東日本支部通信 第28号(2014年度 第7号)

2015.3.4. 公開 

indexに戻る


東日本支部 第28回定例研究会

日時:2015年3月21日(土)午後2時〜5時半
場所:弘前大学教育学部 音楽棟2階 音楽ホール(文京町地区キャンパス)
内容 : シンポジウム
     「イタリア近代歌曲の興隆、その知られざる諸相から
            〜詩、ワグネリズモ、ピアニスト〜」
演奏予定
      Sgambati: 《4 Melodies》より〈Serafina〉 (op.35-1)
      Respighi:《Quattro liriche》より〈Sogno〉、〈Sopra un'aria antica〉
      Pizzeti: 《I Pastori》   ほか

司会・コーディネイター:朝山奈津子(弘前大学)
パネリスト:森田 学(ゲスト、国立音楽大学)
       山田高誌(西日本支部、熊本大学)
       原口昇平(東京藝術大学)
独唱・コメンテーター:杉原かおり(ゲスト、弘前大学)
ピアノ伴奏:宮本香織(ゲスト、弘前大学)


【シンポジウム趣旨】(朝山奈津子・森田学・原口昇平)

 音楽通史において、いわゆる芸術歌曲の歴史はシューベルト(1797-1828)に始まる。これまで、19世紀以降のピアノ伴奏付独唱曲は、ドイツ語作品を中心に語られてきた。フランス語をはじめとする非ドイツ語の独唱曲創作は、ドイツの影響を受けて19世紀半ば以降に一般化したかのように叙述されることが多い。
 しかし少なくとも、イタリアの近代歌曲について、ドイツの影響を指摘することは可能なのだろうか。
 この分野の先行研究はきわめて少ない。また、音楽通史やドイツの事典項目においてはほとんど言及されない傾向にある。R. タラスキンは全5巻からなる『オクスフォード西洋音楽史Oxford History of Western Music』(2005)において、最後の2巻を20世紀の記述に充てているが、イタリアにおける近代歌曲の成立についてはほとんど言及していない。19世紀末から現在まで版を重ねるRiemann-Lexikonの「Lied」の項目は、2012年の改訂第13版において、イタリアだけは周辺諸国と異なることを伺わせる記述に改められている。とはいえ、かの国がどのような特殊な状況にあったか、なんら具体的には述べられていない。
 そして、実際の作品、レスピーギ(1879-1936)、ピッツェッティ(1880-1968)、マリピエーロ(1882-1973)、カゼッラ(1883-1947)らの独唱曲には、いわゆるドイツ・リートと響きの上での類似をただちに聞き取ることはできない。ピアノ伴奏による独唱という演奏形態のみが共通点であるとするなら、イタリアにおいても、ロマンヅァやオペラ・アリアの編曲の伝統がある。
 本シンポジウムは、こうした状況を踏まえ、敢えて、イタリア近代歌曲に対するドイツの影響を指摘しようと試みる。
 そこでまず司会者の朝山奈津子が、本シンポジウムの開催に至った動機として、「歌曲」をめぐるドイツ語圏の歴史記述の問題点を提示する。その際、19世紀以降の独唱曲の代名詞として使われるようになった「芸術歌曲Kunstlied」という言葉に注目する。この言葉は、1841年に、『音楽新報Neue Zeitschrift für Musik』上で用いられて広まったと言われる。本発表では、ベートーヴェンとシューベルトが実現した真にドイツ的な精神を象徴するジャンル、とされる「芸術歌曲」について、「芸術でない歌曲」を19世紀後葉以降のドイツ語の歴史記述がどのように捉えているかを考察する。
 シンポジウム最初の発表として、パネリストの森田学は、イタリアの「近代歌曲」の音楽的特性を歌詞の扱い方の観点から整理する。韻文で書かれることの多いイタリア歌曲において、韻律法や作詞法は作曲に強く作用した。本発表では時代を追って、19世紀前半のオペラ作曲家のロッシーニ(1792-1868)らの歌曲における言葉とメロディの扱い方、続いて、19世紀後半のトスティ(1846-1916)やレスピーギ、ドナウディ(1879-1925)など、芸術作品を書くにあたりこのジャンルを選んだ作曲家たちの歌曲を中心に分析を加える。とりわけこの新たなジャンルの興隆には、トスティの後期の創作活動が少なからず貢献している。これらの分析をもとに、いわゆる「イタリア近代歌曲」と総称される音楽作品の特徴をできるかぎり明らかにしたい。さらに、いわゆるドイツの「リート」やフランスの「メロディ」に相当する芸術歌曲として「イタリア近代歌曲/リーリカ」を単純に位置づけられるのか、そして、ヴェルディ(1813-1901)というあまりにも大きな存在のあとでイタリア人作曲家たちの歩んだ道とどのように関わるのか、考察のきっかけとしたい。
 二番目に、パネリストの山田高誌は、ヴァーグナー(1813-1883)の楽劇および作曲家自身のイタリア滞在が、当地の歌曲創作に与えた影響を論じる。イタリアの各都市においてヴァーグナーは、実際に上演される前から教養層の高い関心を集めていた。が、彼のどの楽劇もかなり経ってからイタリアで初演されており、例えば音楽史上の里程標である《トリスタンとイゾルデ》は1888年になってからようやくマルトゥッチ(1856-1909)によってボローニャでイタリア初演を迎えている。本発表では、楽劇の世界観が音楽家よりもむしろ詩人たち、オペラ作家よりも器楽作家へ大きな影響を与えた点に注目する。
 三番目に、パネリストの原口昇平は、ズガンバーティ(1841-1914)の歌曲をとりあげて分析を行い、ドイツ・リートの影響を探り出す。この作曲家は、これまで主にピアノ音楽の作曲家とみなされてきたが、実は歌曲作品を相当数出版しているうえに、それらのなかで本シンポジウムの主題に照らし合わせると無視できない傾向を示している。すなわちドイツ的志向である。その志向は、彼が初期よりハイネなどドイツのロマン派詩人のイタリア語訳詩を好んで取り上げたことや、ヴァーグナーの紹介でドイツのショット社と契約してイタリアよりもむしろドイツ・リートの優勢な国際市場へ向けて作品を発信するようになったことからもうかがえる。もちろんこのせいで、ズガンバーティの歌曲はイタリア国内では当時大きな流行を生むことなく、今日記憶されてもいない。が、彼がローマの聖チェチリア音楽学校の創立者にして校長を務めたことからいって、彼から後進への影響を小さく見積もりすぎるべきではない。本発表では、ズガンバーティの歌曲の分析を通じ、ドイツ・リートとの構成上、作曲技法上の共通点を探るとともに、イタリア近代歌曲における位置づけについて考察する。
 最後に、ソプラノ歌手杉原かおりが、トスティ、ズガンバーティ、レスピーギ、ピッツェティなど4曲の実演を行い、発表で提示された分析内容を実際の音として体験する機会を設ける。
 本シンポジウムを通じては、いまだ音楽学研究の成果が充分に蓄積されているとは言えないイタリア近代歌曲について、どのような研究テーマがあり得るのか、展望を示したいと考えている。


【傍聴記】(小林 幸子)

 第28回定例研究会、シンポジウム「イタリア近代歌曲の興隆、その知られざる諸相から 〜詩、ワグネリズモ、ピアニスト〜」が、2015年3月21日に弘前大学で行われた。登壇者は、司会兼コーディネーターの朝山奈津子氏、パネリストとして森田学、山田高誌、原口昇平の3氏。それに、独唱兼コメンテーターの杉原かおり氏とピアノ伴奏の宮本香織氏が加わった。
 はじめに、朝山氏が次のように問題提起をした。複数の主要音楽事典の「ピアノ伴奏付独唱」項目を紐解くと、ドイツ・リートを中心に記述されており、イタリア歌曲を示す記述は非常に少ない。そして、ドイツ周辺諸国の歌曲はドイツ・リートの影響下に確立していったものとして、記述される傾向にある。それでは、「実際にイタリア近代歌曲はドイツ・リートの影響を受けているのか」、「影響を受けているのだとしたら、それはどのようなものか」、「影響を受けていないとすると、当ジャンルはいかにして起こったのか」。これが今回のパネリストたちに投げかけた問いである、と朝山氏は述べた。
 続く森田氏は、日本では習得できる機会の少ないイタリア歌曲の仕組みを体系的に解説した。基本的な用語や詩の形式に関する詳細な説明の中でも、とりわけ「歌曲」に相当するイタリア語が数多く存在するという話題は、歌の国イタリアを実感させるものであった。一方、トスティが歌曲の作曲においてイタリアの重要な詩人ダンヌンツィオの詩を多数採用するなど、文学性の高い詩の選択に重点を置いていたこと、そして当時の詩人や作曲家たちが歌曲におけるテキスト(内容、響き、リズム)を重視しており、従来の形式を踏まえながらもドラマが途切れることなく進んで行くための方法を常に模索していたという事実は、いずれもドイツ・リートとの関係性を探るための重要な手がかりとなるであろう。
 次に山田氏は、イタリアでのワーグナー受容の観点からイタリア近代音楽の勃興を読み解いた。1860年代にミラノで起こった総合的芸術運動「蓬髪主義scapigliatura」がイタリア近代音楽成立の端緒であったのではないかという山田氏の見解は、非常に本質的なものである。ワーグナーの影響を強く受けたこの運動に参画していたボイトらによって、ワーグナー作品の特徴を取り入れたオペラが次々と登場したのだという。また、ナポリでのナポリ音楽研究の興隆時期がワーグナー研究に後れを取っていたという事実から、近代化の到来したイタリアにおいて、ワーグナー受容がむしろナショナリズムを感化したのだという分析も興味深い。ワーグナーの側からのイタリアといえば、フランスとの複雑な関係性とは異なり、若い頃にはイタリア・オペラへの憧れをドイツ音楽と比較して「ドイツ人たちよ、歌、歌、やっぱり歌だ!」("Bellini", 1837)と表し、生涯において幾度となく訪れた安息の地である。そのワーグナーが、イタリア近代音楽の成立においてこれほどまでに重要な役割を果たしていたのだとする山田氏の見解には、新鮮な示唆を与えられた。
 最後の発表者である原口氏は、ズガンバーティを事例に論じた。中でも印象に残ったのが、リストの弟子であったこと、さらにはワーグナーに紹介されてショット社から出版していたという事実である。同社の国際性からも出版作品はヨーロッパ全体を意識する必要があったが、ズガンバーティ本人がそもそもそうした志向にあったのだという。また、《4つのメロディーア》第1曲<セラフィーナ>の、原口氏による楽曲分析も興味深いものだった。特に、伊語訳詩にはハイネによる独語原詩の韻律を意識したと見られる処理が施されており、それは伊語でも独語でも同じ旋律を歌えるようにするためだとする解釈は腑に落ちた。イタリア歌曲の作曲家にとって韻律がいかに重要であるか、象徴的に示すものである。最後には、ズガンバーティの歌曲はドイツ・リートへの意識を伺わせる、そして彼の文学性への意識はドイツ志向やヴァグネリズムから影響を受けているのだ、という見解が示された。
 杉原氏と宮本氏による実演では、イタリア詩の韻律や繊細な工夫の施されたピアノ伴奏をじっくりと堪能することができた。その後のディスカッションでは、ズガンバーティ作品の演奏にあたって、他のイタリア作品とは異なる感触を漠然と覚えたという両氏の感想が印象的だった。
 シンポジウム全体は良く練られた構成であり、個々の発表も独自の観点からドイツとの関係性に照射した充実の内容であった。総体的に見れば、「ドイツ・リートの影響」に関しては明確な見通しに至ることはなかったが、そもそも当シンポジウム自体がその問題提起として準備されたものである。聞き手やパネリスト相互に新たな知見を効果的にもたらすことができたという点において、目標は達成されたと言えるだろう。森田氏によれば、イタリア近代歌曲には調査の進んでいない作品が現地に数多く眠っていると言う。このジャンルの研究が立ち後れていることを示す、なによりの証拠である。今回のパネリストの方たちには、当分野を今後とも積極的に牽引していかれることを期待したい。
 最後に、本例会の特筆すべきもうひとつの側面としてYouTube Liveでの配信について触れなくてはいけない。今回は支部初の試みということもあり、入念な事前準備にも関わらず配信状況の不具合なども発生したが、問題なく機能すれば有益なシステムになりうる。今後の学会運営に一石を投じる意欲的な試みであったとして評価したい。


indexに戻る