東日本支部通信 第三号 電子版

(第3回定例研究会 発表要旨および傍聴記)

 

東日本支部 第3回 定例研究会

日 時 2011年7月9() 午後2時〜5

場 所 青山学院大学 青山キャンパス 総研ビル 14509
司 会 武石みどり (東京音楽大学)

修士論文発表
1.
ジェルジ・リゲティにおけるポストモダニズムへの考察
1980年代以降の作品に見る音楽語法から
新川奈津子 (国立音楽大学大学院)

2.
コンピュータ音楽に媒介された相互作用とライヴ
原島 大輔 (東京大学大学院)

3.
芥川也寸志の器楽作品に関する一考察 ― 管弦及び弦楽のための作品を中心に
前田 佳恵 (東京学芸大学大学院)

4.
林 光 合唱曲《原爆小景》への道程とその後
伊藤真由美 (東京音楽大学大学院)

   

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1. ジェルジ・リゲティにおけるポストモダニズムへの考察
 ― 1980年代以降の作品に見る音楽語法から

新川奈津子 (国立音楽大学大学院)

 

発表要旨

 

はじめに

  作品ごとに様式や手法を変え、常に作風を変化させながらも、その一方で、機智に富んだ豊かなアイデアと非常に精緻な音響を作品の中心に据えるという点では 生涯変わることがなかったリゲティ。彼は晩年、彼が前衛音楽の作曲家と位置づけられるきっかけとなったミクロポリフォニーの技法から離れ、ポストモダンと も言える作風へと転換していく。リゲティはなぜミクロポリフォニーを手放したのか、どのような経緯でどのような新しい語法へと向かっていったのか。リゲ ティの生涯を作風の変化によって前期・中期・後期に分け、各時代ごとに作品を分析しながら考察する。

1章 ジェルジ・リゲティの原点

・リゲティその人と作品̶前期・ハンガリー時代(192356)

  リゲティの生きた激動の時代が、彼の作品にどのような影響を及ぼしたのか。

・ムジカ・リチェルカータの分析と考察

  時間の都合上分析の詳細は発表しないが、リズム、音組織、形式の項目に分けて前期の作品の特徴を考察する。

2章 音響構造と空間の概念

・リゲティその人と作品̶ 中期・ドイツ亡命後(195779)

  リゲティの音響構造と空間の概念が作品としてどのように結実するのか。

・室内協奏曲の分析と考察

  分析をした第13楽章から一部抜粋し、リズム、音組織、その他(形式・多層構造)の項目に分けて中期の作品の特徴を考察する。

3章 拡張された世界 

・リゲティその人と作品̶後期・新たな語法へ(1980年以降

  モダニズムからポスト・モダニズムへ。リゲティにとってのモダニズムとは、ポスト・モダニズムとは。

・ヴァイオリン協奏曲の分析と考察

  分析を通して後期の作品の特徴と新しい語法を探る。

4章 転換期の音楽

・新たな語法へ、まとめ

  リゲティの作品におけるリズム、音組織、その他(形式・非西洋性・ポリフォニー)の特徴とその変遷をまとめて概観する。そして、彼にとってのポスト・モダニズムとは何であったのかに迫る。

おわりに

 前衛を快く受け入れながら批判的な姿勢は崩さず、新しいものよりも伝統的なものを重んじてきたリゲティの“ポスト・モダン”は、“反モダンと反ポスト・モダンの両方”であった。前衛やポスト・モダンのようなイデオロギーとは無縁の近代芸術があることを信じ、 自身の過去の作品を自身の作品によって批判することでその道を切り拓いていった。リゲティはそのための具体的な手法として、

@ポリリズム、ポリメトリック、ポリテンポ

A音階や微分音の組み合わせ

Aフラクタル幾何学と非西洋性

を採用したことがわかった。

 しかし、めまぐるしく作風が変化していく一方で、“技法を目的としてではなく固有の表現内容にかなう手段としてとらえる姿勢”は生涯を通して変わることがなかった。彼の人間性が作り出す音楽の魅力が改めて明らかになる。

 

傍聴記(執筆:高橋智子)

 リゲティの様式変遷は、ちょうど第二次世界大戦後の前衛の、そしてモダンからポストモダンの時代を映す鏡として参照されることが多い。本発表はリゲティの音楽語法、特にミクロポリフォニーの考案と、そこからの乖離、さらに新たなる語法の創出の様子を中心に据え、リゲティの音楽の独自性と、それを生み出したコンテクストを明らかにしようというものだ。全体的に詳細な楽曲分析が為されており、この研究に対する発表者の真摯な姿勢が窺われた。

 しかし、リゲティにおける前衛とポストモダン、ひいてはこの2つそのものについての考察に関しては若干の物足りなさを感じさせた。沼野雄司氏、神月朋子氏の各先行研究を参照したとのことだが、批判的な考察を行うためには、より多くの先行研究を検討する必要があったのではないだろうか。前衛、モダン、ポストモダンの時代が既に終わったと言われて久しい。だが、それ自体に関する議論は未だ収束していない。個人の様式をマクロかつミクロな視点双方で捉えるならば、必ずやある種の矛盾が生じることだろう。こうした矛盾を乗り越えるかたちでリゲティのポストモダンを「反モダンと反ポストモダンの両方」であったと早急に結論付ける前に、やや不格好でも良いので、この問題に対してもう少し葛藤した様子を見せて欲しかった気がする。というのも、単純明快な結論や定義付けを拒むことこそがポストモダンの特質だと言えるからだ。常に作風を変化させてきたリゲティの音楽も、この一筋縄ではいかない困難さや多層性を孕んでいるに違いない。

 

2. コンピュータ音楽に媒介された相互作用とライヴ

原島 大輔 (東京大学大学院)

発表要旨

本論文は、一般的にしばしばそのライヴ性の欠如が指摘されるコンピュータ音楽のパフォーマンスについての考察を通じて、現代的な諸技術環境におけるライヴ性 の条件を提示する。技術的再生産がパフォーマンスの構成素となって以来、ライヴとメディアが論争的な二項対立を形成してきたが、コンピュータ音楽について 言うならば、20世紀半ばのその黎明期から21世 紀初頭の現代に到るまで、技術的には飛躍的に革新してきたにもかかわらず、未だにあるいはむしろますます、そのライヴ性が問題にされてきている。したがっ てライヴ性についてはすでにそれなりの先行研究が蓄積されているが、しかしいずれの研究も、素朴にライヴ性に優位を置いたライヴとメディアの二項対立に還 元するにせよ、そうした構図を覆してライヴ性自体を技術的ないし社会的に偶然的な構築物に還元するにせよ、ライヴについての本質的な問いを立てているもの ではない。ライヴとメディアは対立関係にあるのではなく、また特定の技術の使用がライヴと非ライヴとを区別する基準になるわけでもない。ライヴ性とは、対 象の客観的な特性ではなく、そこに参与するわれわれによってある程度構成されるものであり、したがってある程度相対的なものである。しかしそう断言するこ とでわれわれが主張しようとしていることは、あらゆるメディア経験がライヴ的であるとか、ライヴ性は全く相対的であるといったことではない。問題は相対的 な構成を制約する機構であり、それこそがメディア化されたパフォーマンスのライヴ性についてのより普遍的な基準となりうる。このような先行するパフォーマ ンス研究におけるライヴ論の問題点や不満を乗り越えるための補助線として、本論文は、セカンドオーダー・サイバネティクスないしネオサイバネティクス等と 呼ばれる一連の思想を参照する。現代コンピュータの思想的基盤である客観的な数理的情報理論が20世 紀半ばにサイバネティクスから誕生したとき、じつはその片割れとしてより主観的な構成主義的情報理論もまた誕生していた。それがネオサイバネティクスであ る。これは技術的・社会的な理由から現代の支配的な情報理論とはならなかったが、現代のコンピュータとわれわれとの関係性を考える上での重要な知見を豊富 に含んでいる。本論ではそうしたネオサイバネティクス緒論のなかでもとくにオートポイエーシス論における生命の定義や環境との相互作用についての理論を踏 まえつつ、コンピュータ音楽のパフォーマーやエンジニアや研究者らの実践や思想と照らし合わせながら、われわれがいかにしてライヴ性を構成するかを考察 し、ライヴ性の条件としての、諸技術環境の自律性、構成の失敗可能性、諸環境の急転の重要性を指摘する。それらに共通するのは、われわれ自身が埋め込まれ ている諸環境がわれわれにとって不透明化して立ち現れてくる特異点であるということである。

 

傍聴記(執筆:高橋智子)

 本発表の元になった原島氏の修士論文が先見性に富んだ論文だということは、当日配布されたハンドアウトからも充分に計り知ることができた。しかし、本発表においてはセカンドオーダー・サイバネティクス論など、本稿筆者にとっては難解な面が多々あった。これから記すことは、筆者による平易で凡庸な言葉での記述となることをご容赦願いたい。

 本発表は主にコンピュータ音楽における「ライヴ性」、つまり、こうした類の音楽を生(なま)の経験に至らしめる要素と、その際に働く種々のメカニズムを解明しようとする試みであった。コンピュータ音楽のライヴ演奏の場合、時にリアルタイムで音響ないし楽曲を生成することもあるが、一般的な器楽の演奏とは異なり、既にできあがった素材を観衆の前で再現することもしばしば行われる。その際の「ライヴ性」とはいったい何を指すのか。それは、「私」という個人としての、また何らかの共同体としての「我々」による参与によって構築される状態だと理解できるだろう。本発表はこうした議論をさらに深め、先行研究を批判すべくオートポイエーシス論などを援用して論を進めている。

 本学会において、コンピュータ音楽の「ライヴ性」に関する本格的な研究成果が披露されたことは極めて重要だ。だが、聞き手側の理解力にも関わるのかもしれないが、限られた時間内での発表ということもあり、発表全体がやや急ぎすぎた感も否めなかった。口頭発表もある種のライヴなのであって、送り手と聞き手の相互作用から成り立つ面もあるのではなかろうか。

 

3. 芥川也寸志の器楽作品に関する一考察

― 管弦及び弦楽のための作品を中心に

前田 佳恵 (東京学芸大学大学院)

発表要旨

 芥川也寸志(19251989) の作品は、楽譜や音源が世に出ていないものが多い。そのような作品の実態を知るには、芥川と同世代の作曲家や音楽評論家による数少ない解説を見る以外に方 法がない。ただしその解説の中には芥川との対談で語られた作曲理念や活動の背景を紹介するだけで、楽曲分析が伴っていないものもある。

  本論では、文献として残っている芥川の言動や作曲理念がどう具現されているか、楽曲分析によって検証することを目的としている。ただし研究対象は管弦及び 弦楽のための作品のみ(テレビ番組等に関連する作品や他者からの委嘱作品を除く)とする。その手段として、芥川自身の言動や周囲の状況から判断して芥川の 創作期を3つに分け、創作期別に行った楽曲分析から共通する特徴を挙げ、それぞれの創作期で芥川が得たものを考察した。その結果を以下に記す。

 さまざまな作曲家、特に幼少期に好んで聞いていたI.ストラヴィンスキー(18821971)の影響を受けながらも独自の作風を確立した時期を、本論では第1期(1957年まで)とする。この時期に芥川は、緩急の対比の中で特定の旋律やリズムパターンを繰り返す「オスティナート」を作品の軸とした。

2期(1958年から1966年まで)は、あらゆる音の中から欲しい音だけを残し、その結果を作品とする作曲理念「マイナス理論」の実践した『エローラ交響曲』から始まる。続く『弦楽のための音楽第1番』と、『弦楽オーケストラのための陰画』では、この「マイナス理論」を更に発展させ、第1期よりもはるかに限られた音素材の執拗な繰り返し―まさにオスティナート―によって作品の一部を構成することに成功した。

しかし、第2期での試みは他の作曲家からの批判を受ける。これを受けて反省した芥川は初心に帰ったと言い残し、作風を意識的に第1期に戻す。本論ではこの時期を第3期(1967年以降)とする。

芥川と同世代の作曲家や音楽評論家によると、この時期の作風は「マイナス理論」を打ち立てる前に完全に戻ったとされ、本論で言う第2期の3作品だけが芥川の本来の作風から逸脱したものとされている。しかし筆者には、1969年の『チェロとオーケストラのためのコンチェルト・オスティナート』には第2期での経験が見事に生きているように見えた。この作品は、1つのオスティナート・モチーフと、それと関連性のある旋律、及びそれらから派生した音素材に支配されている。これ程までに有機的な作品を書けたのは、第2期での限られた音素材の繰り返しによって鍛えられたためであると、筆者は考えた。

 以上より、芥川は前の創作期で得たものを次の創作期の基盤としながら、オスティナートという作品の軸を確固たるものにしていったことがわかった。3つの創作期は別々に存在するものではなく、1本の道のりとして結ばれているように見えた。

 

傍聴記(執筆:渡邉未帆)

本発表の目的は、芥川也寸志(1925~1989)の器楽作品(テレビ番組等に関連する作品、委嘱作品を除く)を分析することによって、芥川の作曲理念を明らかにすることである。

 発表者は、芥川の作品を、第一期(~1957)、第二期(1958~66)、第三期(1967~)に分類し、第一期の作品にオスティナートの手法、第二期の作品に「マイナス理論」(和声を重ねる方法ではなく、音を最小限に還元していく方法)の特徴を見出し、第二期の「マイナス理論」がしばしば芥川の本来の作風から逸脱したものと扱われる言説が多いものの、第三期の《チェロとオーケストラのためのコンチェルト・オスティナート》が、第一期のオスティナートの探求だけではなく第二期に探求された限定された素材を使用する方法が生かされていることであり、芥川作品の全期にわたるオスティナートを用いた有機的な発展を指摘する。

 同時代の作曲家からの影響関係、作曲家自身の言葉と作曲された作品との間の差異についての質問があったが、本研究ではその批評的な検証は行われなかった。また、本研究において、委嘱作品やテレビ番組に関連する作品は、作曲者の意図が直接的に反映されたものではないと考えて、分析の対象から外していること、さらに、本研究では芥川作品が《チェロとオーケストラのコンチェルト・オスティナート》(1969)にすべて収斂されていくことに結論づけられていることに疑問が挙った。

 

 

4. 林光 合唱曲《原爆小景》への道程とその後

伊藤真由美(東京音楽大学)

発表要旨

 本発表では、林光(はやしひかる)(1931-)の代表作である合唱曲《原爆小景》が2001年に完結するまでの道程と、完結後の作品で《原爆小景》に関連する作品に焦点をあてる。《原爆小景》は数多くある林作品の中でも代表曲の一つとされる。社会的メッセージ性が強いことは多くの林作品に共通する特徴だが、《原爆小景》は完成までに約50年もの時間を経ていること、毎年必ず同じ時期に同じ演奏団体で演奏される点で特筆すべき作品である。

まず、着想(1952年)から完成までの約50年間を、当時の社会背景や作曲家自身の思想、《原爆小景》を巡る演奏活動に着目しながら時系列に追った。作曲のきっかけは、広島の詩人、原民喜(はらたみき)の連作詩『原爆小景』との出会いである。林は1958年に第1曲目《混声合唱のためのカンタータ 第1番 原爆小景より 水ヲ下サイ》を発表した。1971年には1958年の作品に2曲加え《原爆小景》と改題して3曲構成で出版され、2001年には1971年の作品に1曲加えた4曲構成の完結版が出版された。その他に林は、未発表の《永遠(とわ)のみどり》(単曲/1952)、未出版の合唱組曲《ヴァカンス》(4/1963)、同じく未出版の《新 原爆小景》(3/1982) を作曲していることがわかった。これらは、《原爆小景》完結版に至る過程に重要な関わりを持つ作品群であり、これらを考察対象に加えることで、林が『原 爆』という特殊な主題に向き合ってきた過程とこれらの曲の相互関係を明らかにすることが可能となった。前述した未出版、未発表の作品は、作曲家の協力によ り、可能な範囲で自筆譜複写の提供を受け、考察の土台とした。

  楽譜を入手できた曲は音楽的分析を行い、特に林がテキストを重視して作曲していることから、詩に対してどのような情景を音楽で描写しているかを考察した。 また林が影響を受けたと考えられる、それらの作品の時代背景やその時代の出来事との関連に注目し、林とのインタビューから得た情報も考察の助けとした。

 《原爆小景》が完成した後、長崎の歌人、竹山(たけやま)(ひろし)の短歌集をテキストに、《とこしへの川》(3曲構成)が20052007年 に完成した。この作品についても作曲家から自筆譜複写の提供を受け、それを基に音楽的分析を行ったほか、短歌が描写する情景を音楽へいかに反映させている かを考察した。この作品と《原爆小景》の共通点は歌詞が『原爆』に関連していることであるが、考察の結果、《とこしへの川》は《原爆小景》より精神的に発 展的な視点で作られているという結論に至った。

修 士論文での考察を通して、《原爆小景》完結までの一連の流れと、その後の作品の《とこしへの川》、すなわち『原爆』という非常にメッセージ性が強く、重い 題材による作品群を、戦後から現在に至るまでの時代の流れや思想の変化と関連づけて理解すると同時に、音楽的な考察を加えてそれらの相互関係を明らかにす ることができた。特に、「原爆小景」や「とこしへの川」の『詩』に対する作曲家自身の思い入れを尊重し、詩に対していかに音楽を構築しているかという視点 に重点を置いて考察することにより、林が一つのテーマに納得がいくまで固執し、表現者として「伝える」ということに徹してきたことを示すことができたと考 える。

 

傍聴記(執筆:渡邉未帆)

 

本発表の目的は、林光(1931~)の合唱曲《原爆小景》の作曲過程を明らかにすることによって、林の「原爆」についての思想を考察することである。

 本研究では《原爆小景》の素材となるテキスト、初演や楽譜出版や改稿の状況などから1952年の着想から2001年の完結版に至るまでの約50年の道程が示されている。自筆譜を参照し、作曲家への聞き取りを行い、修士論文内では楽譜分析と詩のテキスト分析が行われたという。また、《原爆小景》完成以後の傍系作品として《とこしへの川》(2005-2007が挙げられ、林がスケッチした図「原爆小景の木」(長谷川集平作画、1984)を踏襲する形で、発表者自身によってこの作品群の見取り図が新たに示された。

 質問者からは、本発表で実際の音源や、分析例が具体的に提示されるとよりわかりやすかったということ、また、この作品群において、トーン・クラスターの技法と、調性が、いかに使い分けられているか、楽曲とテキストの対照について視点をおいた分析を示すと興味深いのではないかと指摘された。さらに、《原爆小景 完結版》(2001)から《とこしへの川》(2005-2007)に至る、林の「原爆」に対する思いの変化がいかに音楽的に現されているかを具体的に示されるとよいのではないかが指摘され、次回のより具体例を示す発表に期待が持たれた。