東日本支部通信 第19号(2013年度 第5号)

2013.9.14. 公開 

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東日本支部 第19回定例研究会

日時: 2013年10月5日(土) 午後2時〜4時45分
場所: 東京音楽大学 A館地下100会議室

<シンポジウム「理想的なショパンの楽譜とは?―21世紀の資料研究から見えるもの―」>

企画趣旨

 様々なエディションが出版されているフリデリク・フランチシェク・ショパン Fryderyk Franciszek Chopin(1810-1849)の楽譜は、原典版が主流となる20世紀後半以降、約半世紀に渡り「どのエディションが良いのか」「どのヴァージョンが正しいのか」ということが議論され続けてきた。現在では「ショパンの最終的な意図」を確定することはできず、複数のヴァリアントが認められることについては概ね共通認識となっている。
 21世紀に入り、ショパン作品に関する資料研究は急激な進展が見られる。2001年に行われた国際学術ショパン学会では「資料の全体性」および「作品の全体性」のどちらを優先するかという校訂の方法が明確にされた。一方で、ほぼ同時期に「パラダイム手法」という方法が提案、実践された。また、資料の分類では「放棄された自筆譜」という分類が共通認識となったのもこの頃のことである。PWM社による『ナショナル・エディション』に加え、21世紀に入ってからはペータース社とヘンレ社が新版を出版しはじめ、ショパンの楽譜は新たな局面を迎えている。さらに2010年のショパン生誕200年に向けて様々なプロジェクトが実施された。資料研究に関わるプロジェクトは主に次の3点である。

1.『ショパン手稿譜ファクシミリ全集』の順次刊行。
2. ウェブサイトChopin's First Editions Online(CFEO)が立ち上げられ、すべての初版が示された。
3. ウェブサイトOnline Chopin Variorum Edition(OCVE)が立ち上げられ、小節単位で様々なヴァリアントを比較することができるようになった。

 これらのプロジェクトにより、入手することが困難であった一次資料の多くはユーザーが直接確認することが可能になっている。しかしながら、多くの情報を入手することが可能になるにつれ、それらの情報をどのように使用(あるいは選択)するのかという事が問題となってくるのである。
本シンポジウムでは、資料研究の歴史的変遷を踏まえつつ、大きく資料研究が進んだ現在にはどのような問題点と課題が見られるのかを考察する。理想的なショパンの楽譜とはどのような楽譜なのだろうか、現状のショパン研究に対する認識に一石を投じたい。



発表要旨1

ショパンの作曲過程と手稿譜

武田 幸子(東日本支部)


 2001年2月3日、ポーランドの国会で、ショパン関連文化財の保護に関する法律が成立した。「国宝とも言うべきショパンの遺産は国が主体となって守るべきである」として、2001年に国の機関としてポーランド国立フリデリク・ショパン研究所(NIFC ニフツ、以下ニフツ)が設立され、一民間団体であるショパン協会が70年以上にわたって所有してきたショパンの遺産はすべて、2005年よりニフツが所有することとなった。ニフツは、ショパンとショパンの作品に関する研究、自筆譜や手紙等ショパンの資料収集、国際学会やショパン国際ピアノコンクールの開催、ショパン博物館や生家の管理を行っている。また、ショパン博物館の向かいにショパンセンターを建立、そこにはニフツだけでなく、ショパン協会、国際ショパン協会連盟、ナショナル・エディション・ファンデーション、ショパン図書館、ショパン観光情報局など、ショパンのすべての重要機関が一箇所に集められている。
 21世紀に入り、ショパンの手稿譜研究は大きな変化を遂げた。ショパンの自筆譜、スケッチ、筆写譜など手稿譜研究は、ニフツの『ショパン手稿譜ファクシミリ全集』プロジェクトとして8か国が参加するチームで進められることになった。2002年に組織委員会が発足、最新の研究成果が書かれた解説は当初ポーランド語・英語・フランス語・ドイツ語の4か国語の予定であったが、その後スペイン語が、最後になって日本語も追加され6か国語に決定、そのため2005年春から日本人3名がプロジェクトメンバーに加わり、数年後にはさらに日本人2名も追加され、『ショパン手稿譜ファクシミリ全集』はこれまでに23巻が刊行されている。 最新のショパン手稿譜研究では、ショパンの手稿譜は「スケッチ」「製版用自筆譜」「放棄された自筆譜」「贈呈用自筆譜」「筆写譜」の5つに分類される。ショパンの創作活動は常に鍵盤の上で行われた。ピアノを弾きながらまず「スケッチ」を書き、この段階でショパンは曲がほぼ完成したと判断、楽譜を書くことを嫌ったショパンは「スケッチ」のあとで全体を「下書き」してみる作業はせず、出版社に提出するための「製版用自筆譜」を書き始めた。ショパンにとっては「スケッチ」と「製版用自筆譜」の中間段階の概念はない。従来「下書き」や「作業用自筆譜」とされてきた自筆譜は、ショパンが清書のつもりで書き始めたが変更箇所が多くなって出版社に出せる状態ではなくなり、やむをえず放棄せざるをえなかった「放棄された自筆譜」である。国際ショパン学会をはじめ、ショパン学者の間でこの「放棄された自筆譜」という概念が定着したのは2005〜06年頃のことである。
 ショパンの製版用手稿譜はおもに「自筆譜が1つの時期」(1831〜35年)、「自筆譜と筆写譜がある時期」(1835〜41年)、「自筆譜が複数の時期」(1841年以降)があり、作品の多くをフランス、ドイツ語圏、イギリスの3か国で同時出版していた。ショパンは他に例がないと言われるほど作品の推敲を続けた作曲家であり、その痕跡は手稿譜にも残っている。「私は世界で最も優柔不断な生き物だ」と自ら述べたショパンにとって、製版用手稿譜はある瞬間における相当な決断の結果であることは間違いない。そんな一大決心のあとでショパンは、校正の段階でも印刷の最中でさえも出版後にも曲の変更を続け、ある出版社の製版用筆写譜に変更を加えたにもかかわらず別の出版社の製版用自筆譜には変更を加えなかったり、弟子のレッスン中にも楽譜に訂正を書き入れた。19世紀前半という時代背景のみならず、ショパンは常に音楽を流動的な概念でとらえていたといえる。
 『ショパン手稿譜ファクシミリ全集』解説日本語版監修者としての立場から、21世紀に入り急速な進展を遂げたショパン手稿譜研究の最新成果、およびショパン生存中から既にエディションの相違が起こる原因となった、作曲過程と手稿譜のかかわりについて述べる。


発表要旨2

ショパンの死後の出版楽譜

岡部 玲子(東日本支部)

 

ショパンが生存中に出版した作品(op.1-65)の没後出版は、19世紀の後半に始まることとなった。現在までに出版された楽譜のうち、《バラード集》に関して、計28種類(海外で出版された楽譜19種類、日本語翻訳あるいは日本語解説のある楽譜6種類、もともと日本で出版された楽譜3種類)を、ショパンの一次資料と比較検討し、それぞれの楽譜の特徴や系統を明らかにしてきたが、他の作曲家と決定的に異なっているのは、“原典版”に関してである(一般に楽譜出版で用いられている意味で、原典版という言葉を使用)。
 ショパンの場合、自筆楽譜、筆写譜、フランス初版、ドイツ初版、イギリス初版、さらには出版後にも、弟子のレッスン中の書き込み、という、ショパンが関わった複数の資料が存在する。それらの中で、1.ショパンの最終的な意図を反映しているであろう決定稿を決めることが困難であること、2.数多く現れるヴァリアントにおいて、どれが最善であるかを決定できないこと、3.ショパンに関する証言から、ショパン自身に多様なものが存在していたと思われること、の3点から、ショパンの場合は、原典版であっても違いが生じるのは当然と考えられる。現在までに、原典版として、以下の6種類が出版されている。
1.ヘンレ原典版(旧版) [1956-90]、 2.ナショナル・エディション旧版 [1967-1991]、
3.ウィーン原典版 [1973-86]、 4.ナショナル・エディション新版 [1995-2010]、
5.ペータース原典版 [2006〜]、 6.ヘンレ原典版(新版) [2007〜]

 国際学術ショパン学会の第1回会議(2001年、NIFC主催)では、エディションの問題が取り上げられた。そこでは、『ナショナル・エディション新版』の概念「作品の全体性」が明確にされたが、それに対して、ペータース社が計画していた新しい原典版のプロジェクトの概念「資料の全体性」も発表された。ショパン自身の中にある多様性を考えると、決定的な原典版はあり得ないことになる。ちょうどその2001年に、岡部は「パラダイム*楽譜」を提案した。これは、すべてのヴァージョンが楽譜上に同列に示されたものである。ショパンの創作過程を知ることができ、演奏解釈に役立つ情報が楽譜となっている。新たに資料が発見された場合には、そこに付加していくことで、データベースにもなり得る“理想の楽譜”である。ヴァージョンが複数提示されている箇所は、奏者の好みで選択すれば良い。弾く度に違うものを選択することも可能である。ショパンの演奏自体、弾く度に異なっていたと言われている。
しかし、この楽譜を見て演奏するには、頁のメクリが多く、煩雑で使い勝手が悪い。ヴァージョンの選択を煩わしいと感じる人もいるかもしれない。 このように考えると、あらゆる立場の人にとって“理想の楽譜”といえるものは、あり得ないのではないかと思われる。

*パラダイム(範列、仏 paradigme, 英paradigm)という言葉は、記号学で使用される術語で、互いに代入可能な潜在的連関におかれた諸単位の総体のこと。連辞(仏 syntagme, 英 syntagm)に対する言葉。

 


発表要旨3

エディション研究によるショパン受容の考察

多田 純一(西日本支部)

 

資料間に現れるヴァリアントをどのように扱うかという問題は、21世紀にようやく「資料の全体性」あるいは「作品の全体性」いう具体的な方法が提示され校訂の方法が明確化されたが、その一方で、いずれの方法でもない、パラダイムという考えを取り入れ、この問題を解決したのは岡部玲子による博士論文である。数多く現れる問題点のひとつひとつに対して校訂者としての判断と報告を繰り返し行うことで、多くのヴァリアントは最小限に留めて示されてきた。しかしすべてが同列に並ぶというパラダイムという考えを取り入れることで、すべてのヴァリアントは同列に示される。2001年に行われた国際学術ショパン学会と同時期に日本国内においてひとつの具体的な解決策が実現されていたことは特筆に値する研究成果である。「パラダイム手法」という3つ目の方法はショパンの書記伝承のすべてを知ることができる。
 多田は2012年に提出した博士論文において、岡部が用いた「パラダイム手法」を踏襲し、《エチュード》op.10のパラダイム楽譜を作成した。ジェフリー・コールバーグが提唱し、武田幸子によってまとめられた分類に従い、「放棄された自筆譜」以前の手稿譜は資料に含めず、「製版用自筆譜」以降のすべての資料が網羅されている。フランス初版を軸に、自筆譜、ドイツ初版、イギリス初版、弟子の楽譜への書き込みを比較すると、合計2548件(異なる資料における重複を含む)の相違が見られる。後に出版された楽譜が持つ特徴を抽出するために、例えば自筆譜などひとつの資料を選定して比較するよりも、《エチュード》op.10に関する最大の情報を持つ「パラダイム楽譜」と比較することにより、多くの伝承の可能性を差し引くことができ、その版独自の加筆や変更を抽出することが可能となる。
 本研究では明治期の日本に受容された@ライネッケ版、Aショルツ版、Bクリンドヴォルス版、Cミクリ版、そして受容されなかったDテレフゼン版およびEブライトコプフ版の、計6冊を比較考察の対象とした。日本に受容された4つの版はいずれの版も加筆が多く、一方で日本に受容されていなかった版は加筆が少ないという傾向を示した。またショパンに直接関わる書記性となる一次資料だけでなく、二次資料が考慮に含まれているという点においても一致していた。すなわち、日本に受容された楽譜は、ショパンに直接関わる書記性となる一次資料だけでなく二次資料である校訂版が考慮に含まれており、ショパン自身が残した書記伝承から読みとることのできるショパン像よりも、大きな感情の起伏を持った19世紀後半におけるヨーロッパの演奏様式とショパン像が反映されていると言える。
これらのいわゆる「校訂版」(あるいは「実用版」と呼ばれる)は原典版の時代にあって批判されることが多い。しかしながら、19世紀後半の演奏様式を知ることができ、再現することもできる重要な資料である。


 発表要旨4 

理想的なショパンの楽譜とは──演奏者の立場から──

加藤 一郎(東日本支部)


 これまでの議論でも明らかになったように、ショパンの原典版楽譜における最大の問題点は、彼自身が常に多様な解釈を求めていたために、唯一の決定稿を特定できないことにある。そのために、近年、資料研究の進展に伴って、ショパンの原典版楽譜に関する考え方が大きく変わってきた。2010年に完結した『ナショナル・エディション』は、ショパン研究の世界的権威でピアニストであるJ.エキエルによって編集された楽譜であり、メインの五線譜で資料の混交が行われた(作品の全体性による楽譜)。それに対し、現在刊行中のペータース版とヘンレ版は、フランス初版等の一定の資料に基づいてメインの五線譜が作られ、ヴァリアントは譜表の上下か注で示されている(資料の全体性による楽譜)。更に、岡部と多田により、全ての資料をメインの五線譜上に並列的に掲載し、演奏者がその中から自由に選択する方法が提案された(パラダイム手法による楽譜)。このように、近年、ショパンの原典版楽譜においては、資料の選択が楽譜編集者から演奏者の側に委ねられるようになってきた。ショパンの理想的な楽譜を検討するためには、先ず、こうした経緯を踏まえておく必要がある。
 その上で、筆者はピアニストとしてこれまで多くのショパンの楽譜を読み解いて来た経験から、更に幾つかの点を指摘したい。楽譜に含まれる情報は、主に「音楽構造に関する情報」と「演奏に関する情報」からなるが、ショパンは後者を楽譜の中に綿密に記していた。例えば、ショパンの製版用自筆譜を見ると、ペダルの解除の位置が注意深く記されているが、この点については前述の最新の原典版楽譜でも正確に表記されていないことが多い。ペダルの長さは作品のコンテクストと結びつくことが多く、非常に重要である。また、ショパンは>(アクセント)の表記の幅を自在に変えて記しているが、この点も正確に扱われていない。更に、ショパンが遺した修正の痕は作品の推敲の過程を如実に示しており、演奏解釈のための大きな手がかりになる。加えて、ショパンがレッスンの際に生徒の楽譜に行った書き込みも、演奏にとって貴重な情報源と言え、特に、線によるグラフィックな指示はショパン特有のフレージング理論や旋律の表現方法を知る上で極めて重要である。
 以上のことから、ショパンの原典版楽譜に必要な情報として、次のものがあげられる。

1. 多くの資料で内容の異同が認められない楽譜の基本情報
2. ヴァリアント
3. 演奏に関する指示の正確な情報(演奏研究を踏まえた更なる資料の読解が必要)
4. 修正痕(出版前及び出版後)
5. 生徒の楽譜への書き込み(グラフィックな情報を含む)
6. 演奏者が資料を選択する際に必要な情報

 こうした情報量の多さのために、「理想的なショパンの楽譜」を検討する際、用途を研究用と演奏用に分けて扱うことが望ましい。研究用楽譜はパラダイム手法によって紙媒体で作成し、巻末に資料の説明を加える。それに対し、演奏用楽譜は、演奏の際の煩雑さを避けるため、次の方法が検討される。楽譜を電子媒体で作成し、それをインターネットを通してiPadなどにダウンロードし、それを直接譜面台に置いて用いる。楽譜の形式は、楽譜の基本情報を基礎とし、ヴァリアントや関連情報(画像情報も含む)がある部分をクリック或いはタップすることで全ての情報が表示され、そこから演奏者が自由に選択できるようにする。選択した楽譜情報を演奏者が印刷して用いることもできる。また、演奏用楽譜には演奏の際に参考になるよう、ショパンの死後出版された校訂版に含まれる加筆や修正なども原典版としての情報とは別に加えることができる。常にアップデートを行うことで最新の情報を提供する。


【傍聴記】(小岩 信治)

 近年の資料研究の進展を総括しつつ、21世紀のショパンの楽譜について考える第19回定例研究会は、開始前から会場ほぼ満席という盛況で始まった。
 今回のシンポジウム「理想的なショパンの楽譜とは?――――21世紀の資料研究から見えるもの」の内容の詳細は別途記載されているので、全体の構成のみ述べると、まず国立フレデリク・ショパン研究所(NIFC)『ショパン手稿譜ファクシミリ全集』の監修者の1人である武田幸子氏が、ショパンの楽譜資料の特性と近年の資料編纂体制について述べられ、その後ショパンの出版譜の異同について研究されている岡部玲子氏からの、とくに作曲家の死後出版された楽譜どうしの関係についての報告が続き、明治期を中心とする日本のショパン受容がご専門の多田純一氏によって日本で使われてきたショパン楽譜の特徴が明らかにされ、最後にコーディネーターでありピアニストの加藤一郎氏から、とくに演奏者からみた「理想的な楽譜」について、資料どうしの異同の例とともに見解が述べられた。いずれの部分でも有名曲の具体例が挙げられて発表はわかりやすく、また全体の構成もこの問題を考えるためにバランスのとれたものであった。質疑の際には多田氏から、「具体的な演奏方法の答えを求めていらしたピアニストの方には期待はずれだったかもしれない」という主旨の発言があったが、氏もそのときに指摘されたとおり、このテーマの難しさと探求の可能性を考えるためには今回のような内容が必要だったし、それは成功していたと思われる。
 とくに、20世紀末から生誕200年(2010)を経て現在に至るまでの間に、ショパンの資料研究がどのように展開したか、その過程でショパンの資料に携わる研究者のあいだで何が了解事項となったのかが、武田氏の発表を中心に本学会で共有されたことは重要であった。具体的には例えば、ショパンにとっての「スケッチ」「製版用自筆譜」の意味、ショパンの研究に必要な「放棄された自筆譜」という考え方、そして19世紀のショパン出版譜の相互関係(系統樹で示される資料どうしのつながり、岡部氏)、また「作品の全体性」「資料の全体性」に関する議論とその具体的な現れとしての近年の原典版のありよう(岡部氏、加藤氏)、などである。
 ただ、フロアから複数の指摘があったように、議論のための用語や概念が明確でなかった感は否めない。特定の曲やその一部の複数のヴァリアントが、必ずしも別の「稿」が存在しない場合でも、発表の中で「異稿」と表現されていたことに違和感が指摘された(江端伸昭氏)ほか、原典版とは何か、という今回の発表の根幹に関わることがらについて、パネリストとフロアの間には違いがあった(野本由紀夫氏が指摘)。また、複数の資料の異同をわかりやすく示す手段としての「パラダイム楽譜」について、発表の中でその意義が繰り返し示されていたが、基本的に同じ作業が他の作曲家の校訂譜編集においても行われる(さらにインターネットでその成果の公開が始まっている例もある)ことを考えれば、「ショパン研究における」その意義はやや強調されすぎていなかっただろうか。
 「パラダイム楽譜」について今日話題にする意味はもちろん大きい。それは、楽譜のデジタル編集技術が日進月歩で向上している21世紀にあって、その成果が研究者にとどまらずインターネットで公開され、広く音楽界で共有されてゆく可能性があるからである。(かつて「パラダイム楽譜」またはそれに対応するものを公開することは、言うまでもなく単純に紙幅が増えてしまうゆえに、印刷楽譜というメディアでは困難であった。) 加藤氏が発表の終盤にパソコン画面で示されたアプリケーションでは、校訂報告を読まなくても、問題の箇所でしかるべき記号をクリックするとポップアップウィンドウが開き、資料間の相違が少なくとも楽譜レヴェルでは簡単に一覧できる。「パラダイム楽譜」の普及版とでも言うべきこうしたアイディアは、おそらく今後さらに使い勝手のよいものに改良されるだろう。(その前提として、武田氏の報告で簡潔に整理されていたように、ショパンの自筆譜など楽譜資料がインターネット上に次々と公開されている、という、おそらくショパンの場合独自の歓迎すべき事情がある。)
 しかし、こうした展開に期待を膨らませることができた一方で、フロアからの一連の指摘には一つ大きな問題が繰り返し現れていたように思われる。それは、複数の演奏可能性をショパンが明確に認めていたケースにおいて(それは作品9の2の例で示されていたような、ある1小節の装飾音かもしれない)、仮に複数の選択肢がデジタルデータとして心地よく適切にピアニストに示されたとして、いくつかの可能性のなかから一つを「ふさわしいもの」として選択していくことは、一人一人のピアニストに果たして可能なのか、という点である。筆者の理解ではフロアから発言された方のほとんどがこの点を背景に質問されていたが、とくに村田千尋氏と平野昭氏の発言がそこに関わっていた。
 確かにさまざまな資料そしてヴァリアントの知見を研究者が(権威主義的に?)独占している時代は終わり、多様な楽譜の情報はフラットに皆に提供される。いままで一次資料の「手触り」を知らなかった、けれどもじつはその意味を看取できるという方々に、多くの知的体験のチャンスがもたらされる。「一億総音楽学者現象」(『聴衆の誕生』)のショパン-21世紀版とでも言うべきだろうか。当然、演奏の可能性も広がる。しかし、数多くの演奏可能性が開かれても、いざ演奏するときには、これまで楽譜の校訂者に迫られていた作業を一人一人が行わなければならないということであれば、そのような判断をしているヒマはないというピアニストにとっては、むしろ一連の「解」を一貫した立場で示す校訂譜が実用的、ということになるだろう。(「ピアニストはそこに関心を持ってほしい」と音楽学者がいくら願っても、これまたフロアから指摘があったとおり、現実的には多くのピアノ演奏の現場はそのようには動かず、校訂報告は読まれない。だからこそ、校訂者がスタンスを明示して「一つの」「主要な」可能性を示す校訂譜がこれからも求められると言える。)
 選択の判断は誰がどのように行うのが効果的だろうか。学生を前にパソコン画面上に多様な楽譜を見せられるピアノ科教員なのか、ショパン研究を専門とする音楽学者なのか。人々は選択に必要な資料批判の「リテラシー」をどう身につけるのか。あるいは、専門家が身近にいなくても適切な選択ができるよう、校訂譜にしかるべき「処方箋」(「読む気を削ぐ」校訂報告のかわりに、ユーザー=ピアニストが必ず読みたくなる/読まねばならないと感じるようなもの)を書くことはできるのか。そして、音大生など若いピアノ奏者たちはそのような教育についてこられるのか。・・・今回のテーマは解決の難しいこうした問いの数々に繋がっている。
 けれどもこうしたことがらについて、具体例に則してまたピアノ教育現場の切実な問題として議論できるのは「ショパンならでは」である。今回の50人以上の参加者のうち半数以上は、登壇者や会場校東京音楽大学関係者の広報の(おそらく多大な)ご努力のおかげで、非会員であった(署名簿に記録された方はパネリスト・スタッフを含めて73名)。質疑の際にはショパンの資料をウェブ上で公開する立場の方の発言も伺うことができた。本学会の活動を学会の外に広報する機会ともなったこの催しは、ショパン研究の近年の状況、またその大切な論点(他の作曲家研究の場合との違いとともに、むしろ共通点)が明らかにされ、それをさまざまな立場の参加者が受け止めることができた点で、たいへん充実した会であったと言えよう。


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