、この用語を調性音楽の分析に使用することを主としていた。しかしながら、これら一連の先行研究が各々の解釈を提示した結果として、グルントゲシュタルトの多義性を拡大させた可能性についてはこれまでほとんど顧みられていない。そこで発表者は、解釈する側によってこの用語に付加される意味と、その意味が生み出される要因に焦点を当てた解釈史を試み、出発点としてルーファーの解釈に着目する。
第一に、シェーンベルク自身の記述(主に1934〜36年に書かれた「音楽的理念der musikalische Gedanke」に関する理論書草稿)を精査する。加えて、ルーファー以外の弟子たち(A. ベルク、A. ヴェーベルン、E. ラッツ、E.シュタイン)の記述に触れる。その結果として、この用語が主題や動機といった絶対的な意味を持つものではなく、楽曲全体の特徴との関係の中で規定されるという点において多義的であることを示す。
 第二に、ルーファーの著作『十二音による作曲 Komposition mit zwölf Tönen』(1952)から、彼のグルントゲシュタルト解釈の全貌を考察する。書簡の調査から、彼の考えるグルントゲシュタルトが根本的に古典派音楽の「主要主題の核」を意味しているという仮説を立て、その「主題の核」としてのそれがシェーンベルクの十二音作品を分析する際にも使用されていることを確認する。ルーファーが、音列よりもグルントゲシュタルトを重要視しつつ師の十二音作品の分析を行ったことは、彼が師の作品の中に主題的な側面を探そうとしたことを意味していると考えられる。またこの事実は、単に彼が主題性を探求していたことを示すだけでなく、十二音作品の主題性を強調する効果を担っているといえる。このことから、この著作においてルーファーは、グルントゲシュタルトを「主題性」と結びつけることによって、シェーンベルクの十二音音楽をドイツ伝統の系譜に位置づけ、ひいてはオーセンティックな十二音音楽の継承者としてのルーファーの地位を確固たるものにすることを意図していたものと考えられるのである。


【傍聴記】(澁谷政子)

 「グルントゲシュタルト」という用語はシェーンベルクの理論的著作や草稿に時折登場していることで知られるが、十二音音楽と調性音楽の両者にまたがって言及されており、また、明快な概念規定がされているとは言い難い。梅原志歩氏は、後の研究者たちの解釈がさらなる多義化が生じさせていると指摘し、その最初期の「解釈史」の一ページとして、弟子ルーファーに焦点を当てた。
 発表は、シェーンベルクやルーファーの著作、草稿、書簡からの引用に基づき、それぞれの言説から読み取りうる意味を跡づけていくという手堅い手法で進められた。十二音音楽の意義を正しく解説したいというルーファーの企図を示す書簡の存在を示し、また、ルーファーの著作の読解から、十二音音楽の「主題性」の拠りどころとして「グルントゲシュタルト」が位置づけられているという結論に至るプロセスは明解だった。
 ただ、シューンベルク自身がドイツ音楽の伝統への帰属を強く意識していたことを踏まえると、全体として、解釈による意味の構築という側面は少々曖昧な印象となった。また、従来の「動機」「フレーズ」「主題」という概念とどのような違いがあるのか、実際の作品分析ではどのように用いられているか、というフロアからの質問に対して、梅原氏自身の“解釈”も提示されたなら、議論がさらに深まったかもしれない。
 従来の動機・主題に対するおそらくオルタナティブとして構想された「グルントゲシュタルト」は、単なる一つの音楽理論用語の用法の問題を越えて、音楽分析それ自体の多様性や解釈性にもかかわる興味深いテーマと思われる。解釈史研究または音楽分析論として、今後の研究の進展に期待したい。


3.図形楽譜作品からみるモートン・フェルドマンの音楽思考―分類と五線譜作品との比較を中心に―

赤津里奈(慶応義塾大学大学院)

【発表要旨】

 モートン・フェルドマンMorton Feldman(1926-1987)は、20世紀における図形記譜法の考案者として知られ、1950年から67年の間に17の図形楽譜作品を創作している。また彼は「間カテゴリー性Between Categories」、音楽の「表面Surface」、「不均等な対称Crippled symmetry」など自身の音楽思考を表す言葉を多く残した作曲家でもある。修士論文では、図形楽譜に特化したフェルドマンに関する編年的記述や、図形楽譜という用語についての考察、他の作曲家による図形楽譜作品との比較など、多角的な視点から彼の図形楽譜作品群全体について考察し、さらに五線譜による作品と図形楽譜作品との比較を行うことにより、フェルドマンの創作活動の根底に一貫して流れる音楽志向の存在を明らかにした。本発表では、五線譜作品と図形楽譜作品との比較の部分に焦点を当てる。
 フェルドマンの図形楽譜作品は、様式から(1)ボックス型、(2)方眼+数字型、(3)方眼+数字・記号型、の3つのタイプに分類でき、これらは年代順に変遷している。修士論文では、まず各年代の図形楽譜作品から特徴を抽出し、その上で、発表者が考案した伝統的な五線譜による作品をフェルドマンによる図形楽譜作品のフォーマットに変換し図形楽譜化する手法を用い、比較を行った。ボックス型の作品と同時期の五線譜作品には、音が点として捉えられ、それらの点を結ぶ「一筆書き」による楽曲構成という共通点の存在が確認された。方眼+数字型の作品と同時期の五線譜作品の共通手としては、市松模様状の音の配置、近似する数字の位置、そして揺らぎを伴ったモティーフの反復が挙げられる。また、この時期における図形楽譜作品と五線譜作品との明確な関連性は、各作品のパフォーマンス・ノートからも確認することができる。方眼+数字・記号型の図形楽譜作品は、楽曲内の各音楽要素に関する規則が一定しておらず、同様のフォーマットで五線譜作品を図形楽譜化することが困難であった。そのため、発音のタイミングのみに注目し変換を行ったところ、発音のタイミングが僅かずつずらされている箇所は所々でみられるものの、各パートの発音のタイミングが一様に揃えられている部分が非常に多いといった、音の配置に関する共通点の存在が確認できた。
 さらに、各年代の図形楽譜作品には、フェルドマンの後期作品との共通点も多くみられる。ボックス型では、この時期の作品に顕著な「一筆書き」の楽曲構成と、70年代初頭の《ロスコ・チャペルThe Rothko Chapel》(1971)などの作品にみられる旋律的な要素との類似を確認した。また、80年代の五線譜作品には方眼+数字型の特徴である市松模様状の音の配置、揺らぎを伴う反復が随所に存在する。そして、方眼+数字・記号型における特徴的な発音のタイミングも、いくつもの後期作品の楽譜上にみられる。
 このように各年代の図形楽譜作品には、同時期の、そして後期の五線譜作品との明確な共通点がみられる。この事実は、フェルドマンによる一連の創作に通底する一貫した音楽思考の存在を確かに示しているのである。


【傍聴記】(澁谷政子)

 モートン・フェルドマンの図形楽譜は、ジョン・ケージの偶然性の音楽の展開に影響を与えたものとして知られているが、このエピソードの有名さが仇となってか、フェルドマンの創作における位置づけについてあまり論じられていない。これに対して赤津里奈氏は、図形楽譜作品をフェルドマン作品のコンテクストに置き戻すという作業を試みている。
 図形楽譜作品を論じる場合、不確定な要素がいかに発生するかという記述が中心となる場合が多いが、赤津氏は、実際に生起する音響的な出来事に注目した。そして、五線譜作品を図形化するという独自の発想と手法により、図形楽譜作品と五線譜作品との比較に成功していることが、本研究の重要なカギだろう。発表では、複数の作品の分析結果がテンポよく提示され、「点の連結(一筆書き)」「市松模様」「揺らぎを伴う反復」「鏡像的配置」「音濃度の均一化」等、先行研究を踏まえながら赤津氏が掴みだした特徴が氏自身の用語で次々と解説され、分析図はこれら一連の特徴をよく裏付けていた。細かい部分ではさらなる検討の余地もあると思われるが(例えば、「一筆書き」は、何らかの図像やパターンを連想させるかもしれない)、フェルドマンの創作における一貫した志向を明らかにする、というこの研究の目的はよく達成されていた。
 共通点が明らかになると、今度は違いが気になるのが常であり、今回の発表の範囲外となることを承知しつつ、筆者からその点について質問したが、それに対して、おそらく音高に関わることがポイントだろうという回答をいただいた。フェルドマン研究または不確定性音楽の分析論に関して、今後もまた意欲的かつ明解な研究成果を期待したい。


4.幼児期におけるダルクローズ・ソルフェージュの可能性 ―A幼稚園の指導実例を通して―

鈴木顕子(聖徳大学大学院)

【発表要旨】

 スイスの音楽教育家エミール・ジャック=ダルクローズ(Jaques-Dalcroze, Émile 1865-1950 以下、ジャック=ダルクローズと表記)の音楽教育は、身体を使って音楽を表現するリトミック(リズム運動)を中心に、調性感を育てるダルクローズ・ソルフェージュ、その場で音をつくり出す即興演奏の三本柱から成り立っている。一般的には、ジャック=ダルクローズの音楽教育はリトミックと考えられる向きがあり、専門的に勉強した者以外にはダルクローズ・ソルフェージュの存在はあまり知られておらず、研究もリトミックと比較すると非常に少ないのが現状である。
 本論文の目的は、ダルクローズ・ソルフェージュの原典にさかのぼり、その目的と方法を理解し、幼児期にふさわしいダルクローズ・ソルフェージュの可能性をA幼稚園の指導実例を通して示すものである。特に、今まであまり取り上げられてこなかった幼稚園でのダルクローズ・ソルフェージュの可能性を示すことは、日本におけるジャック=ダルクローズの音楽教育にとって、意味を持つと考えている。さらに、現場での指導実践を通しての探究、考察は、今後の自分の指導に生かされていくものと考えている。
 第1章では、ジャック=ダルクローズの音楽教育についてまとめた。また、日本におけるジャック=ダルクローズの音楽教育の受容を概観し、日本では彼の理念が音楽教育のみならず多方面への広がりを見せる一方で、彼本来の理念と異なる実践も少なくないことを指摘した。
 第2章では、ジャック=ダルクローズの原典を読み直した後、現在どのような形で実践が行われているかを知るために、ダルクローズ・ソルフェージュを実践する指導者たちへのインタビューとその考察を行った。そこから、指導者は原典を直接参照しない場合でも、内容を理解したうえで指導に臨む必要性が認識されていたことがわかった。
 第3章では、筆者がA幼稚園において行ってきたダルクローズの音楽教育の指導実践について記した。指導実践の内容については、次のように記載した。まず、指導方針を述べた後、原典に提示されていたダルクローズ・ソルフェージュの項目を転記し、それらに対応させる形でA幼稚園の実践における項目設定を行った。そして、筆者が行った指導実例を取り上げ、その活動内容と子どもの様子を記録し、考察を行った。まとめとして、8回の指導実践記録を振り返り、比較的上手くいったものとあまり上手くいかなかったものに分け、その理由を考察するともに、全体を通しての評価も行った。
 以上のことから、A幼稚園での指導実例を通し、ダルクローズ・ソルフェージュの原典に示された考えを充分にふまえた実践の可能性を見出すことができた。特に、今まであまり取り上げられてこなかった幼稚園への適用可能性を示すことができたことは、ジャック=ダルクローズの音楽教育の指導者として、一つの役割を果たしたと考えることができる。本論文で示した指導実践は可能性の一つであり、あらゆる生徒にふさわしいというわけではない。それぞれの指導者がそれぞれの生徒に適した指導を展開することが、ジャック=ダルクローズの理念を受け継ぐ指導者の責任であろう。
 本発表では、論文の構成と概要について述べる。その後、A幼稚園の指導実例の一部を実際の音楽と共に紹介する。


【傍聴記】(佐和由美子)

 この発表は、ダルクローズの音楽教育の理念の追究と、その構成要素の1つであるダルクローズ・ソルフェージュの実践研究である。鈴木氏の指摘のように、日本では視覚的に受け入れやすいリズム運動に偏り、ソルフェージュが行われることは少ない。これは、特に幼保育園を通じて広まり、教師及び保育士が指導を担ってきた環境と、創始者による具体的な指導法が存在しないことに起因する。発表の文献解釈による活動対応表は、幼稚園での指導に適した項目がまとめられ、ソルフェージュ導入時の検討を容易にしている。今後更に、現場に対応した活動のテーマが加えられることを期待したい。指導実践は、一点ハ音の記憶が行われた。一点ハ音の指導目的は、絶対音感を習得するというよりは、音楽の変化に合わせた正確な歩行・走行他、全身体の即時反応により内的聴取力を養うための一過程である。鈴木氏は幼児の実体験に則した活動内容により身体を解放し、聴覚に集中させる構成に成功している。指導に伴うピアノ伴奏は、幼児の心拍・歩幅に留意した速度と、自然な動きを引き出す音域・打鍵で弾かれ、幼児の理解力及び表現力に熟慮された即興であったことを加えたい。
 質疑では、実演よりも幼児の実践録画を使用すべきとの指摘がなされた。
 ダルクローズの音楽教育は、ジュネーブ音楽院の和声学の授業を発端とし、聴覚の発達に適した幼児期に移行した経緯があり、ソルフェージュに焦点を当てた本研究は、ダルクローズ教育の原点に戻るとともに、長年継続されてきた日本のリトミック教育に一石を投じるものと言えよう。


〈研究発表〉
 J. コンバリューの『音楽史』(1913〜1919)にみる共和主義の音楽史観

塚田 花恵(沖縄県立芸術大学)

【発表要旨】
 本発表の目的は、ジュール・コンバリュー(Jules Combarieu, 1859-1916)が著した『音楽史(Histoire de la musique des origines à nos jours)』(全3巻、1913〜19年刊行)について、彼の進歩主義的な音楽史のナラティヴを検討し、その「進歩」の概念の内実を明確にすることである。
 フランスにおいては19世紀末から20世紀にかけての時期に音楽学がディシプリンとして確立され、フランス語の音楽史書が相次いで刊行されるが、この『音楽史』もその流れに位置づけられるものである。著者のコンバリューは、1890年代にフランスで初めて音楽に関する研究で博士号を取得した音楽学者で、1901年には学術雑誌『ルヴュ・ミュジカル(Revue musicale)』を創刊し、1904〜10年にはコレージュ・ド・フランスで初めて音楽史の講義を担当するなど、フランスにおける音楽学の成立・発展に大きく貢献したことが認められている。1913年から刊行された『音楽史』は、全3巻から成る大部の音楽史書であり、彼の仕事の集大成と言えよう。
 コンバリューを扱った重要な先行研究には、音楽思想史におけるコンバリューの位置について論じた山上揚平による研究や、世紀転換期の音楽史家が行った中世音楽の歴史的評価を比較したL. ドゥカンの研究が挙げられるが、彼の音楽史観についての検討は未だ十分にはなされていない。J. ファルチャーが著書『フランスの文化政治と音楽――ドレフュス事件から第一次世界大戦まで(French Cultural Politics and Music: From the Dreyfus Affair to the First World War)』(1999年)の中で描き出したように、この時期のフランスにおける音楽史学の成立・発展は、ドレフュス事件を契機に音楽界において激化した「フランス音楽」のアイデンティティをめぐる闘争を背景にしたものである。ファルチャーの著作の中でコンバリューについては、彼が共和国派の音楽学者として著述活動を行っていたことが述べられているのみであるが、当時の音楽学の興隆におけるコンバリューの貢献の重要性を考えるならば、ファルチャーの研究によって詳らかにされた政治的=文化的闘争の文脈を踏まえて、その音楽史叙述の特徴が検討されるべきであろう。
 本発表では、コンバリューが『音楽史』において19世紀フランス、なかでもベルリオーズを「進歩」の頂点に位置づけていたことから、ベルリオーズの歴史的評価――とりわけ交響曲とオペラのジャンル史における評価――に着目する。これらのジャンル史の記述において、コンバリューが何を音楽の「進歩」と見なし、「進歩」の達成へのフランスの貢献をどのように跡づけたのかを辿り、共和国派の音楽史家であった彼が示した「フランス音楽」のイメージについて考察を行いたい。


【傍聴記】(安川智子)

 塚田氏は「コンバリューの音楽史観」に関する今回の発表を、ベルリオーズを頂点とするフランス中心の進歩のナラティヴ(共和主義者による直線的発展としての進歩)としてまとめた。具体的な音楽史記述の紹介も豊富で興味深い指摘があちこちに点在していただけに、発表を聞いた直後は「ベルリオーズ」の強調がかえって混乱をきたしたような印象も受けた。しかし塚田氏がすでに発表済みの紀要論文(『ムーサ』第16号)と合わせて整理すると、明快にその趣旨を理解することができた。この論文はコンバリューの『音楽史』におけるオペラ史の記述のみに対象を絞っているが、今回の発表はそれと対をなす「交響曲」の記述に絞っても面白かったのではないか。
 塚田氏の研究から私が理解した範囲では、コンバリューにとって、ベートーヴェン(交響曲)とワーグナー(オペラ)という19世紀のドイツの巨人をいかにフランス中心の音楽史の流れに組み込むか、ということは大きな目的のひとつであったように思う(ライトモティーフのシステムはベルリオーズの発明とされるなど)。しかしそれは、共和派と相対する右派に位置づけられるダンディらにも、全く同等に見られる姿勢である。細かい差異もたしかに面白いが、音楽史の大枠を構成する両陣営の共通点も同時に探ることで、より時代の流れが見えてくるのではないかと感じた。少なくともコンバリューが提示した音楽史記述の「大枠」は今現在の音楽史観とそうかけ離れたものではない。フロアからも一部あがったように、主題法などの音楽書法記述の詳細や、音楽史記述の方法論へのドイツからの影響など、さらなる研究の広がりを期待したい。


indexに戻る