日本音楽学会

東日本支部通信  13号電子版

2012128日 第13回定例研究会 発表要旨および傍聴記)

日時:2012128() 午後2時〜430

場 所: 東京音楽大学 A館 地下100(会議室)   

司 会: 武石 みどり (東京音楽大学)

 

  <修論発表>
1.
バーンスタイン《交響曲第3:カディッシュ》における動機作法
松岡 由起 (慶應義塾大学大学院)

<
研究発表>
2.
「人間機械」と自動演奏楽器
-20
世紀前半フランスを一例に-
 大矢 素子 (東京芸術大学)

3.
《カロ・ミオ・ベン》の作曲者、トンマーゾ・ジョルダーニ
  中巻 寛子 (愛知県立芸術大学)

 

*****

1. バーンスタイン《交響曲第3:カディッシュ》における動機作法


松岡 由起 (慶應義塾大学大学院)

【発表要旨】

 バーンスタインの《交響曲第3番:カディッシュ》(1963年作曲、1977年改訂)はオーケストラ、混声合唱、少年合唱、語り手、ソプラノ独唱のために作曲された、バーンスタイン最後の交響曲である。

 1964年のジャック・ゴットリーブの論文をはじめとする先行研究の多くは、この曲でよく用いられる6つの動機について論じている。発表者はそれらの先行研究の成果の検証を深めるなかで、動機相互間でヒエラルキーが存在していることを分析によって明らかにした。

 発表者がそれらの動機の使用箇所を調べたところ、動機Aのみが全楽章・全部分に登場し、その回数も他の動機と比べて突出していた。このことから、発表者は動機Aがこの曲の主軸となっていると考えた。以下、動機Aを除く動機BFは副次動機とする。

 動機AA―〈C〉―B♭―G♭音)は「末尾に力点が置かれる」という特徴を持つ。例えば、この動機の初出(〈Invocation〉第23小節)では、音高、音価、そして拍節上の位置にそれが顕著にみられる。これはこの曲の歌詞で使用されるアラム語とヘブライ語のアクセントに一致することから、動機Aは歌詞のアクセントに由来していると考えられる。ちなみに、副次動機もまた動機Aと同様、歌詞のアクセントをふまえている。

 動機Aと副次動機の関連性は、音程からも認められる。例えば、動機Bは動機Aの大枠AG♭音の音程関係である7度上行の積み重ねからできており、動機Fは動機Aにある半音を含んでいる。もっとも顕著な例は動機Dであり、動機Dは動機Aと同じく3度や半音を含んでいるとともに、その変形は用いられるのにしたがい音程関係が広がり、最終的には動機Aに近似した形を内包するようになる。

 動機Aの用いられ方にも注目したい。動機Aは第1部分〈Invocation〉冒頭において、原形、反行形、拡大形が同時に提示される。曲の冒頭からこのような提示が行なわれることは、これが今後この曲で中心的役割を担い、発展していくことを示唆していよう。この他、動機Aには副次動機との連結や融合した形もみられ、このような変形の多様さは動機Aが副次動機と一線を画していることを示している。

 動機Aの重要性は〈Finale〉末尾の改訂からも裏付けられる。動機Aは〈Invocation〉、〈Kaddish 1〉、〈Scherzo〉のそれぞれ冒頭、そしてこの曲の最後の部分〈Kaddish 3〉後半の結尾といったように要所で用いられるが、初稿では〈Kaddish 3〉後半の直前である〈Finale〉末尾でも登場していた。しかし、改訂稿では動機Aでなく別の音楽に書き換えられることで、曲の結尾に登場する動機Aがより一層浮き立つようになる。このような動機Aの登場のさせ方のこだわりからも動機Aの重要性を窺うことができるのである。

 

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【傍聴記】(執筆:高橋智子)

 

 レナード・バーンスタインといえば20世紀を代表する指揮者として、《ウェストサイド・ストーリー》などのミュージカルを生み出した作曲家としてよく知られているが、シューマンやマーラーなどの交響曲の手法を精査し、3つの交響曲を遺した「シリアスな」作曲家の顔も持っている。欧米では既に彼の交響曲についての先行研究がなされているが、日本の音楽学研究においては松岡由起氏の修士論文がその先達であるといってもよいだろう。

 松岡氏の発表は《交響曲第3番:カディッシュ》(196377)に用いられている6つの動機のうち、原形とその反行形、拡大形として全楽章をとおして現われる動機Aの機能と役割を実に明瞭に分析するものだった。時間の制約等もあり、楽曲の背景などの周辺事項にはあまり深く言及されていなかったが、配布資料に記載されていた松岡氏の修士論文の目次から、この研究が楽曲全体を音楽史的な観点と音楽分析的な観点双方からくまなく網羅していることがわかる。フロアからはバーンスタインの再評価につながる意義深い研究として、本研究の今後に期待する声が寄せられた。交響曲のスコアを精確に読み込み、それを分析して考察するのは非常に骨の折れる作業だが、松岡氏の実直な研究は日本におけるバーンスタイン研究を切り拓く大きな一歩であろう。また、実験音楽とは一線を画した20世紀アメリカ音楽研究にとっても重要な役割を果たすに違いない。

 

 

2.「人間機械」と自動演奏楽器 ――20世紀前半フランスを一例に――

 

 大矢 素子 (東京芸術大学)

 

【発表要旨】      

 20世紀初頭のパリは、世界の主要都市のなかでも、電子楽器に代表される新楽器開発の中心地のひとつであった。この時代に生み出されたこれら新楽器に関し、先行研究においては、もっぱら、技術の進展が新たな楽器を生み出したという発展史的観点から、あるいは、各楽器の構造や発明された時代に即した分類学的視点から記述がおこなわれてきた(D. Hugh, “Electric Instruments”, in The Grove Dictionary of Music and MusiciansT. Holmes, 2008)。しかし、モノを通した文化史という論点から、「楽器」という文化的表現媒体を考察する上では、こうした先行研究での指摘に加えて、新楽器の開発がなぜこれほど熱心に追求されていたのか、そこにどのような時代の要請があったのか、その文化的背景をみることがより重要であると考える。

 本発表では、新楽器開発のメッカとなった20世紀初頭のパリに注目し、労働力の機械による代行という観念が音楽の分野に表れた一例として、20世紀の前半にフランスで公開された種々の自動演奏楽器について考察する。その際、デカルトが提唱し、ド・ラメトリが継承した人間機械論に触れたうえで、機械化された人体表現としての自動人形研究の歴史を概観する。具体的には、19世紀末から20世紀初頭かけて、パリ万博を中心に公開された、ヴィシーやドゥカンらによる自動人形の系譜が含まれる。さらに、新楽器を文化的潮流の一つとして扱った,20世紀前半の啓蒙的な雑誌や新聞(La science et la vie, L’illustration, Le petit journal)ならびに科学技術史に関する書籍を検証し,歴史的コンテクストにおける自動演奏楽器製作の意義を問う一助としたい。こうした過程から、理想化された「人間機械」としての自動演奏楽器の歴史をみることができるだろう。

 

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【傍聴記】(執筆:高橋智子)

 

 従来の様式史や英雄史観ではない見地から音楽史、特に近代以降の音楽史をより広範な視点で捉える場合、音楽の様々な側面におけるテクノロジーの存在とその重要性は看過できない。

 大矢氏が指摘したように、従来の電子楽器研究は、20世紀前半に起きた音素材の拡大に端を発する音響や楽器の分類学的研究と、L.テルミンなど著名な電子楽器開発者の伝記研究のいずれかに大別されることがほとんどで、電子楽器が開発された当時の文化的、歴史的、社会的観点から考察した研究は質、量共にまだ不充分だ。大矢氏はこうした現状に問題意識を抱き、デカルトの時代に遡りながら人間とテクノロジーとの関係を丁寧に読み解く。18世紀の自動人形製作に始まる先端化された人間の機械化は、人間の能力を超越したヴィルトゥオージテへの渇望へとつながる。大矢氏がこの発表で伝えたかったのは、テクノロジーは常にイデオロギーと表裏一体にあるということなのかもしれない。

 フロアからはこの発表では言及されなかった新楽器にまつわる聴取の問題、音楽作品としての、あるいは音響としての音をどう区別すべきかなど、今後の研究の発展にとって有益な質問や意見が飛び交った。音楽学研究よりも科学史研究に比重が置かれた印象も否めないが、全体的に充実した研究発表だった。新楽器および電子楽器が20世紀以降の作曲、演奏、聴取において、また音楽産業の場でどのような展開を見せたのか。このテーマは様々な方向に発展する可能性を秘めている。

 

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3.《カロ・ミオ・ベン》の作曲者、トンマーゾ・ジョルダーニ  

 

  中巻 寛子 (愛知県立芸術大学) 

 

【発表要旨】

 本発表は、長年に渡って世界中で愛唱されて来た歌曲、《カロ・ミオ・ベン Caro mio ben》について、曖昧なままになっていたその作曲者を、発表者自身が発見した新資料によって明らかにするものである。

 まず初めに、《カロ・ミオ・ベン》の作曲者をめぐる混乱と、この問題の研究史を整理しておく。《カロ・ミオ・ベン》の作曲者としては、かねてから同姓の二人の作曲家、ジュゼッペ・ジョルダーニ(1751-1798)と、トンマーゾ・ジョルダーニ(1730/33-1806)の名が挙げられて来たが、それは、ロンドンで出版されたこの曲の最初期の印刷譜に、「ジョルダーニ氏作曲」としか記されていなかったことに、そもそもの原因があった。しかも、19世紀中は、二人の作曲家、特にジュゼッペの経歴について、「トンマーゾの兄弟であり、一時期ロンドンで活動していた」という誤った情報が流布しており、それに伴って多くのトンマーゾ作品がジュゼッペのものと見なされていた。《カロ・ミオ・ベン》が、まずはジュゼッペの作品とされたのは、そうした状況下でのことであった。

その後、20世紀になって両者に関する研究が進み、ロンドンで活動していたのはトンマーゾのみであったという事実が確認されると、ロンドンやパリで出版されたジョルダーニ名義の作品は、トンマーゾのものと考えるべきだという主張が起こった。しかしながら、《カロ・ミオ・ベン》に関しては、最初期の楽譜がロンドンで出版されてはいるものの、イタリアの有名歌手、ガスパーロ・パッキエロッティ1740-1821)の演奏によって普及した形跡があり、イタリアで活動していたジュゼッペの作品を、パッキエロッティがロンドンへ持ち込んだ可能性があるという指摘があったため、今日に至るまで作曲者が確定することはなかったのである。

さて、今回、発表者が大英図書館で新たに発見した資料というのは、作曲者が《カロ・ミオ・ベン》を含む複数の声楽曲の既存の楽譜とその原版を、出版業者であるジョン・プレストンに売却した際の代金の領収書である。そこに残されたサインは、“Thos: Giordani”となっているが、これがトンマーゾのものであることはもはや明らかである。さらに、この領収書の記載内容と、プレストンから出版された二種類の楽譜の表紙の記述からは、《カロ・ミオ・ベン》が1782年にロンドンで、ソプラノ歌手、ジュスト・フェルディナンド・テンドゥッチ(c.1735-1790)によって初演され、その後、パッキエロッティによっても演奏されたという事実が明らかとなった。

以下、発表では、トンマーゾ・ジョルダーニという作曲家について、あるいはパッキエロッティによる《カロ・ミオ・ベン》のイタリアでの演奏、等にも触れて行きたいと考えている。

 

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【傍聴記】(執筆:成田麗奈)

 

本発表は、発表題目がすなわち結論であるという、きわめて主旨明快なものであった。〈カロ・ミオ・ベン〉の作曲者については、先行研究においても同姓の作曲家ジュゼッペとジャコモのいずれであるか、決め手を欠いていた。その「決め手」を提示したのが本発表である。中巻氏の発見した資料は〈カロ・ミオ・ベン〉ほか自作の所有権、印刷用原版、既存の印刷譜を譲渡した際の領収書であり、そこにはトンマーゾ・ジョルダーニの署名がはっきりと記されているのだ。この資料自体で十分に決定的な証拠であるが、さらなる裏づけ資料として提示された出版楽譜の記載内容と当時の演奏会の状況などからも、トンマーゾによる作曲であることは「確実」である。

〈カロ・ミオ・ベン〉の「誤解された」作曲者に関しては、この他にもイタリアにおける事例が紹介された。この曲がベルトーニの《アルタルセ》のアリアとして挿入されていたために彼の作であるとされている手稿譜や、ヘンデル作曲と記されている手稿譜も現存しており、後者については先述のパッキエロッティの演奏活動がこうした誤解の要因であることが示唆された。

フロアからはこの研究成果を高く評価する声が相次ぎ、是非とも世界に成果を発信してほしいとの要望が挙がった。本研究は「真正な」作曲者を明らかにしたことのみならず、『イタリア古典歌曲』の編まれた19世紀の音楽文化(楽譜出版やアマチュアの音楽活動についてなど)の再考を促す一助としても高く評価された。また、裏づけ資料となった楽譜の年代特定については、より確実性を期すために、楽譜の紙質やサイズを詳細に比較してはどうかとのアドバイスも寄せられた。

本発表は『イタリア古典歌曲』に関する研究の一環である。今後も中巻氏の着実な研究の積み重ねによって、『イタリア古典歌曲』全体について「確実な」情報が明らかにされることを期待したい。