東日本支部通信 第26号(2014年度 第5号)

2014.11.25. 公開、傍聴記掲載

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東日本支部 第26回定例研究会

日時:2014年10月11日(土)午後2時〜4時
場所:武蔵野音楽大学 江古田校舎 3号館 447室
内容:金澤正剛先生 講演会(例会委員会企画)
司会:久保田 慶一(国立音楽大学)

題目「15世紀フェッラーラの受難曲をめぐって」

 現在、モデナの大学図書館に保管されているエステ文庫の中に、15世紀末に実際にフェッラーラの宮廷聖歌隊によって用いられていたと思われる2巻から成る大型聖歌集が存在する。具体的な内容は、詩篇、賛歌、マニフィカトなどの晩課のための作品が主で、作曲者としては、Johannes Martini とJohannes Brebisの名が見られ、両者の共作と見做される作品も含まれている。従ってこの曲集は、この二人がフェッラーラ宮廷礼拝堂で活躍していた1470年代に編集され、少なくとも世紀末頃迄、用いられていたものと推察される。ところで、この曲集の2巻目の巻末に、知られる限り史上最初期の受難曲が2曲含まれている。そこで、これらの2曲に関して、その成立の背景、実際の演奏、復元の可能性などに関して考察してみたい。(金澤正剛)


【傍聴記】(那須 輝彦)

 多年に渡って学界を導いてこられた大先輩にご登壇頂いて、最近のご研究を伺ったり、学会へのご提言を頂戴したりするという例会委員会企画の最初の催しとして、元学会長の金澤正剛国際基督教大学名誉教授の講演会が開催された。
 北イタリアのフェッラーラを支配したエステ家は、デュファイ、ジョスカン、オブレヒト、ブリュメル、ヴィラールト、アリオスト、タッソ、グヮリーニらが滞在してルネサンス文化を育み、さらにはルツァスキが「貴婦人たちのコンチェルト」を率いてバロックへの道を拓いた一大文化拠点である。金澤氏の研究は、このエステ家の宮廷を起源とする5つの手写譜、なかでも一般に “Modena C”と呼ばれている Ms.α.M.1.11~12, olim Ms.Lat.454-456. 羊皮紙、56.4×40 p、白符計量記譜法)に採録されている史上最初期の「受難曲」の一例をめぐるものであった。
 “Modena C”手写譜は、晩課の詩編、受難節用の賛歌、マニフィカト、聖週間聖務日課用の詩編などを収めており、聖務日課、とりわけ晩課のための実用的な典礼曲集であることが明らかである。エステ家の古文書に「作曲家ジョヴァン・マルティン作の……礼拝堂用晩課歌曲集」への1479年の支払い記録があり、これが “Modena C” を指すと推察される。事実、 “Modena C” には、フェッラーラ公エルコレ1世治下の聖歌隊拡充期に楽長であったヨハンネス・マルティーニの作品が収められている。
 “Modena C” は、本来2冊のセット(C1とC2)であり、賛歌の場合など、奇数節がC1に、偶数節がC2に書かれていることから、この2冊は、それぞれ祭壇に向かって左側(福音書側)と右側(使徒書簡側)に分かれた聖歌隊用であり、詩編が節ごとに左右の聖歌隊によって交唱されていたことがわかる。ちなみにそれらの賛歌は、奇数節がマルティーニの前任者ヨハンネス・ブレヴィス によって、偶数節がマルティーニによって作曲されており、典礼曲を整備するうえでの両者の協同作業が伺える。その一方で、同じく奇数節と偶数節とがC1とC2に書き分けられている聖週間の詩編は、すべて作者不詳である。これらの詩編曲は2声で、上声は単旋律聖歌の詩編朗唱定型、下声はおおむねその6度下をたどるものである。したがって実際の演奏の際に、上声の4度下を即興的に充填して六の和音の3声曲を現出させる「フォーブルドン」の例であることが十分考えられる。こうした詩編唱のフォーブルドン化もマルティーニの手になる可能性が高いが、上声が詩編唱定型、下声がその6度下というだけでは、クレジットを明記するに価しない作業と思われたのではないかというのが金澤氏の推察であった。
 C2のみに記載されているのが、本研究発表の主題であるマタイとヨハネの2つの「受難曲」である。前者は、『マタイによる福音書』第26章5節「民衆の中に騒ぎが起こるといけないから、祭りの間は〔イエスの捕縛は〕やめておこう」という祭司長や長老たちの言葉で始まる。2声であるがやはりフォーブルドンで歌われたことは間違いない。以下、弟子たちの台詞が6声と8声、祭司長たち、群衆などが2声(ただし大半はフォーブルドによる3声)、ユダ、ペテロ、ピラトなど単独人物の台詞が単旋律(黒四角符を用いた単旋律記譜)によって記されている。単独人物の単旋律は、ほぼ同音反復で、「疑問」や「断言」などによって結尾を書き分けた一定の朗唱音型によっている。その朗唱定型は弟子たちの台詞を歌う6声曲のテノール声部にも現れる。すなわちこの「受難曲」は基本的に、聖週間の典礼における「受難の朗読」の一部を多声化したものであり、聖書朗読が次第に受難曲へと発展する初期段階を示す実例として興味深いのである。
 ところでこれらのC2の譜には受難曲に不可欠である福音記者(エヴァンゲリスト)とイエスの部分がない。当然、対になるC1にそれらが記されていることが予想されるが、前述のとおりC1には「受難曲」の譜はない。恐らく、福音記者とイエスの部分を担当する司祭にとって、朗唱音型は自明のことであったので、あえて記譜する必要がなかったのであろう。またそれらの朗唱音型も、C2の音型を手がかりに復元できるのではないか、というのが金澤氏の見解であった。イエスの台詞はたとえば5度下で歌われるような習慣もあるので復元には注意を要すると思われるが、近似値的な姿を再現することは不可能ではないだろう。
 金澤氏の講義を知る向きには懐かしい、氏の実演を交えたきわめて具体的かつ謎解きのスリルに満ちた講演であった。催しの最後には金澤氏の指導のもと、フロア全員で配付資料の譜例を用いたフォーブルドンの実践が試みられた。がしかし、再三の挑戦にもかかわらず、ついに金澤氏の思い描いた美しい六の和音の平行は現出しなかった。どなたか “Modena C” の「受難曲」を復元し、CDにしてくださるとよいのであるが……。


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