東日本支部通信 第20号(2013年度 第6号)

2013.12.4. 公開 

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東日本支部 第20回定例研究会

日時: 2013年12月14日(土) 午後2時〜5時
場所: 国立音楽大学 1号館120教室
司会: 星野 宏美 (立教大学)

<研究発表>
1. 音楽学校における「近代フランス・ピアノ音楽」の誕生?
   ― 20世紀前半のパリ音楽院ピアノ科試験・コンクール演奏曲目の変遷を中心に ―
  神保 夏子 (東京藝術大学大学院)

2. ポール・ランドルミー『音楽史』および『フランス音楽』における「現代音楽」記述
  成田 麗奈 (東京藝術大学) →発表取りやめ(体調不良のため)

3. ヘンリー・カウエルの音楽理論
   ― 『新しい音楽の源泉』に見る音響素材の解放と拡大の試み ―
  高橋 智子 (東京藝術大学)

4. 20世紀日本の交響楽団におけるレパートリー形成の要因分析
  井上 登喜子 (東邦音楽大学)


1.音楽学校における「近代フランス・ピアノ音楽」の誕生? ― 20世紀前半のパリ音楽院ピアノ科試験・コンクール演奏曲目の変遷を中心に ―

神保 夏子 (東京藝術大学大学院)

【発表要旨】
 今日のピアノ音楽のレパートリーにおいて、ドビュッシー・ラヴェル・フォーレらの作品に代表される「近代フランス音楽」は、「古典派」や「ロマン派」と並ぶ、一つの主要カテゴリーを構成している。これらの作品は、先行研究によってその初期の演奏状況の一端が明らかにされてはいるものの、演奏教育のレヴェルで一群のレパートリーとして標準化されるに至った経緯についてはまとまった研究が行われてこなかった。
 本発表は、当初は限られた演奏家のみが取り上げる「現代音楽」であったフランスの諸作品が、新たな「古典」として演奏教育現場に浸透してゆくまでの初期プロセスの一局面を、若き演奏家の訓練と競争の場としての音楽学校における演奏状況を通じて読み解くことを目的とする。具体的には、近代ヨーロッパの音楽教育の一大中心地としての「伝統」を誇るパリ音楽院を例に、フォーレが音楽院長に就任した1905年から第二次世界大戦終結頃までのピアノ科の期末試験(1月、5〜6月)及び学年末コンクール(7月)での演奏曲目の変遷とその傾向を、フランス国立文書館所蔵の諸資料(試験議事録、学内通達等)およびBongrain編纂によるパリ音楽院の資料集(2012)を手掛かりに分析する。
 音楽院内の試験曲は、もちろん必ずしも当時のレッスンやコンサートでの演奏曲目をそのまま反映するものではない。しかし、音楽院生活の要であり、評点や褒賞による序列化を通じて生徒たちを厳格な管理下に置く試験やコンクールでの演奏曲は、未来の音楽文化の担い手となる彼らの身体や音楽観、レパートリーの形成に大きな影響を与えてきたと考えられるのである。
 まず、学年末コンクールの課題曲の変遷と卒業生の証言をもとに音楽院でのドビュッシーのピアノ曲の初期受容の様相を論じた先行研究(Duche^ne-The´garid & Fanjul 2013)を一つの出発点としつつ、より多岐にわたる作品が取り上げられる自由曲制の期末試験(ただし1922〜29年および1934年以降は主として課題曲制)での演奏状況をも網羅的に参照することで、試験曲に関するデータの補完を行う。そのうえで、調査対象時期を院長の交替に従って3期に区分(フォーレ1905-1920;ラボー1920-1941;デルヴァンクール1941+)し、ピアノ科の教育・試験制度上の変革を整理しつつ、これに伴う各時期の試験曲の傾向、特に新しいレパートリーの導入の度合を定量的に分析し、試験・コンクールのそれぞれについて比較検討する。
 本研究からは、音楽院の試験・コンクールで演奏される曲目(課題曲・自由曲共)に、各院長の方針やこれに伴う教授陣の思惑が色濃く反映されていること、また、第2次世界大戦の勃発が音楽院の保守的な伝統に一つのピリオドを打ち、近代フランス・ピアノ音楽の教育上のカノン化にとっての大きな節目となったことが示唆される。


【傍聴記】(田崎 直美)

 「近代フランス音楽」という概念の柱となる一群の作曲家 ―フォーレ、ドビュッシー、ラヴェル ― の作品が、演奏会プログラムや音楽(専門)教育のレパートリーのなかでカノンを形成する過程については、史料に基づく実証研究がこれまでなされていなかった。筆者自身この問題に感づきつつ、そろそろこうした研究に誰かが着手してくれるのではないか、と淡い期待を抱いていたのだが、本発表はその期待に応えてくれる貴重なものであった。発表者は、パリ音楽院ピアノ高等科の期末試験・年度末コンクールの議事録等から試験曲となった作品とその作曲者を調査し、音楽院長 ― 課題曲選定に大きな影響力を持った ― ごとに時期区分を行ったうえで、傾向の比較考察を行った。丁寧な資料整理が印象的な発表内容であった。
 質疑応答は活気を呈した。内容は大きく4つに分かれる。@「作曲家」だけでなく個々の「作品」(試験曲)の傾向の考察に言及したもの、A試験曲に関して (一般の演奏会レパートリーとの相関性の問題、課題曲選定理由について)、Bフランス占領期におけるユダヤ人音楽家を巡る問題に関して、Cフランスでの音楽における「モダン modern(e)」の概念の変遷に関して。Cはおそらく発表者が最も発展させたかった部分であろうと思われる。パリ音楽院において第二次世界大戦期に、今日の「フランス近代音楽」がカテゴリーとして確立したのではないか、という発表者に対して、第一次世界大戦直後のフランス音楽史記述の影響があるのでは、という意見もあった。更なる調査により今後どう展開されるのか、非常に楽しみである。


2. ポール・ランドルミー『音楽史』および『フランス音楽』における「現代音楽」記述

成田 麗奈 (東京藝術大学)

【発表要旨】
 フランスにおいては音楽理論書および音楽事典が歴史記述としての役割を果たしており、様式史あるいは作曲家列伝としての音楽史書刊行はドイツの後塵を拝し、ロマン・ロランが述べるようにアマチュア向けの書物として扱われることが多かった。だが、普仏戦争の敗戦後、学術的な書物としての音楽史書刊行の機運が高まり、学術的な音楽史書が編まれるようになった。とりわけ「現代音楽」の項目は、フランス音楽を歴史的に正当化するうえで、重要な位置を占めてゆく。本発表ではその一事例として、フランスの音楽批評家・音楽学者ポール・ランドルミーが著した二つの音楽史書における「現代音楽」記述に焦点を当て、彼の音楽史観と戦略を明らかにすることを目的とする。
 ランドルミーは自身の音楽史講義の経験をふまえ、1910年に『音楽史』を出版した。1910年版においてはドビュッシーの創作活動までが取り扱われ、過去の音楽についても、ヴァーグナーやメンデルスゾーンなど、当時フランスで人気のあった作曲家に引きつけた説明を行っている。だが、1923年改訂版においてはこうした記述は姿を消し、全体の章構成も大幅に組み替えられ、「現代音楽」の章があらたに追加された。この章において、ランドルミーはフランス音楽の優位性を強調し、「全世界の音楽国民のなかで第一等にあるのがフランス楽派である」と結論づけている。さらには、第二次世界大戦期に改訂された1942年版においては、「1940年に存命のフランスの作曲家」という項目があらたに追加され、フランスの才能ある作曲家の数的優位性が強調されている。そして、本書において、ドビュッシー以降新たな音楽性を切り開く存在として、六人組が重要視されていることが注目される。
 こうしたフランス音楽の優位性および六人組の重視は、1942年に刊行された『フランス音楽』においてより一層明確に展開される。全3巻から成る本書は、第2巻までは年代順にフランスの作曲家を記述する形をとっているが、第3巻『ドビュッシー以降』においては、大胆にも六人組を中心に据えた章構成を行っている。これによって、ドビュッシー以降のフランス音楽における六人組の重要性をアピールすると同時に、彼らに影響を与えた要素としてジャズやストラヴィンスキー、シェーンベルク等に紙幅を割くことで、フランス音楽の国際性・多様性を浮かび上がらせ、音楽文化の中心地としてのパリを描き出そうという意図が見られる。
 フランスにおける従来の音楽史書とは異なり、両書ともに、新しい音楽言語の創出という観点から書かれている。それゆえに、過去の音楽遺産の正当化よりも「現代音楽」記述が重要性を持っており、多調性を積極的に用いた六人組に未来を託す形での音楽史記述が行われたのである。総括として、こうした立場からの音楽史記述の功罪両面と、ランドルミーの音楽史記述が与え得た影響について指摘する。


3. ヘンリー・カウエルの音楽理論 ― 『新しい音楽の源泉』に見る音響素材の解放と拡大の試み ―

高橋 智子 (東京藝術大学)

【発表要旨】
 20世紀前半、つまりジョン・ケージ登場以前のアメリカ実験音楽の礎を築いたヘンリー・カウエル(1897-1965)は数度の改訂を経て、1930年に『新しい音楽の源泉』(原題 The New Musical Resources 以下NMR)を出版した。本発表はカウエルの初期の音楽実践と思想の集大成であるNMRにおいて彼の創作モットーの1つ「音響素材の解放と拡大」がどのように体系化され、実践されたのかを考察する。
 カウエルが本書の執筆にいたった背景には彼の作曲の師で、後に民族音楽研究の道に進むチャールズ・シーガーの存在が大きい。というのも、カウエルがNMRにて紙幅を割いている不協和対位法のアイディアの源泉はシーガーに遡られるからだ。カウエルが執筆に際して参照した主な文献として、ヘルムホルツの『音感覚について』(1863)とシェーンベルクの『和声法』(1911)が挙げられる。いずれも従来の機能和声の原理を踏襲しつつも、倍音や不協和音の存在に着目している点でカウエルに大きな示唆を与えた。雑誌『新しい音楽』の刊行や、同時代のアメリカ人作曲家による新作演奏会を積極的に企画し、自身もピアニストとしてヨーロッパとロシアに演奏旅行に出かけたカウエルにとって、倍音と不協和音は1920年代〜30年代の「ウルトラモダン」の音楽の独創性や「新しさ」を構築する際の拠り所だったと考えられる。
 NMRにてカウエルが提唱する理論の数々は、倍音列および下方倍音列の振動数比を音楽の各パラメータ−−音高、リズム、拍節、テンポ、デュナーミク−−に適用し、そこからポリハーモニー、ポリコード、不協和リズム、不協和対位法などの独自の理論を展開した。一例として不協和対位法の基本原理を簡潔に述べると、不協和対位法は従来の対位法とは異なり、協和音程から不協和音程へと「解決」する。《弦楽四重奏曲》第1番(1916)は不協和対位法による初期の代表的な楽曲の1つである。
 不協和な音響にたいするカウエルの探究心は、やがてトーン・クラスターやグリッサンドを主体とするスライディング・トーンに向けられた。さらにカウエルはレオン・テルミンにリズミコンの開発を依頼し、電気楽器の領域にも足を踏み入れる。リズミコンは最初期のリズム・マシーンとして後のサンプリング技術の到来を予期するものと言われている。
 彼の先鋭的な音楽理論にはしばしば恣意的な側面や矛盾が指摘されるが、無調や12音技法とは一線を画した20世紀前半の音楽理論書としてNMRが戦後のアメリカ国内外の音楽に及ぼした影響は看過できない。また、ノイズや自然音、ピアノの内部奏法などの新しい楽器奏法や電気楽器にも着目した点においても、多少の瑕はあれども、NMRで呈示されたカウエルの音楽観と理論の存在意義は大きい。


【傍聴記】(白石 美雪)

 ヘンリー・カウエルの初期の音楽思想を集約した『新しい音楽の源泉』は、倍音列を音楽構造の原理として不協和音、不協和音程に基づく新たな和声、対位法、リズム法を説いた理論書である。本発表は彼の理論に影響を与えた作曲家とその内容を概観したのち、スライディング・トーンとトーン・クラスターを事例として取り上げ、音響素材としてのノイズに着目した先駆的な例として位置づけようと試みたものである。
 発表ではカウエルが打楽器音に代表されるノイズを音楽で用いることを「喜び」と表現した文章が引用された。新しい音響素材としてのノイズを模索した初期の例として、カウエルの理論を客観的に評価しようという発表者の意図は十分に納得がいくものの、ここで述べている「ノイズ」とスライディング・トーンやトーン・クラスターを彼自身が同等のものと考えていたかどうかは疑問である。どこまでがカウエルの考えたことなのか、どこからが発表者のオリジナルの分析なのか、明確に示す必要がある。またノイズの歴史との関わりを論じるなら、20世紀の試みを漠然と紹介するのではなく、より具体的な影響関係に踏み込み、カウエルのクラスターを戦後に紹介したカーゲルの論文や、リゲティとペンデレツキのクラスターとの異同を分析することは不可欠だろう。
 奇書とも評される本書だが、じつはここには戦後の新しい作曲技法へとつながる前衛的な発想が犇めいている。今後のていねいな読解と分析を期待したい。


4. 20世紀日本の交響楽団におけるレパートリー形成の要因分析

井上 登喜子 (東邦音楽大学)

【発表要旨】
 本研究は、日本の西洋音楽受容の一様態について、交響楽団のレパートリー形成をデータベース構築と仮説検定という社会科学における一つの標準的手法を用いて分析することにより、明らかにする試みである。従来の洋楽受容研究では、特定の団体や事象に焦点を当てるケース・スタディの手法が広く定着してきたが、音楽受容をめぐる集団全体の傾向や構造的側面の解明を目的とする場合には、演奏活動の大規模データの定量的分析による実証分析が一つの有効な研究手法を提供し得る。とはいえ、レパートリー形成の実証研究は着手されたばかりで、米国の職業交響楽団のレパートリーを分析したTimothy Dowd (2002)や、日本の昭和戦前期の学生オーケストラのレパートリーを分析した井上登喜子(2010)など先行研究はまだ数少ない。
 本発表は、西洋音楽の一ジャンルであるオーケストラ音楽を取り上げ、20世紀を通したレパートリー形成とその要因について検証するものである。具体的には、1927年から2000年までの期間に、日本の職業交響楽団の定期演奏会で演奏された曲目をサンプルとするデータベースを構築し(サンプル数:8団体、演奏会数5,585回、演奏曲目数17,319曲)、レパートリーの全体的傾向とその時代的推移を定量的分析により把握し、レパートリー形成に関する要因分析を行っている。データは、日本の職業交響楽団の定期演奏会記録を体系的に編纂した二次資料(紙媒体)、小川昴編『新編・日本の交響楽団演奏会記録』に基づき、データベースの作成は発表者による。分析では、「特定の作品への依存」と「新規の作品の参入」というレパートリーの二傾向に注目し、これらを被説明変数とした。前者は、特定の曲目に演奏頻度が集中することを表す変数であり、市場の集中度を測る指数「ハーフィンダール・ハーシュマン指数」を援用する。後者は、新規に取り上げられたレパートリーの推移をもって示す。レパートリー形成に影響を及ぼす要因としては、時代、社会変化、景気変動、地理的要因、オーケストラの演奏能力、オーケストラの運営形態、文化政策に注目し、これらを説明変数として仮説検定を行った結果、演奏能力、運営形態、文化政策について有意な結果を得た。本研究の結果、日本の職業交響楽団によるレパートリー形成は、@1970年代半ばまでは、昭和戦前期のレパートリー形成の延長線上にあること、A演奏能力の増加は、(同一作曲家による)レパートリーの多様化を促進するが、新規レパートリーの積極的導入には結びつかないこと、B行政の財政的支援や文化政策は、新規レパートリーや日本人作曲家のレパートリーの導入と強い関連をもつことが検証された。


【傍聴記】(大津 聡)

 井上氏の発表は、日本の交響楽団のレパートリー形成の要因、言い換えれば、西洋芸術音楽の受容の一側面を、大規模データの定量的分析により実証しようとするものであった。この自然科学や社会科学では当たり前の手法は、音楽学の領域では馴染みがあるとは言い難い。先行研究の状況に鑑みても、未だ「新境地」であると言える。レパートリーの形成においては、当然、様々な性格の無数の要因が想定されるが、今回の井上氏の発表は、主に制度的要因を説明変数とした仮説検定であった。あえて定量分析に徹するという手法は斬新であり、想定に入れる要因を限定することで、井上氏の発表は、単なる方法論の提示で終わることなく、一定の成果をあげることに成功していた。同時に、今後に残された課題、期待される成果も極めて多いと感じた発表でもあった。それは定量分析に徹すると、定性的分析の必要性も見えてくるという、厄介な問題に由来するように思われた。そのことは、フロアからの発言にも明らかであった。定量的手法の精度と、その発展性の問題(友利修氏)や、定量分析からは抜け落ちてしまう、あるいは、見えてこない側面についての指摘(野本由紀夫氏)があったことを記しておく。もっとも、芸術の受容の解明についての新たな取り組みにおいて、答え以上に疑問が残ったとしても、何ら不思議ではない。仮に全てが説明されるという事態があったとしたら、むしろ疑わしいであろう。その点、質疑応答の際の活発な議論と、フロアから寄せられた数々の指摘は、井上氏の研究の、さらなる発展を期待させるものであった。


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