日本音楽学会東日本支部 第10回定例研究会:要旨

ラウンドテーブル

20世紀以降の日中両国における仏教音楽研究の歴史と現状:

                   日中学術交流の未来へ向けて」

 

 発 表 :周耘(武漢音楽学院 教授、非会員)

      楊民康(中央音楽学院 教授、非会員)

司会・発表:新堀歓乃(日本学術振興会 特別研究員)

発表言語:日本語および中国語(通訳付き)

 

近年、日中両国の音楽研究者がお互いの研究成果を報告し合い、議論する場が広がりつつある。そこでは、両国の音楽文化の共通点や文化的背景の類似性を意識した学術交流が試みられているものの、両国研究者の知識の共有が未だ十分ではないことに加えて両国の研究方法も異なるため、議論の焦点を合わせるのが難しい場合も少なくない。この企画では、日中音楽研究者の情報交換の充実と学術交流の促進を目指す一歩として、両国が共有する音楽文化のひとつ「仏教音楽」に焦点を当て、20世紀以降の仏教音楽研究の歴史と現状について比較検討を行う。

こんにちの日本音楽研究では、声明という僧侶が仏教儀礼で唱える声楽のほか、僧侶以外の信者が唱えるご詠歌や念仏など、仏教に関わる様々な音文化を「仏教音楽」と総称する。ただし、こうした音文化を日本音楽の一種目と捉えてこれを研究し始めたのは20世紀初頭のことである。その研究は戦後の1950年代以降さらに活発化し、民族音楽学の手法を用いた新たな研究も展開していった。こうした研究の進展に伴い日本音楽の一種目として確固たる地位を得た仏教音楽は、研究の場のみならず、国立劇場など様々な音楽ホールで公演され、広く一般に紹介されてこんにちに至っている。

一方の中国でも、20世紀初期に音楽学者が仏教音楽研究に着手し、1950年代にはとりわけフィールドワークに基づく研究が大きく進展したが、1960年代以降、政治的な要因から仏教文化に関わる研究は困難な状況に置かれた。しかし、1978年に始まった改革開放政策が進むにつれて仏教を取り巻く状況が大きく変化し、仏教音楽研究も再び興隆した。研究活動が活発になるなか1990年代以降、研究者の協力のもと仏教音楽を扱う演奏会が盛んに催されるようになったことは、時期こそ異なるものの上記の日本における展開と共通する点が窺え興味深い。

当日の発表では、中国の漢伝仏教音楽(周担当)と南伝仏教音楽(楊担当)および日本仏教音楽(新堀担当)の研究の歴史と現状についてそれぞれ報告し、日中両国における研究の対象・方法・成果を比較検討する。日中両国の仏教音楽研究については、@西洋から民族音楽学(比較音楽学を含む)を導入した経緯が大きく関係していると思われ、また、A研究の進展が仏教音楽の舞台化を促したことが指摘できるため、以上の二点を踏まえてフロアとの議論を深めたい。

仏教文化を共有する中国と日本において、仏教音楽が音楽学の研究対象として、また鑑賞のための音楽として、いつ、どのように成立し、そしてこんにちに至っているのか。そうした状況下で両国の仏教音楽はどのような関係に置かれているのか。近年、日中両国の音楽研究者が積極的に交流を深めつつあるなか、仏教音楽を取り巻くこれらの問いを論じることは、アジア諸国の音楽文化あるいは音楽学の辿ってきた道を宗教との関わりから再考し、音楽研究の今後を見据える上で重要な作業であると考える。

 

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【傍聴記】(執筆:近藤静乃)

 

 日本における仏教文化は、その伝来ルートから中国や朝鮮半島の大乗仏教と密接な関わりがあることは夙に知られている。近年、東アジア各国間の学術交流が活発化しつつあることは誠に喜ばしい限りであり、また欧米の言語を経由することなく、当該文化圏の言語でもって意志の疎通ができるのも魅力のひとつである。本例会はそうした時流に乗った企画であるとともに、中国から気鋭の研究者をお招きするということで、筆者も大いに関心を持って参会した。

 本ラウンドテーブルの発案者、新堀歓乃氏は日本近代仏教音楽の研究者であるが、北京の中央音楽学院の仏教音楽文化研究センターへ留学し、中国仏教音楽研究の泰斗、袁静芳氏のもとで学んでいる。また、2010年に開催された東洋音楽学会の全国大会(於東京学芸大学)では、「日中仏教音楽の諸相」をテーマにしたプレセッションにて通訳を務めるなど、今まさに両国の仏教音楽研究の架け橋として活躍する貴重な人材である。本例会は近代以降の「仏教音楽」に焦点をあてて、前半は周耘氏・楊民康氏・新堀氏がそれぞれの専門分野に関する現状報告を行い、後半では「日中仏教音楽研究史を考える」というテーマで討論が行われた。

 さて、中国では国内に伝わる仏教を「漢伝」・「南伝」・「蔵伝」という独特の名称で区分する。「漢伝」は北伝仏教、いわゆる大乗仏教をさし、日本へ伝わった仏教はこのルートである。「南伝」はスリランカやタイなどを経由し、雲南少数民族地区に伝わった上座部仏教(小乗仏教)を、「蔵伝」はチベットの仏教をさす。これらのうち、本例会の報告は「漢伝」と「南伝」についてなされた。

 はじめに、周耘氏による漢伝仏教について。20世紀は度重なる戦乱や文革に阻まれ、研究はおろか仏教文化そのものも壊滅的な打撃を受けたこと、この苦難の時期を乗り越え、1980年代頃からようやく漢伝仏教音楽研究の興隆期を迎えたことが、流暢な日本語で述べられた。周氏は京都で声明を学び、のちに東京芸術大学で学位を取得した経歴をお持ちで、氏もまた両国の研究を結びつける要人である。筆者が最も共感したのは、氏の着目する声明の「古質」(訳者注:仏教音楽本来の古い性質)であり、日中の比較研究によって新たな発見が生まれる可能性を感じた。 

 つづいて、楊民康氏による南伝仏教について。氏は、民族音楽学や文化人類学の手法でもって、おもに雲南タイ族の伝える祭祀音楽について研究を進めている、当該研究領域の第一人者である。氏は「仏教音楽文化複合体」として、宗教音楽と世俗音楽を含む当該文化圏の伝統音楽文化を図式化している。日本でも寺院を母胎として様々な芸能が生まれ、世俗化していったことに照らすと、「仏教音楽」の範疇はかなりの広がりを見せることになる。どこで線を引くかがポイントになろうか。

──つづいて新堀氏の報告があったが、コメントは省略する──

 後半の討論では、新堀氏から1.音楽学の研究対象としての仏教音楽、2.仏教音楽研究が仏教音楽に与えた影響、3.民族音楽学(比較音楽学を含む)の影響、4.日中学術交流の可能性、の4点が提示されたが、おもな発言は両国の仏教音楽の分類法についてであった。楊氏は、日本の「梵讃・漢讃・和讃」を例に挙げ、こうした分類法に苦慮していると述べた。周氏は、ご自身が影響を受けた著書として横道萬里雄『体現芸術として見た寺事の構造』を挙げた。本書は仏教儀礼を演劇のごとく構造的に捉え、宗派を超えて法要形式を明快に分類した画期的なもので、横道氏の卓抜した分析力のなせる業といえる。中国にはこうした分類法がないとのことであったが、そもそも民族や言語が日本よりはるかに多様であり、一貫した分類法の確立が難しいのは是非もなかろう。まずは個々の伝承をひとつずつ丁寧に解きほぐしていくことが肝心かと思う。

 最後に、本例会のテーマについて私見を述べたい。今回は両国の研究現況を把握するために「20世紀以降」に限定したと拝察するが、「古質」を探る上でも、歴史的に遡ったほうが学問的に発展性のあるテーマが豊富に存在するので、今後は是非そちらへシフトすることに期待したい。同様に、「(仏教に関わる様々な)音文化を日本音楽の一種目と捉えてこれを研究し始めたのは20世紀初頭」という前提も再考を要する。

 時間の制約で充分な議論が尽くされずに閉会となってしまったのは遺憾であったが、中国の第一線でご活躍の研究者に接することができる有意義なひとときであったし、日本語に翻訳された詳細な資料は大変ありがたかった。このような機会を根気よく積み上げていくことこそ重要であり、新堀氏のさらなるご活躍を期待している。来春には東京芸術大学で第10回の日中音楽比較研究国際学術会議が開催されるとの由、両国の研究交流がますます深化することを願って已まない。