東日本支部通信 第25号(2014年度 第4号)

2014.8.28 公開 2014.10.14. 傍聴記掲載

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東日本支部 第25回定例研究会

日時:2014年9月13日(土)午後2時〜4時半
場所:国立音楽大学 6号館 101室
司会:久保田 慶一(国立音楽大学)

〈ラウンドテーブル〉
   「ラモーの理論」と「ラモー理論」―理論と用語の受容を中心として―
パネリスト:
   伊藤 友計(東京藝術大学大学院)
   安川 智子(国立音楽大学、昭和音楽大学)
   江端 伸昭(明治学院大学、フェリス女学院大学)


【ラウンドテーブル主旨】(久保田 慶一)

 「理論の受容」といった時、それが理論そのものの受容である一方で、理論を構成する「用語の定義の受容」であるという側面がある。「ラモーの理論」がその受容の過程で大きく変化し、「ラモー理論」になったとするならば、それは理論そのものの変化という以前に、それを構成する用語の定義が変わったからではないか。ここでいう「ラモーの理論」とは、18世紀の音楽家にして音楽理論家であったジャン・フィリップ・ラモー(1683-1764)が数々の著書で展開した和声理論であり、「ラモー理論」はその後の受容の過程で変化した和声理論をさしている。
  「ラモーの理論」はまず、時代としては連続しているダランベールやルソーらの啓蒙思想家たちによって受容された。しかしラモーが理論書において実践的側面に重きを置いていたのに対して、啓蒙思想家たちの関心が、実践よりも「理論の簡略化、用語の概念化」に向いていたところに、まず大きなずれが生じたと考えられる。さらに言えば、このダランベールをドイツ語訳したマールプルクにおいては、言語の違いによる概念と実体のずれが、また19世紀初頭に書物を通して受容される過程では、時代の違いによる(とりわけフランス革命前と革命後)のずれが生じるというように、今日私たちの目の前に「ラモー理論」として立ち現われるまでに、「ラモーの理論」は相当な変容を経験している。
  今回のラウンドテーブルでは、一度「ラモーの理論」に立ち返り、その理論を経験し、その後にダランベールやマールプルクを中心とした「ラモーの理論」の受容過程を通して、現代の「ラモー理論」の理解の特徴を明らかにしたいと思う。
  ラウンドテーブルは2部構成である。各部の内容は以下のとおりである。

第1部:「ラモーの理論」から「ラモー理論」へ
・伊藤:「ラモーの理論的著作と和声理論」と題して、まずラモーの理論関係のテクスト群の概要を把握することから始める。そしてラモーの和声理論の基本事項を踏まえるとともに、音楽における基礎ユニットとしての和音、カデンツ進行という指向性、生成源としての根音/基音、といった諸点を扱う。これらの論点を見ることよって、ラモーの和声理論と現代の和声理論との間にある相違を確認できるであろう。共通理解としてラモーの和声理論の特質の把握に努める。
・安川:「フランスにおけるラモー受容」と題して、難解なラモーの理論を要約して紹介したダランベールの著書『ラモー氏の原理に基づく音楽理論と実践の基礎』(1752年)によるラモー受容を説明する。ダランベールの関心は「ラモーの理論」の原理であったわけだが、その原理を紹介するのに際して、彼独自の解釈が加えられた。また音楽実践の技術的で複雑な議論に言及することはなく、いわば粗筋のみを提示するもので、本当の意味での「ラモーの理論」とは言えない。「ラモーの理論」から「ラモー理論」への変容がここにはじまった。
・江端:「ドイツにおけるラモー受容」と題して、「ラモー理論」への変容がダランベールの上記の著作をベルリンの音楽理論家マールプルクがドイツ語訳したことに端を発したことから、マールプルクについては用語の翻訳について説明する。この翻訳は当時ベルリンにいたエマヌエル・バッハやキルンベルガーらに多大な影響を与えたことから、キルンベルガーでは、自身の理論書に掲載されたエマヌエル・バッハらの分析例や古典的な通奏低音の理論での分析方法を紹介して、ラモーの本来の考え方とのずれを指摘し、さらにエマヌエル・バッハがなぜ「自分は(また父親の音楽も)通奏低音の理論の側にあり、ラモーの理論には組しない」という明確な態度を示すことになったのかを考える。これらの議論の延長として、もっと後の時代の音楽(ベートーヴェンなど)のラモー理論による分析を、現代に一般的な和声分析と比べて、両者の相違を説明する。

第2部:用語翻訳の問題
・伊藤:「ラモーの用語法」と題して、ラモーの和声理論で用いられる用語のうち、「主音・基音・根音」、「根音バス」、「トニック・ドミナント・サブドミナント」について、その独自の用語法について説明し、今日、日本語訳する場合に生じる問題を検証する。
・安川:ダランベールの著作の共訳過程で生じた問題や課題の中から、特に「son principalとson fondamental」、「basse fondamentale」の日本語訳について検証す る。
・江端:「トニック、ドミナント、サブドミナント」と題して、「ラモーの理論」におけるこれら概念と、19世紀のドイツ和声理論の「和声機能」概念について、背景にある原理や理論について検証する。

最後に
  理論を正しく把握するには、理論家自身が用いた用語やその用法を解明することが必要であるが、しかしこれには困難が伴い、単純には進まないことが多い。我々が現在理解している一般的な理論と用語法は、ラモー自身の理論と理論用語からはかなりのずれを生じているし、その事実を研究者が認識することにも手間がかかってしまう。こうした受容における「誤解と歪曲」を詳しく把握することではじめて、我々の現代的な用語法とラモー自身のそれとの乖離を正しく語る可能性も開かれてくるであろう。今回のラウンドテーブルのねらいも、まさにここにある。
  「ラモーの理論」の「誤解の歴史」は、決して否定的にのみ捉えられるべきではないであろう。ラモー自身の考えによって、彼の理論を正しく紹介して行く動向が、まさに今の日本にも現われつつある。だからこそ、その後の変容を被った「ラモー理論」を把握することが必要とされているのだ。今回のラウンドテーブルがそんなラモー理解の出発点になればと思っている。


【傍聴記】(友利修)

 ラモー没後250年の本年、フランスを始め世界中で記念行事が催され、日本でもオペラの公演を含む各種の演奏会が目白押しとなっている。このラモー・イヤーへの日本音楽学会からの貢献は、作曲家としてのラモーよりも理論家ラモーに焦点をあてるという、まさに音楽学会でなければ成しえない「硬派」の取り組みによるものであり、ラモーの命日の翌日9月14日の土曜の午後、久保田慶一氏をコーディネーターとして伊藤友計氏、安川智子氏、江端伸昭氏の3人のパネリストを招いて国立音楽大学で開かれた東日本支部のラウンドテーブル「『ラモーの理論』と『ラモー理論』 — 理論と用語の受容を中心として — 」として実現した。
 ラウンドテーブルはまず、久保田氏による企画の趣旨説明の後、3人のパネリストの発表が上記の順番、各自30分の持ち時間で進む。
 ラモーの音楽理論について、ラモーの原典に丹念に就きながら博士論文を執筆中の伊藤氏の発表は、ラモーの著した理論に関するテキスト群の概要とその論点を解説するものである。まず、1722年の最初の和声論から1750年の著作までのその発展、論争を背景としたそれ以後の論の流れが手際よく概観された。先行研究によってラモーの理論的貢献を6つの柱に分けた解説紹介が資料で配布され、発表ではそのうちの2点「カデンツ進行の指向性」、「生成源としての根音/基音の諸理論」が、原著からの譜例と音によりながら具体的に紹介された。その中で、現在のわれわれが馴染んでいる音楽理論における、終止の諸形式、根音バス、トニックやドミナントなでの用語やとらえ方とラモーにおけるそれらの違い、ラモーの著作の中での変化、ラモー自身が現実の音楽実践に適応するため理論に加えた調整の努力が説明され、ラモーの音楽理論を理解するためには、それらを原著の文脈にそって注意深く理解することが必要であることが強調された。
 伊藤氏のラモーの理論についての発表に対し、2パネリストの発表は「ラモー理論」として伝えられていくものについてである。安川氏の発表では、18世紀半ばよりラモーの死、フランス革命を経て 19世紀へと至る受容の中で、理論の理解と評価が変わっていく歴史が概観された。そして、その過程の中で決定的なのが、この理論を内外に知らしめるのに最も影響力のあったダランベールの『ラモー氏の原理に基づく音楽理論と実践の基礎』であることについて検討が加えられる。ダランベールは、理論を作曲の理論として普及させようとするラモーの意図を汲んでその側面に力を注ぐが、音楽家ではない彼の理解の枠組みによって、はからずも、その説明の体系は静的な和声の類型に基づくものへと進んでいく。この書の改訂の問題という細部にまで即してそこに迫る論証は、一昨年に出版されたこの書の邦訳に参加した氏のならではの知見による。結果的にこうした理論理解の方向性が、19世紀、音楽院の作曲の教程からこの理論が敗退すること、その代わり調性理論に影響を与えていくことにつながると、氏の説明は及ぶが、残念ながら詳細は時間の関係で割愛されざるを得なかった。
 江端氏の発表は、ドイツにおけるラモー受容という主題を担当してのものだが、氏の作曲家・理論家としての観点から、ドイツにおける受容を文献に即して検証するというような枠組みを超え、ラモー理論を、西洋音楽の音組織の歴史、18〜19世紀のドイツ芸術音楽の作曲実践の中に定位する試みであった。ドイツにおける理論家によるその翻訳受容や、バッハの楽曲の分析に適応するその試みが必ずしもその受容の本質的なものではないと示す一方で、むしろ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトの実作がラモーの和声的進行のとらえ方の枠組みに親和性が高いことを譜例と実演によって示唆したことは極めて刺激的あった。氏の論は、そこにとどまらず、現在日本の音楽大学において実質的な和声理論の標準となっている島岡譲氏の和声の教科書が、1998年の新版で新たな体系として提示された際、それは明示的に示されてはいないが、それまでの機能和声理論よりラモーの理論に近づいているのではないかという驚くべき示唆に進み、現代、そして日本においてラモー理論を取り上げて論じることのアクチュアリティがくっきりと浮かび上がることなった。
 後半1時間のディスカッションはパネリスト同士の議論の中で、発表内容を補足したり、深めていく機会となったが、詳細に立ち入るのはこの短い報告を超える。再三再四問題と浮かび上がってきたのは、用語の訳語の問題で、現代の用語法の先入観をとりはらった理解の必要性、それを日本語で論じる際の難しさが浮き彫りにされた。
 会場は2008年の全国大会の総会にも使われた大学内で最も大きな場所だが、学内関係者としては余裕をみてここを設定してもらってよかったと思わせる人数の参加を見た。音楽理論的な議論が種である議論の性質上、フロアからの質問は主にテクニカルなものに限定されることとなったが、それとは別に、理論をラモーの実作に即して検討するとどうなるかという質問は、今回のラウンドテーブルの枠内に入りきれない問題ではあるにしても、今後の大きな課題を示すこととなっただろう。最後に特筆したいのは、三人のパネリストが用意し配布した資料の充実ぶりで、合本すると全40ページになろうという資料は、ディスカッションの余韻もさることながら、当日の参加者の一人として嬉しいお土産であった。


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